お日様と苺


 ぽっかりと、空白の席。
 昨日に続いて今日もだった。
 ファッション部の他の部員は皆そろっているのに、たった一人だけ、ぽつんと。
 その人は、生徒会や道場の稽古などで色々と忙しく、部活に顔を出せない日も多い。
(せっかくファッション部に入ったのに、いつきさん……)
 さみしいな、と思った瞬間、沢井なおみの心は決まった。
 ファッション部の楽しさを少しでも共有してもらえるような、そんな贈り物をする事を。
 
 少女は一心に打ち込み続けた。その時点での自分の全てをぶつけた。
 何の打算もなく、ただ同じファッション部に属している明堂院いつきのために。

 色は、まぶしい太陽の黄色。
 フェミニンなイメージを強調したワンピース。
 要所要所に黒いフリルをあしらって、ゴスロリっぽいカンジも取り込んでみる。
「出来た!」
 なおみの顔が輝く。苦労も疲れも吹っ飛んでしまった。
 その日は、彼女にとって最良の祝祭日だった。

 そして、
 翌日は、打って変わって憂鬱な……気の重い日となった。
 陽は燦々(さんさん)と照っているのに、少女の心は晴れ間の覗かない梅雨空のよう。
 目的地である明堂院家の、古風な作りの門を前にして、なおみの足は止まってしまった。
 デパートの紙袋の中身に視線を落とし、心細げに溜め息をつく。急に自信がなくなってきた。
 門は大きく開かれているが、とてもその先には進めそうにない。

「……いつきのお友達かい?」
 物柔らかな声音に、ハッと顔を上げる。
 門の内側から、日傘を差した中性的な青年がにっこりと微笑みかけてきた。
 優しげな顔立ちに、いつきの面影があった。なおみの頬が微かに紅潮する。
「うちの前に、ずっと立っていたからね」
 それで気付いた彼が応対に出てきたらしい。なおみの顔が、数秒前とは違う理由で赤くなる。
「……すみません」
「中に入って待つといいよ。いつきの稽古も、もうすぐ終わるから」
 彼に先導されるかたちで広々とした庭を横切り、部屋に通される。
 茶菓子も出してもらったが、緊張して手をつけるどころではない。
(も、もしかして、この部屋……いつきさんの……)
 カチコチに固まったなおみが、きっちりと正座して待つ。

「待たせたね。来てくれた友達って、なおみさんだったんだ」
 しばらく経ってから現れた明堂院いつきは、今、稽古が終わった所なのか、凛々しい胴着姿
のままだった。なおみは挨拶も忘れて、その姿にポ〜っと魅入ってしまう。
「どうしたの、なおみさん?」
 いつきが優しく……ちょっと不思議そうに尋ねる。
 魔法が解けたみたいに、あわただしくなおみが首を横に振った。
「な、なんでもありませんっ」
 ちらり、と視線を身体の脇に向けた。正座している自分の隣にデパートの紙袋が置いてあ
る。
 まぶしい太陽の色が覗いていた。
「あの…」
 言葉はそこで途切れた。いつきが、座っているなおみに目線の高さを合わせてくる。
 なおみは……視線を逃がした。
 未来には良い事があるかもしれない。けど、同時に悪い事もあるかもしれないから。
(もし、いつきさんに気に入ってもらえなかったら……)
 不安が、ひざの上でコブシを作る少女の手を汗ばませる。
「見せてもらってもいい?」
 やわらかな声に、だめっ、と反応しそうになる。いつきの手が紙袋に伸びる。
 不安と期待。なおみの心で揺れる天秤は、前者に傾きがちだ。
 紙袋の中身が丁寧に取り出される。なおみの心臓が、手で掴まれたみたいに縮こまる。
 

 沢井なおみという少女が、
 明堂院いつきという少女のために、
 そのワンピースは、全てを込めた想いの結晶だった。


「これは、なおみさんがボクに? その…作ってくれたんだ?」
 しげしげと眺めた後、普段よりも静かな声でいつきが訊いてくる。
 なおみの首が一度だけ、深く縦に振られた。
 衣擦れの音。
 ワンピースがまるで宝物を扱うような手つきでたたまれてゆき、なおみの前にそっと置かれ
た。
「なおみさん、少し失礼するよ」
 堅い声音。
 いつきがスクッと立ち上がって部屋を出てゆく。その姿が見えなくなってすぐ、ゴロン!ゴロ
ン!と廊下を転げまわるような騒がしい音が聞こえてきた。

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!」

 全身の力を振り絞って押し殺した歓喜の声はなおみに届かず、その物音に驚いて腰を浮か
せかけた彼女の前へ、部屋を出る前と変わらない凛とした佇まいでいつきが姿を現した。
「な、なにがあったんですか? いつきさん…」
「別に何も」
 無表情で素っ気なく答えたいつきが言葉を続ける。
「それよりも、コホン、…こ、こここれは試着とかさせてもらってもいいのかなっ?」
 平静を装う声の後半は、完全に泳いでしまっていた。
 不安と期待の天秤。
 なおみの胸の中で、わずかに後者に傾く。
 ぎゅうっ、と両目をつむり、ありったけの希望をかき集めて口を開いた。
「いつきさんっ、わたしが作った服、気に入ってもらえましたかっ?」
 なおみの対面に居住まいを正して座ったいつきが、生真面目な態度を崩さず答える。
「ま…まあ、気に入らないというコトは全然ないね。す、素敵すぎる服だし……。ああ…、それに
なかなか良い生地を使っているようだね」
 こわごわとまぶたを上げたなおみが、ふと、自分のひざ元へと視線を落とした。
 すらりとした細腕が……武道の修練で磨かれた美しい手がワンピースに伸びて、それをスリ
スリと物欲しげにさすっていた。
 まるで、待ちきれない子供みたいな所作だった。
 憧れの人の意外な一面を見た気がして、なおみの顔がほころぶ。
「あの……好きなだけ試着していいですよ、いつきさん」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「いつきさん、サイズはきつくないですか? 大丈夫ですか?」
 なおみの言葉は耳に入っても、いつきの意識にまでは届かない。
 部屋に置いた姿見に、ワンピースに着替えた自分の姿を映すことに夢中だった。
「あはははっ」と幸せそうな笑い声を立てて、姿見の前でくるり、くるり、とショーのように回って
みせるいつき。……それがいきなり、なおみに飛びつくみたいに距離を詰めてきた。
 わっ、と驚いた拍子に、なおみが身体を仰け反らせた。
 だが、そんな事おかまいなしで、彼女の両手を、強引に左右の手で包み込んで心の底からの
感謝。
「本当にこの服をボクが貰っていいんだねっ。なおみさん、ありがとうっ! ありがとうっ! こん
な素敵な贈り物は天使様だってくれないよ! 本当にありがとう!」
 はしゃぐいつきが、なおみの手を取ったままクルリクルリと回り始めた。
 最初は目を白黒させたなおみも、すぐに楽しげな笑みを浮かべ、二人で一緒に踊りの輪を作
る。
(いつきさん、喜んでくれてる、すっごく喜んでくれてるっ!)
 二人の足の運びが緩やかに止まり、
「そうだ!」
 いつきの脳裏に、あるアイデアが閃いた。
「ボクもなおみのために、同じくらいカワイイ服を作るよ。そして、お互いの作った服を着て、二
人でどこかに遊びに行くんだ」
 いつきが顔を寄せて「いいでしょっ?」と訊いてくる。

「…………っ!」
 なおみは、自分の顔が熱くなっていくのを自覚した。
 心臓の音が抑えきれないほど昂ぶって、少女の胸を苦しめる。
 不意にいつきの顔がぼやけた。そう思ったときにはもう、熱いモノが頬を伝っていた。
 しばらくして、それが涙だと気付く。
(なんでわたし……泣いて……)
 何かを言おうとして口を開いた。でも、喉の奥で言葉が絡まって、一言も出てこない。
(わたし……わたし…苦しい……息が出来ない……)
 なおみが混乱する。胸がすごく痛い。…違う。何か、甘く痺れるような感触でふさがれている。
「い、つき…」
 ぽんっ、と頭の後ろに優しく手が添えられた。それが「泣いていいよ」と言ってくれたように感じ
て、なおみは遠慮なくいつきの肩に顔をうずめ、泣きじゃくった。
「…いつき……いつきっ! いつきぃ……!!」
 迷惑がかかっている、と思ってもやめられなかった。
 彼女の名を口にすればするほど、胸の中で苦しさが募っていくのに、それでもやめられない。

 いつきのほうもだった。
 名を呼ばれる。その度に、いつきの胸が締め付けられるように苦しさを増してゆく。
(どうして、ボク……)
 沢井なおみの長い髪に、そっと指を這わす。
「……一緒に行こうね。待たせるかもしれないけど絶対に待ってて。約束は必ず守るから」
 いつもよりもずっと自分の声が優しくなっているのを感じた。
 なおみの背に回した腕に、自然と力がこもる。
 初めて他人を抱きしめた感触は、想像以上に軽かった。
 いつきの腕の中で、なおみが「…ハイ」と返事をした。
 そして、頬に涙のあとを痛々しく刻んだ顔で、幸せそうに微笑んだ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「送っていくよ。最近は砂漠の……あっ、いや、怪しい変な人が出没するから」
 門のところまで見送ってくれただけでも嬉しいのに。
 キリッとした白い制服姿に着替えたいつきは、帽子代わりなのか、いつものヌイグルミを頭に
載せていて、凛々しいのか可愛いのかよく分からない。
「心配してくれてありがとう。でも ――― 」
 さすがにそこまで好意に甘えるわけにはいけない…と、なおみが遠慮する気配を見せたとこ
ろへ優しい足音が近づいてきた。
「二人とも、まだ日差しが強いから、これを」
「お兄様」
 いつきに遅れて、なおみも振り返る。
 そよ風めいた微笑を浮かべる明堂院さつきが、いつきに向かって日傘を差し出す。
「ありがとうございます、お兄様」
「 ――― ところでいつき、お茶菓子の残りも少なくなってきたよね?」
 兄の穏やかな眼差しが、それとなく目配(めくば)せをくれる。
 とっさにいつきが呼吸を合わせた。
「そうですね。『はらの』で何か買ってきます」
 日傘を受け取ったいつきが、なおみにニッコリと笑ってみせる。
「やっぱり送っていくよ。だって、おつかいのついでだし、ね」

 遠慮する理由を明堂院兄妹によって取り上げられてしまった……。
 なおみが仕方なく、でも嬉しそうに「はい。お願いします」と返事をした。

 さつきに「失礼します」と丁寧に一礼してから、いつきの差してくれた日傘の下にいそいそと入
る。
「お兄様、行ってきます」
「うん。気をつけて」
 バクッ…バクッ…バクッ…と胸に叩きつけられる鼓動音に、二人の声が重なって聞こえた。思
った以上に身体同士の距離が近くて緊張してしまう。
 沢井なおみの全身は、今すぐ逃げ出したいという気持ちでいっぱいだった。
 しかし ――― 。
「行こうか?」
 いつきから優しく告げられたその一言に、自然と表情に笑みが広がって、
「ウン」
 そう肯(うなず)く声には、さっきまでの気持ちなど微塵も残っていない ――― ただ、弾むよう
な喜びだけがあふれていた。

 明堂院家をあとにした二人は、一つの日傘の下で並んで歩く。
 ……なおみも、そしていつきも、今は特に何かを話そうという気持ちにはなれなかった。この
静かな空気を、じっくりと噛みしめているみたいに。
(あっ…)
 そういえば、わざわざ理由をこしらえてまで送ってくれているというのに、自分はその相手に
日傘を預けたままだ。心苦しくなったなおみが口を開く。
「あ…あの、わたし、傘持ちます」
「えっ? いいよいいよ、ボクが持つから……」
 なおみの手が傘を受け取ろうと持ち上がるが、いつきがやんわりと固辞。
 だが、それだとやっぱりいつきに悪いと思ったなおみが多少強引に傘の柄に手を伸ばして…
…。
「あっ!」
「わっ!」

 二人の手が偶然触れ添ってしまう。
 一瞬驚いて目を合わせた二人が、あわててお互いから視線をそらした。

「えっ…と、ボクたち二人で持つという事で」
「…そ、そうですね」
 くすぐったいような雰囲気が二人の少女を包む。
 歩くたびに、二人の肩がすれ合う。
 一つの傘の柄に添えられた、手と手の感触。
 どれほどの言葉を重ねても、この嬉しさを表現しきれない。

「わたし、待ってます。いつきさんが ――― 」
「あれぇっ、また『さん』付けに戻っちゃうの?」
「えっ」
 いつきがなおみの顔を覗きこんで、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「だって、さっきはあんなにさんざんボクのことを『いつきいつき』って……」
「わわっ、アレはわざとじゃなくて……って、そんなの思い出さないでくださ〜いっ」
 恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
 けれども…。
「ねえ ――― 駄目?」
 いつきにジッ…と見つめられて、なおみの瞳が甘く潤む。
(もおっ。そういう優しい強引さって、ちょっとズルイ)
 クスクスと微笑を乗せた唇が、恥じらいながら開いた。

「いつき…」
 さあ、早く……次はわたしの名前を呼んで、いつき。

「なおみ」
 いつきの顔が照れくさそうに笑う。

 二人の世界は変わった。
 このあと何億回朝と夜が訪れても、「いつき」「なおみ」と呼び合う関係は終わらない。
 初々しく、今この瞬間を祝うように、お互いの名前を舌に乗せる。
「いつきっ。ふふふっ…」
「それじゃあボクも ――― なおみっ。……あははっ」
「待ってるねっ、わたし。いつきの作ってくれた服で、一緒に遊びに行く日を」
「ボクも楽しみにしてるよ。なおみが、ボクの作った服を着てくれる日を」

 二人の肩がくっつく。
 まだまだ少女たちの関係は友情の圏内。それでも、少しずつ前に進んでゆく。
 今はゆっくりと胸の中で育んでいる、
 愛おしいという気持ちが花咲く日を目指して。


(おわり)