その日、なぎさは泣きました
薄桜色の唇が小さくこぼした溜め息は、儚く、すぐに空気に溶けてしまった。
その瞬間、白を基調にした清楚な身なりの少女は、軽く空を仰いでいた。
彼女 ――― 雪城ほのかの瞳に映るのは、どこまでも青く、澄み渡った気持ちのいい空だ。
……なのに、眼差しは悄然(しょうぜん)とした色合いに沈んでいた。
しかし、それも全て一瞬。
同じテーブルに向かい合って座る九条ひかりでさえ気付けなかったほどの、短い時間の出来
事だった。
「ほのかさん、これ、すっごくおいしいですねっ」
ひかりが、一口食べたシュークリームに、明るく声を弾ませた。その鈴を転がすような可愛ら
しい声の響きに、ほのかがにっこりと微笑み返して相槌を打つ。
「気をつけないと、なぎさの分まで食べちゃいそうね」
「はいっ。もしそんなことしたら、怒ったなぎささんにわたしたちが食べられちゃいます」
「それ……なぎさだったら本気でやりそう……」
おいしく二口目を楽しんでいるひかりに遅れて、ほのかもシュークリームを口に運んだ。
「…………」
シュー生地のやわらかな歯ごたえ。クリームの感触は『ふわっ』とまるで雲のよう。優しい甘み
が口の中いっぱいに拡がって、食べ終えた後も、幸せな余韻を残してくれる。
本当に、褒める言葉がいくらあっても足りないぐらいのおいしさだった。
フェリーパークにおける食糧事情の6割を賄う<デザート王国>が、千年に一度のこの日を
祝うために選(え)りすぐったスウィーツは、どれもこれも絶品ばかり。
だからこそ、ほのかを姉のように慕って話しかけてくるひかりに笑顔で答えながらも、その心
は微かに陰(かげ)りを帯びてしまうのだった。
「ほのかーっ! ひかりーっ! 大漁大漁♪ 今年は豊作だよーっ!」
三人を代表してスウィーツの調達に出ていた美墨なぎさが、満面に子供みたいな笑みを浮か
べて意気揚々と凱旋してきた。ただし声が大きくて、周りの人たちの注目を集めまくっている
が。
「……………………」
「……………………」
ほのかとひかりが揃って恥ずかしそうに身を縮こまらせ、赤くなった顔をうつむかせた。
「おい、なぎさっ、は・しゃ・ぐ・なっ! メルポが落ちンだろーが!」
『メー!』
なぎさの頭に乗っかった小さなピンクの妖精が、その無機質なボディごと振り向いて、不機嫌
そうな顔でついてくる運び屋の少年に大丈夫だと声をかけた。
たたっ、と少年の後ろから走り出たツインテールの美少女が、彼の顔を覗きこんで言う。
「メルポは大丈夫だって言ってるよ、シロップ」
「聞こえてたよ ――― って、うらら、オマエさっきのメルポの言葉が分かったのか?」
「うん。最近になってから……あっ、でもまだ、なんとなくだけど……」
春日野うららに、運び屋シロップと彼の相棒メルポ。なぎさ一人だった行きとは違い、同行者
が増えていた。もちろん大歓迎だ。
「いらっしゃいませ、皆さん」
物腰柔らかに微笑むひかりの隣に、うららが座った。「ようっ」と気軽な挨拶に続いてシロップ
も席に着く。
何食わぬ顔で自分も座ろうとしていたなぎさだが、ほのかと視線が合うと、バツが悪そうな笑
みを小さく浮かべてみせた。その表情が白状していた。
(もうっ、なぎさったら!)
新たにテーブルの輪に加わった二人に向かって、ほのかが深々と頭を下げた。
「ごめんなさい、二人とも。……なぎさがお世話になっちゃったみたいで」
「なんだ、バレてんのか。迷子になりかけてたのは黙っててくれって、なぎさから頼まれてたんだ
けどな」
「なぎささんと一緒に、お菓子たくさん集めてきましたよ」
「あっはっは、ここまで送ってもらうついでに、二人にも手伝ってもらっちゃった」
反省の色なく笑ってるなぎさの手の甲を、ほのかが『きゅうっ』と強くつねる。
「なぎさを一人で行かせたわたしが悪かったわ……」
ほのかが両肩を落として呟いた。そこで、ふと気付いて顔を上げた。
「あれ? なぎさも……他のみんなも手ぶらなの……?」
椅子を引いて腰掛けるなぎさに、ほのかが不思議そうに問いかける。
なぎさは"待ってました"という感じで上体をふんぞり返らせ、テーブルを手で示しながら頭の
上にいる妖精に呼びかけた。
「ささっ、メルポ」
『メメーッ!!』
エジプトからの脱出行で海を割ったモーゼのごとく、メルポはピンクのボディに荘厳な空気を
まとい、ちっちゃな両腕を広げて上げた。
『メェェーッッ!!』
妖精の顔に当たる液晶部分が神々しい光に輝く。その小さな位相境界面から、洋菓子や和
菓子、乳製品にスナック類と、多種多様なスウィーツが次々と物凄い勢いで飛び出してくる。
瞬く間に、テーブルの上が美味しそうな光景で埋め尽くされる。
「イエーーイッッ!!」
なぎさが笑顔で表情を輝かせた。それとは逆に、ほのかが言葉を失う。ひかりも、ポカンとし
た顔で固まっていた。
「よっしゃー! 食べるぞー……って、ほのかもひかりも、何遠慮してんの?」
「…え? その……遠慮してるっていうか……」
「ねぇねぇ、シロップっ、この『甘辛カレー風味さばの煮付け大福』って意外とイケるよ」
「うわっ、名前聞いただけで吐きそうだッ。何でンなもんが交じってんだよ!?」
「い、異臭が……」
『メ〜…』
「その手のブツは、うららとシロップに全部任せるね。ほのかとひかりとメルポは、こっちの安全
そうなのを……」
「 ――― ってオイ!」
テーブルを……というか、スウィーツを囲んで、少女たちの笑い声が華やかに交錯し、時折
変なモノを食べさせられたシロップの悲鳴が響く。
「ぐああっ!? なんだよ、この『カレーマンゴープリン』って!?」
「えーっ、美味しいじゃない」
『メェッ、メー!』
「メー、ですか?」
「あははははっ」
なぎさが左右の手に持っていたイチゴのクレープとチョコバナナを、ひょいぱくっ、ひょいぱく
っ、と豪快に片付ける。
(なぎさったら、すごく幸せそう……)
愛しいわが子を見守る母のように、ほのかが静かに微笑を浮かべた。
そんな彼女の眼差しに気がついたのか、なぎさがチラッと振り向いた。そしてサッと手を伸ば
し、適当につかんだお菓子をほのかに押し付けてきた。
「ほら、ほのかもいっぱい食べなきゃ」
「そうね」
なぎさから貰ったお菓子を手の平に転がして、ほのかがゆったりとうなずいた。きらびやかな
包装の、名も知らぬ一口サイズの洋菓子だ。どんな味かしら?と好奇心が刺激される。
「ねえ、なぎさ知ってた? デザート王国のお菓子はいくら食べても、美味しいって幸せが心に
残るだけだから、太る心配はないのよ」
チョコラ姫から聞いた薀蓄(うんちく)を軽く披露しながら包装を解き、その洋菓子を口へと運
ぶ。
全体をホワイトチョコでコーティングした樽の形状。歯を立てると、甘く柔らかに潰れ、とろりと
した中身が舌の上にあふれ出す。まろやかなフレーバーがたちまち口内に染み渡って、舌と喉
を一気に焼いた。
「これ…お酒……?」
「へっ?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
顔をパシャパシャと洗い、洗面所の鏡を覗く。あのウイスキーボンボンのせいで、まだちょっと
顔が赤い。
「ほのか〜、大丈夫?」
後ろから、なぎさがハンカチを差し出してきた。「ありがとう」とほのかが受け取り、顔を拭く。
今は、あれからしばらく経った後。
シロップはシフト表で次のスケジュールを確認して仕事に戻り、うららのほうは彼の代わりにメ
ルポを連れて、色々とアトラクションを回ってみるとのことだった。ひかりも、奈緒や美羽と一緒
に遊ぶ約束をしてあったらしく、ようやく到着した彼女たちをゲートまで迎えにいった。
二人きりになった途端、なぎさとほのかの口数はめっきり減った。なんとなく気まずいような、
そんな重い雰囲気のまま、連れ添ってパーク内を歩く。
「……ごめんね。でも、ほのかを酔っぱらわせて、何か悪いことしようって企んでたワケじゃない
んだよ?」
「当たり前でしょ」
深々と溜め息をついてみせてから、ほのかが隣を見た。なぎさは、まるで飼い主に叱られた
子犬みたいな表情。ほのかは思わず、クスッ、と笑いを洩らしてしまった。
「な〜ぎ〜さっ」
なぎさの肩に、トンッ、と軽い衝撃。
優しく肩をぶつけて彼女の注意を引いたほのかが、重いままのムードをさっさと打開しようと
声を和らげた。
「もう気にしてないから、本当に」
二人の体の距離は、今はもう、くっつきそうなほどに縮まっていた。すれあう手の甲の感触。
「…………」
偶然だったその動きを、ほのかが意図的なものにする。人目を気にしつつ、こっそりと手の
甲同士をこすり合わせる。
「ふふっ、くすぐったいよぉ、ほのかっ」
「駄目よ、しーっ…」
ほのかがもう一方の手の人差し指を立て、イタズラっぽく自分の唇に当ててみせる。その仕
草で、ようやくなぎさも笑顔を取り戻した。
手の甲がいったん離れ、次の瞬間には、ほのかの手の平を柔らかな感触がギュッと握りしめ
てきた。その少し強いくらいの力加減がちょうどいい。
クスクスクス……っ。
ほのかが心から笑う。とてもかわいらしく、同性でも魅了してしまいそうな笑顔だった。
「あのね、なぎさ……わたし、怒ってるのよ?」
「はい?」
「お・こ・って・る・の」
一言ずつ区切って言うほのかの笑顔に押されて、なぎさが一歩身を引いた。でも、手を固く繋
いでいるため、それ以上逃げられない。
(な、なにかあたし、ヤバいことしたっけ? あ、さっきのウイスキーボンボン……)
「 ――― それじゃないわよ?」
まるで心を読んだみたいに、ほのかが顔を覗きこんできた。なぎさが心臓をドキッと跳ねさせ
てうろたえる。
「ごめん、あたし、心当たりが多すぎて……」
「じゃあ、ヒント。一週間前の今日 ――― 」
「フルーツてんこ盛りのフルーツタルトッッ!! ほのかが作ってくれた、すっごく美
味しかったやつ!! アレ、もう一回食べたいっっ!!」
顔に風圧を感じて、今度はほのかのほうが一歩身を引いた。なぎさの声の凄まじい音量に、
周りの人たちもビックリしている。
「す、すぐに思い出すのね。日付言っただけなのに……」
常々思っていたのだが、なぎさの脳は食欲とラクロスに関してだけは鋭敏に研ぎ澄まされて
いる。もし彼女が犬だったら、今頃、歓喜の表現を全身で振りまいていることだろう。
(シッポをブンブン振ってたりして……)
ほほえましい想像をするほのかの前で、なぎさが急にしょんぼりと両肩を落とした。
「あんまり美味しかったから、あたし、ほのかの分までおねだりして…………結局半分もらっち
ゃったんだよね。ごめんなさい…」
「ちがうわよ。あれはそもそも、なぎさに食べてもらうために作ったんだから、かまわないの」
ほのかが苦笑して、話を進めた。
「わたしね、初めてだったけど生地も上手く焼けたし、果物の盛り付けだって色彩と味の調和に
きっちりと気を配って。時間だって午前中いっぱいかかったし、けっこうな自信作だったのよ?
……でもね、ここのスウィーツには負けちゃったみたい」
ほのかが静かに溜め息をついた。微かに浮かべている笑みが自嘲気味に見えて、なぎさを
慌てさせた。
「そんなことないよっ。ほのかの作ってくれたフルーツタルトのほうが断然おいしかったって!」
そうやってキッパリと言い切るも、ほのかにあっさり否定される。
「なぎさはね、顔が正直なの。あの時よりも、今日の表情のほうが輝いてるもの。……本当に
すごく美味しいのね、デザート王国のお菓子って。わたしの腕じゃ敵(かな)わない」
淡々と事実を告げる口調だった。別段、くやしがる素振りもない。その姿がなぎさの瞳には
痛々しく映った。
「そりゃ、怒りたくもなるよね。あたしってば誰よりもほのかの近くにいるのに、ほのかの気持ち
に全然気付かなくて……。無神経なのかな」
「そうじゃないわよ。ただ、なぎさは神経が図太いだけよ、きっと」
「あはは、ほのかの声、ちょっと尖がってきた」
「怒ってるって言ったでしょ? なぎさを言葉の棘(トゲ)で突っつきたい気分」
「耳の穴がチクチクしてきた……」
ほのかは口調こそプリプリと怒ってみせているが、なぎさを見つめる表情は、両方の眉尻を
下げた可愛らしい苦笑のカタチをとっていた。なぎさもまた、そんな彼女の顔を瞳いっぱいに映
してから、愛おしそうに両目を細めた。
「ここのお菓子のほうが美味しくても、あたしはやっぱり、ほのかの作ってくれたお菓子が食べ
たいな。あたしが本当に欲しいお菓子って、美味しいだけじゃ物足りないんだと思う」
上手く説明できない心情をストレートに吐き出して、なぎさが、ニッ、と爽やかな笑みを口もと
に吹かせた。
「お世辞ならけっこうよ」
ほのかはつれない言葉で返すけれど、その声音(こわね)には、隠しようのない嬉しさがこも
っていた。
「そのうちお菓子だけじゃなくて、朝・昼・晩の三食も作って…って言われそう」
「ご飯は大盛りで。デザートもあるといいなー」
「うふふっ、なぎさったらぁ!」
ほのかがいったん繋いでいた手を解いて、なぎさの腕に『ぎゅうっ』と両腕を絡ませてしがみ
ついた。この大胆な行動には、なぎさも顔を赤らめてしまう。
(これって……恋人同士みたいじゃ……。み、みんな見てる場所で……ありえない……)
そんな彼女の気持ちをいち早く察してか、ほのかが上目遣いの眼差しで、このままでお願
い、と訴えてきた。これでは、なぎさもさすがに「離して」とは言えなくなる。
腕に押し付けられた身体のやわらかさとか、ツヤツヤした黒髪の芳気とか、ほのかを構成す
る色んなものが、なぎさの鼓動をドギマギと狂わせる。
(一応、女の子同士なんだけど……ほのかって、もしかして……)
チラッ、とさりげなく、すぐ隣のほのかへ視線を投げかけてみる。天使みたいな面立ちは、ま
るで結婚式に臨む花嫁のように幸せそうな微笑をたたえていて ――― 。
気付かれる前に、なぎさは視線を戻した。さっきよりも顔に差した朱が深くなっている。
ほのかに並んで歩くも、その動きは多少ギクシャクしていた。
「あー、ところでほのか、このままどっか行くの?」
「……。うん、メリーゴーランド。一緒にいいでしょ?」
ふと、なぎさが立ち止まった。肩越しに後ろを見る。
「あれ、メリーゴーランドって、あっちじゃなかったっけ?」
「ちがうわよ。そんな事だから、なぎさってば迷子になっちゃうの」
ほのかがなぎさの腕を引く。やや釈然としない色を表情に残しながらも、なぎさは促(うなが)
されるままに、再び歩き始めた。
「…ていうかさ、あたし、迷子になってないよ。ちょっとなりかけてただけだって」
「ハイハイ」
子供みたいに口を尖らせて抗弁するなぎさを、ほのかが大人の態度で受け流した。
さっきよりも少し速い歩調。
メリーゴーランドは見えてこない。
(ん〜、こっちって入場口の方向だよね。やっぱほのか間違ってンじゃん)
なぎさが口を開こうとした矢先、見知った顔が視界に入ってきた。天真爛漫な笑顔を振りまい
ている小学生の少女とペアで、クールビューティーと形容するにふさわしい容姿の美少女。
「あ、みのりちゃん、薫っ」
「あーっ、チョココロネのおねーさんっ!」
なぎさとほのかが顔を見合わせて、苦笑した。にこやかに手を振る日向みのりを、同伴者の
霧生薫がやんわりとした口調でたしなめた。
「こーら、ちゃんと『なぎさお姉さん』と言いなさい」
涼やかな微笑をたたえて、今度はなぎさとほのかへ軽く会釈。二人はそれぞれのやり方で薫
に簡単な挨拶を返す。
「そうだ、もし良かったら、薫たちも一緒にメリーゴーランドなんてどう?」
社交的ななぎさが、一応二人に声をかけてみる。しかし、彼女の腕を恋人のように抱くほの
かの姿に、薫は気を利かせることを選んだ。
「ごめんなさい、このあと咲たちと合流する予定なの」
「え〜、みんなで乗ろうよ、メリーゴーランド〜〜」
みのりが不満そうに声を上げるが、薫が困ったような色を蒼い瞳に宿すのを見て、すぐさま
「……やっぱりお姉ちゃんたちの所に行く」と笑顔で言い直した。
(うわぁ……)
なぎさが横目でほのかを見て、視線でささやく。
(みのりちゃんって良く出来た小学生だよねぇ。ウチの亮太よりもしっかりしてるよ)
(ふふっ、なぎさも見習わないとね)
(むぅ〜〜……)
即座に返ってきた眼差しを、なぎさが苦虫を噛み潰したみたいな目で見返す。もちろん本気
ではないが。
「じゃあ、みのりちゃん、そろそろ行きましょうか」
「うん。なぎさお姉さん、ほのかお姉さん、またあとでねー」
ちっちゃな手を元気良く振るみのりに、二人が空いているほうの手を小さく振った。
「あっ、ところでなぎさお姉さん」
薫と仲良く手を繋いで数歩進んでから、みのりが思い出したように振り返った。そして、なぎさ
たちが来た方向を指差して教えてくれる。
「メリーゴーランドって、あっちだよ」
「あー、やっぱりだ。……ありがとう、みのりちゃんっ」
みのりたちの去っていく背を見送りながら、なぎさが、ふふんっ、と鼻を鳴らした。
「……だってさ。まっ、ほのかでも間違うことあるよ。気にしない気にしない」
「そうね。 ――― ところでなぎさ、何か食べたいお菓子ってある? もちろん今は作れないけ
ど、次の日曜日でよければ……」
「えっ、ホント? いいのっ?」
「うんっ、もちろんっ」
「それじゃあね〜……、う〜〜ん…………」
ほのかと一緒に歩きながら、なぎさが脳内に蓄えたスウィーツ類のデータをフル検索する。
(さすがに全部食べたい……って言ったら怒られるかな?)
いや、それ以上に何か大切なことを忘れている気が ――― なぎさはパタッと足を止めた。
「ほのか、逆、逆、メリーゴーランドはあっちだってば。みのりちゃんも言ってたでしょ」
「ふふっ、わたしったら、ついうっかり」
「もーっ、しっかりしてよね。ここ、お化け屋敷じゃない」
おどろおどろしいイメージを全く感じさせない外観のホラーハウスとほのかの顔を交互に見
て、なぎさはハァ…と溜め息をついた。
「とりあえず、引き返そうか……」
「でも、まあせっかくだし、ここもちょっとだけ覗いていかない?」
ニコニコと、ほのかが笑顔でなぎさの腕を引っ張る。しかし、なぎさがあらかさまに嫌な顔をし
て抵抗する。
「やだよ。ほのか知ってるでしょ、あたしがお化けとかそういう怖いの苦手だって事」
「だいじょうぶよ、そんなに怖くないから。だって、運営してるのがあのミップルたちよ?」
「う〜ん……確かにそうかも」
メップルやミップルのコミカルともいえる姿を思い浮かべると、恐怖心も和らいでくる。あと一
押しと踏んだほのかが、さらに強くなぎさの腕にしがみついて、
「おねがい、なぎさ、二人で入ってみましょ。……それとも、わたしとなんかじゃ嫌?」
と、誘惑的ともいえる上目遣いで親友の目を見つめた。
「………………」
数秒してから、なぎさが無言で視線をそらした。顔が初々しく紅潮している。もしかして、やっ
ぱりほのかは……などという憶測が胸でふくらんでしまう。
(いやいやいや、何考えてんの、あたし。ほのかとは友達で、しかも女の子同士でありえないっ
ていうか……あれっ? ありえるのかな、あたしも女の子からしょっちゅうラブレターもらってる
し)
毎日ほのか手作りの三食、ご飯大盛り、デザート有り。なんとなくそんな生活が脳裏をよぎっ
て、なぎさの口もとをニヤつかせた。
(ぶっちゃけ……ありえるかもっ)
「お化けなんか怖くないっていう、なぎさのカッコいいところが見たいなぁ」
一層の可憐さを増しているほのかの声に煽られて、なぎさがキリッと表情を引き締め、凛々し
い王子様を演じてみせる。
「ま、あたしも中学三年なワケだしさ、こんな子供だましのお化け屋敷なんて全然怖くないよ」
「さすがなぎさっ! 次の日曜日は、なぎさの食べたいもの何でも作っちゃう!」
「よーっし! じゃあ、ほのか、入るよっ」
かくして、
なぎさは自らの手で地獄のドアを開いてしまうのだった。
(ごめんね、なぎさ)
内心で、ほのかはそっと謝った。
(わたし、怒ってるって言ったでしょう?)
ほのかが、なぎさのため『だけ』に手間暇惜しまず作ったスウィーツよりも、デザート王国のお
菓子全般のほうが美味しい。この日、なぎさの幸せそうな表情によって、そう告げられたのだ。
その通りであることはほのか自身も認めるし、なぎさに悪気がないこともわかっている。
わかっていて……怒ってしまった。
ささやかな仕返しを思いついたのは、なぎさが手をギュッと握ってくれた瞬間。彼女の腕に両
腕を絡ませて抱きついたのは、万が一なぎさに気付かれた際に、逃亡を阻止するためだ。
(そうよ、これくらいしっかり掴まえておけば絶対に逃がすことは無いはず。……けど、本当に
それだけなのかしら?)
ここまでなぎさを誘導しながら、ほのかは何度も自分の胸に問いかけてみた。その度に『あた
しはやっぱり、ほのかの作ってくれたお菓子が食べたいな』という彼女の言葉が思い出されて、
胸の奥が甘く締めつけられた。
次の日曜日は、なぎさの食べたいものを本当に何でも作ってあげようと心に決めた。
そして ―――― ちゃんと謝ろうと思った。
そんなに怖くない、となぎさには言ったが、実はこのお化け屋敷、けっこう過激な恐怖演出が
ウリらしい。先に体験した秋元こまちの話では『八つ当たり村』や『居眠り家の一族』等の恐ろし
いシーンがビックリするほど見事に再現されていたとか。
(なぎさ……………………泣いちゃうかも)
お化け屋敷を震わすほどの絶叫が断続的に響き渡るのは、
このあとすぐのことだった。
(おわり)
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