プリキュアの強さって?


 左右の手をキュウウッ!と強く握ってグーの形を作る。非常にかわいらしい ―― 花の蕾の
ようなコブシだが、それでも少女の勇気を奮い立たせる効果はあった。
(よしっ!)と胸の中で気合を入れて、少女が一歩を踏み出す。
 ゆったり垂れたツインテールの髪を揺らし、物怖じすることなく瞳を正面に据える。
 視線に先にいるのは、その豪拳はダイヤモンドをも叩き砕く(らしい)キュアブラックこと美墨
なぎさと、ひとつの身体にキュアフラワーとキュアムーンライト ――― 二人分のプリキュアパワ
ーを有している(みたいな感じの)キュアブルームこと日向咲。
 現在二人は少女の先を歩きつつ、それぞれの所属する部に関して、雑談を交えながら熱心
に意見交換をしているようだ。邪魔しても大丈夫だろうか、と気おくれしそうになる自分を叱咤
する。
(こ…これも立派なプリキュアになるためですっ! おっきな声で頼まなきゃ ―― もっと強くな
れるよう、特訓をつけてくださいって!!)
 百戦錬磨の、いかにも体育系な先輩プリキュアたちのご指導のもと、自分は最強のプリキュ
アへと進化するのだ。
 大きな岩を担いだまま険しい山を登ったり、滝から落ちてくる巨大な丸太をチョップで叩き割
ったり……。そんな厳しい特訓風景のイメージに、少女が、ごくっ、と息を呑んだ。

 緊張した面持ちで二人の追いつこうと小走りになって……顔の横に、ぴとっ、と何かやわらか
いものが張り付く感じに足を止めた。
「えっ? 何が……」
 思わず言葉をこぼして、横目でそちらを見やると、少女の顔の陰で身を縮めている若緑(わ
かみどり)色の妖精が慌てて「シーッ、ムプ!」と注意してきた。
「ムープ、見ーっっけポポ!」
 今度は足もとで声が上がった。視線を落とすと、白いヌイグルミめいた妖精が大きな耳を弾
ませながら飛び跳ねて、元気良くはしゃいでいた。
「ムプーっ!」
 見つかってしまった妖精も楽しそうにはしゃいで、少女の顔の周りをグルグルと飛び回り始め
た。少女は棒立ちの状態で、目を白黒させるばかりだ。
「キュア〜〜、プリプーッ」
 さらに、ふわーっと空を飛んできたパンダの赤ちゃんみたいな妖精も加わって、場の騒がしさ
が一段と増した。
「あっ…あのっ」
 少女の声はとても遠慮がちだった。誰の耳にも届いていない。妖精たちが少女の周囲を落ち
着きなく動き回っているため、前にも後ろにも進めない。
 そして、妖精たちが次なる遊び場へと移動した頃には、特訓をつけてもらうはずだった二人
の姿は、すっかり少女の視界から消えてしまっていた。

 花咲つぼみは小さく溜め息をついた。その場に立ち尽くして、しょんぼりと肩を落とす。
「えりかなら、あっちにいるわよ」
 穏やかな抑揚で背後からかけられた声に、ハッとして振り向く。
 雪解け水を流す川のように涼やかな風貌が、つぼみと視線が合うと、にっこりと春めいた温
もりのある笑みをはらんだ。その黒髪の少女が、通りの向こうを落ち着いた仕草で指差す。
「ほら、あっちで美希と一緒に……」
 彼女の仕草につられてそちらを見ると、確かにつぼみのパートナーである来海えりかがい
た。
 ファッション部部長で、将来の夢はデザイナー兼スタイリストという彼女が、売出し中のモデル
である蒼乃美希へ……例えは悪いが、発情期を迎えた犬みたいに猛烈にがっついていた。
 完全に美希を自分のペースに引き込んで、なにやらすごいスピードでメモを取っている。
(……えりかったら。授業の時も、これくらい真剣に頑張ればいいのに)
 くすっ、と笑みが口もとをかすめた所で、つぼみは自分の目的を思い出した。
「あっ、えっと、その…、えりかを捜していたわけじゃ……」
 親切に感謝して、つぼみがぺこりと頭を下げつつ弁明する。そして、ふと思いついた。

 ――― この人に特訓をつけてもらってもいいんじゃないだろうか、と。

 つぼみが頭を上げて、相手を正面から見る。キュアパッションこと東せつな ――― 一度命を
落としたが、すぐさま死後の世界から舞い戻ってきたという不死身の戦士(…だと小耳に挟ん
だ)。さっきの二人に負けず劣らず、この人も充分に凄いプリキュアだ。
 よしっ!と、つぼみが心に気合を入れなおした。
「すみませんっ、突然で不躾なのは承知してますが、もしよろしければ私に特訓をつけてくださ
いませんでしょうかっ!?」
 そこまで一気にしゃべってから、つぼみが深々と頭を下げなおす。彼女の意気込みと突然の
頼みごとに驚いたのか、せつなが軽く身を引きながら訊き返す。
「…えっ? ダンスの特訓……かしら?」
「いえいえ、ダンスではなくて、戦いの特訓です! 私、プリキュアとしてもっと強くなりたいんで
すっ。強くならないといけないんです!」
 みんなの心の花を守るためにも……そして、自分をパートナーと認めてくれたえりかのため
にも……。
 知らず知らずのうちに、両手が小さなこぶしを握って、胸の高さまで持ち上がっていた。
 少しは事情が呑み込めたせつなが、つぼみの瞳が訴えかけてくる真剣な想いを見て、静か
にうなずきかえした。
「わかったわ」
 まずは第一の関門クリア。ということで、つぼみの顔が明るくなる。だが、すぐにその顔を左
右にブンブンと振って、気を引き締めなおした。
 せつなが近くのベンチに目をやって、「とりあえず座りましょうか」とつぼみを誘った。
「ハイッ!」
 一も二もなく、元気よく返事をして、つぼみがせつなについてゆく。そして、彼女の隣に行儀よ
く腰掛けて、特訓内容の説明を待った。
「……………………」
「……………………」
 顔を正面に向けたまま、せつなは何かを考えているようだった。ちょっとドキドキしながら、つ
ぼみは待ち続けた。
「そうね…」
 ようやく口を開いたせつなの言葉に、つぼみの心臓は跳ね上がりそうになった。揃えられた
両ひざの上で、ギュッとこぶしを握る両手の内側が汗ばんでくる。
「えりかとの仲はいいのよね?」
「は…はいっ、もちろんです!」
 身を乗り出すようにして答えるつぼみに、せつなが微笑みをこぼした。
「そう。……じゃあ、えりかと一緒にアレに乗りなさい」
 そう言って、せつなが指差したのは、
 ――― 観覧車だった。

 せつなの指差す方向を追ったつぼみが、さっそく言葉を失った。しかし、すぐにせつなの言葉
の意味を深く考察し始める。
(つまり、えりかと一緒にあの観覧車でスゴイ特訓をしろ、ということでしょうか? でも観覧車で
一体どんな特訓を……?)
 特訓について、あくまで生真面目に考え込むつぼみの隣で、せつなが物静かに語った。
「あの観覧車の一番上から風景を眺めたら、きっと気持ちいいんじゃないかしら。二人にとっ
て、いい思い出になりそうね」
 ガーン! と、つぼみがショックを受けてしまう。
(ほ、本当に乗るだけ……? 特訓はどうなったんですか〜〜…?)
 せつなはうっとりと瞳を細めて、ここにはいない少女に想いを馳せながら「わたしもあとでラブ
を誘って……」などとつぶやいている。
 この人に特訓を頼んで大丈夫だったんだろうかと疑惑の念を抱き始めたつぼみが、ぎこちな
く呼びかけてみる。
「あ、あ…あの……せ、せつなさん……?」
 そんなつぼみの顔を見返して、せつなが苦笑して肩をすくめた。
「今は空気を読んだほうがいいかも。ほら、あなたのパートナー、美希に物凄く熱心に質問して
るでしょ? 観覧車に誘うのは、しばらく待ちましょう」
「そ…そうではなくて……と、と、と…特訓を……」
 つぼみがハッと何かを悟った顔付きになった。せつなが何を言いたいのか分かった ――― 
ような気がしたのだ。
「つ、つまり、これから命をかけた特訓を開始するので、えりかと観覧車に乗って人生最後の思
い出を作っておくように……そういうワケですね?」
「ううん、ちがうわ。あの観覧車をえりかと一緒に楽しんでくるのが特訓よ」

 一瞬だけ、つぼみの時間が完全に停止した。

 自分でも意識せぬままに、呆然とした声が口から洩れる。
「岩を担いだり、丸太を叩き割ったりとかは……」
 もしかして、からかわれているのだろうか。それとも、自分みたいな弱いプリキュアなど特訓
する価値もないとあしらわれているのだろうか。
「そういう特訓は、やるだけ無駄ね。そんなことしたって、あなたは強くなれないもの」
 そのせつなの言葉を受け、つぼみがベンチに腰掛けたまま、やるせなく両肩を落とした。
(あしらわれているほうでした……)
 騙されたと思ったけれど、せつなに対して怒りは湧かない。胸に湧き上がってきたのは、やっ
ぱり自分なんて……という諦めの気持ちだけだった。

「あなたは ――― キュアブロッサムは、弱い」
 追い打ちをかけてきたせつなの声。はっきりと告げられて、さらに落ち込む。

 そんなつぼみにかまわず、せつなが言葉を続けた。
「あなたのパートナーであるキュアマリンも ――― 弱い」
 それを聞くと同時に、しょんぼりしていたつぼみの目つきが変わった。
 自分のことなら、何をどんなに言われてもかまわない。
 けれど……っ!
 けれど…………っ!

「あなたに……、キュアマリンの何が分かるんですか……」
 静かな声の響き……だったが、隠しようもない怒りがそこには存在していた。
「確かにあなたは私よりも強いですよね。でも、だからって、キュアマリンの悪口まで ――― 」
 キッ!とせつなを強く睨みつける目の端には、涙さえ滲んでいた。
 つぼみのまっすぐな眼差しを逃げずに受けとめて ――― せつなが優しく微笑んだ。
「もちろん、わたしだって ――― 弱い」
「えっ?」

 せつなが、次々とプリキュアの名前を口にしては、その後ろに「弱い」と続けてゆく。
 軽く混乱を覚えているつぼみへ、最後にせつなが質問した。
「そんな弱いわたしたちが、今回無事レインボージュエルを守り通せたのは、どうしてかしら?」
「それは……みんなで力を合わせたから ――― 」
 そこまで口にして、つぼみの表情が変わった。まるで心を重く塞いでいた濃い霧が晴れたみ
たいな、すっきりとした気分だった。
 ようやく答えにたどり着いたつぼみへ、せつなが大きくうなずいてみせた。

「キュアマリンと力を合わせたキュアブロッサムは ――― 強い」

 せつなの言葉を胸の中で噛みしめてから、つぼみが力強い声で「ハイッ!」と返事をした。
「おぼえていて、つぼみ。わたしたちプリキュアの強さは、ここにあるの」
 せつなの白い手の平が、つぼみの胸の真ん中に当てられた。
 つぼみとせつな ――― 二人の少女が顔を見合わせて、うなずきあった。そして、どちらから
ともなく清々しい笑い声をこぼした。
 せつなの手の上から、自分の手の平を当ててみる。
(でも、やっぱり私はまだまだ未熟です)
 特訓する必要を感じた。もちろん岩を担いだり丸太を叩き割ったりするのではない特訓を、
だ。まずはえりかと一緒に観覧車に乗って、たくさんおしゃべりして、景色を楽しんで……。
「じゃあ、つぼみ、悪い魔女にたぶらかされているあなたのお姫様を救出に行くわよ」
 先に立ち上がったせつなに、ぐいっ、と手を引かれ、つぼみがベンチから腰を浮かせる。
「えぇっ? でも、えりかは今、美希さんと……、それにさっき……空気を読んだほうがいいって
……」
「大丈夫よ、空気は読んでるわ。その上で、それを壊しに行くのだから問題なしよ!」
「どこが問題なしなんですかっ!? 無茶苦茶ですぅ〜〜っ!」
 抵抗するつぼみを、せつなが問答無用でずるずると引きずって歩く。

 騒々しく近づいてくる二人に、えりかも美希も気がついた。
「なんだろ…?」
 事情は分からないが、えりかがメモをしまって、ぺこっと美希に向かって一礼。
「んじゃ、美希、またあとでね〜」
「ええ。またね、えりか」
 引きずられてきたつぼみを回収したえりかが、去っていく二人の少女へブンブンと手を振りま
くった。
「 ――― で、つぼみ、どうしたの?」
「あ、あのっ……」
 何をどう説明してよいのやら分からない。けれど、心はもう決まっていた。
「えりかっ! あれに一緒に乗りましょう!」
 つぼみが観覧車を指差す。そちらを見たえりかが「うん、いいよ〜」と軽い調子でうなずく。
「でも意外と子供だよね〜、つぼみって。そんなに目輝かせて観覧車に乗りたがるなんてさ!」
「そうじゃないけれど……」
 観覧車のあるほうへ向かって歩く二人の手が自然と繋がる。
「えりかと一緒に……乗りたいの」
「うん、あたしも。つぼみと一緒だったら何だって楽しいもんねー」
 普段と変わらない会話なのに、なんだか急にドキッとして、一瞬だけ彼女の手を握る力が強
まった。えりかはちょっと驚いたような顔になって、でもすぐにいつもの表情に戻って、

 ――― 同じくらいの強さで手を握り返してきてくれた。

「つぼみーっ、今日はいっぱい楽しもうね!」
「はいっ! 二人のいい思い出をたくさん作りましょう!」


(おわり)