一月一日の冒険


 冬の夜空がとても綺麗に澄んでいて、そのぶん風が冷たかった。
 幅広いアスファルトの道路に併走するコンクリートの石畳は氷のように冷たく、かつ風をさえ
ぎってくれる家並みも途切れ途切れだ。
 コンクリートの冷たさが、靴を通して足へと這い登ってくる。その身に吹き付ける風は容赦なく
体温を奪っていく。
 二人の少女が隣り合って歩く。まぶしかった不夜城めいた駅周辺を背後にし、続いてゆく道
は暗く、長く。
 なぎさが首に巻いていたマフラーを解いて、それをほのかの首に巻きつけた。ほのか自身も
マフラーをしていたので、二重になる。首の周りがふわふわで、もこもこ。
「なぎさが寒くなっちゃうでしょ」
「アタシはいーのっ」
 本当はすごく寒いけれど、『なんでもない』という表情を崩さない。ほのかと視線が合うと、ニッ
と軽く白い歯を見せて男の子みたいに笑ってみせる。でも、吐く息の白さまでは隠せない。
「……帰りましょう、なぎさ」
「えー、初日の出見るんじゃなかったの?」
「………………」
 厚手のコートに身を包んだ二人が、言葉なく寒空の下立ち尽くす。ほのかが愁いを含んだ目
線をじっと足元に落としている。
「……あのさ」
 なぎさが何気ない口調を意識して切り出した。
「したくなかったら、そう言えばいいんだよ? アタシだって、無理にほのかを組み伏せてまでや
りたいわけじゃないし……」
「組み伏せてたじゃない。おもいっきり」
 思い出して、なぎさが「そうだっけ」と笑う。
 たった数時間前の12月31日。こたつで眠ってしまいそうななぎさを、引っ張り出して寝室ま
で連れて行こうとするほのか。温かいこたつから離れたくなく、抵抗するなぎさ。
 子供みたいなじゃれあいが始まり、そして……自然に唇が交わった。
 いつの頃からか、なぎさはほのかに「愛している」という言葉をささやかなくなった。その代わ
り、熱いキスで言葉よりも雄弁に、その想いを直接ほのかの肌へ伝えるようになっていた。
 なぎさの唇が、あごの方へ滑り下りていった。
「あっ…」
 震える声でわななく白い喉に、ちろっ…といたずらっぽく舌が這う。まずは味見。続けて、熱い
唇を強く押し当てる。
「…………」
 いつもみたいな興奮の喘ぎは無く、無言が返ってきた。でも、身体はちゃんと反応している。
「……ほのか、今日も後ろでイッちゃう?」
 白い喉へゆっくり舌を滑らせながら、ほのかの太ももから腰にかけて、なぎさの手が優しく往
復した。慣れた手付きの愛撫に、ほのかが腰を、もじっ…、とくねらせた。
 なぎさの耳が、かすかにほのかの呼吸が速まったのを聞き取る。ほのかの一番可愛らしい
姿を、一晩中たっぷりと愛してやりたい。
 畳へ押し付けた華奢な肢体に、なぎさのラクロスで鍛えた身体が覆い被さる。ややスリムめ
の体躯は、女性的なしなやかさと中性的な力強さに研ぎ澄まされて、同性を魅了せずにはいら
れない。
 見上げるほのかの瞳が潤みを増した。
 愛撫されている時以上に、ほのかの吐息が震えていた。恥らうように、そっと…。でも、心の
昂ぶりを隠しきれない。
「待ちきれないんだ、ほのかってば。…いいよ、焦らさないで気持ち良くしてあげる」
 なぎさの手が、ほのかのパジャマにかかった。
「 ―― ごめんなさい」
 スッ、と下から伸ばされた手が、なぎさの手の甲に重なって、脱がそうとするのをやめさせ
た。
 海へ初日の出を見にいきたい。ほのかが唐突にそんな事を言い出した。そそくさと身支度を
整えたほのかに連れられて電車に乗り、なぎさの知らない駅で降りた。
 それからもう20分近く、ただ歩き続けた。その足をようやく止めて、ほのかが、ぽつり、と洩ら
した。
「なぎさにされるのが嫌で逃げ出したわけじゃないの」
 胸の上に手を置いて、ほのかが言葉を続ける。
「初日の出は口実。ただ火照りだした身体を冷やしたかっただけ。……本当はね、この道が海
に続いているかどうか、私も知らないの」
「………………」
 なぎさは黙って聞き役に徹してくれた。ほのかが気恥ずかしそうに双眸を細め、ほんのりと頬
を赤らめた。
「なぎさとするのは大好きだよ。こんなこと言うの恥ずかしいけど……お尻の穴いじられるのと
かも慣れちゃったし、もっと過激なエッチも試してみたいと思う」
 そこまで言葉を続けて、両手ですくい上げたマフラーに、カーッと熱くなった顔を埋めた。自ら
の過激発言に羞恥心が耐えられなくなったらしい。

 しばらくそのままの姿勢で立ち止まってから、まだちょっと赤い顔をマフラーから離し、静かな
口調で言葉の続きをつづった。
「でも、女の子同士って、いくら頑張っても赤ちゃん……作れないよね」
「……ほしいんだ、ほのかは」
「うん。なぎさが種をくれて、私がお腹の中で育てて。二人が愛を溶け合わせて、大切な命を生
み出すの」
 胸に置かれていた手が、ゆっくりと腹部まで滑り落ちて……そこで止まった。
「なぎさは、私の全てを指と唇で求めてくれる。ベッドの中で、あんなに熱く溶かしてくれるのに
……どれほど愛し合っても、私のここに赤ちゃんの鼓動が響くことはないの」
 激しく燃えるような行為の最中でも、むなしさが胸をかすめるようになった。ただ、それが嫌だ
った。今夜みたいに、逃げ出してしまうほどに。
「さみしい? 赤ちゃんできないと」
「さみしいし、くやしい。神様に直訴したいくらい。私たちの愛を否定しないでって」
 腹部を悲しげに一撫でしたその手の上に、なぎさの手の平が重ねられた。 ―― 温もり。
 その日、星空がとても澄んでいた。
 世界を吹き抜ける風は冷たくて、二人の少女を拒絶するかのようだった。
 なぎさの眼差しが、キッ、と暗い道を睨みつけた。
「 ―― 行こうっ」
 ほのかの手を握って、なぎさが優しく一歩を踏み出す。電灯の設置もまばらで、暗い道だっ
た。
「えっ?」
 戸惑うほのかへ、なぎさが爽やかな笑みを見せ付けた。
「初日の出、見にいこうよ」
「えっ、でも、この道は…………」
「海まで行けるかも知んないじゃん!」
 ほのかが手を引かれて、足を一歩前に踏み出した。でも、次の一歩は自分から踏み出した。
「……うんっ、行ってみよう、なぎさ!」
 手を繋いで二人駆け足。抜きつ抜かれつを繰り返し、足音を楽しげにコンクリートの石畳に
踊らせる。
「ほのかはさっ、ぼし…ぼしん何とかが強いんだね!」
「ぼし? ……戊辰戦争?」
「そうそうっ」
「 ―― じゃなくて、それを言うなら母性本能でしょっ。戊辰戦争は、鳥羽・伏見の戦いから始ま
って箱館戦争まで続いた新政府軍と旧幕府軍の戦争よ」
「あははっ」
 二人が競争するみたいに石畳の上を駆ける。その足取りは奇妙なくらい軽かった。うっすら
汗をかいてくると、そこからは汗冷えを警戒して、普通の速度で歩くように努めた。
「なぎさは、お父さんになりたい?」
「亭主関白させてくれるんだったらいいよ」
「いいわよ。あと、鍋奉行も任せてあげる」
「じゃあ、今日の晩御飯はお鍋にしようよっ!」
「おせち料理は?」
「お昼に全部食べる! …あっ、見て、ほのか、この自動販売機100円売りじゃんっ! ラッキ
ー。ほのかも何か買う?」
「……ここで割り勘なんて、無粋なこと言わないよね、な・ぎ・さ・は」
 ニコニコと天使の笑顔になるほのか。
 自分の分だけを買うつもりだったなぎさは「ハ…ハハハ…」と空笑いしながら、財布の中から
100円硬貨をもう一枚つまみ上げた。
『ガシャコン!』と出てきた温かいペットボトルで、まずは二人とも、冷えた手の平をじんわりと
温める。
 キャップをひねって、ふと、なぎさがイイコトを思いつく。
「そうだ。ねえ、ほのか、これ飲ませてくれない?」
 ほのかの手に、自分のペットボトルを押し付ける。なぎさのやりたい事を察したらしく、ほのか
が軽く溜め息をついてみせた。
「もお、ここは家の中じゃないのよ」
「誰も見てないからいいじゃん」
 なぎさから手渡されたペットボトルの飲み口を、自分の口まで運ぶ。そして熱い中身を口の中
に含む。
 なぎさがまぶたを下ろして、それを受け取るために顔を近づけた。
 唇が重なる。
 ほのかが、こぼさないようにゆっくりとなぎさの口の中へ流し込んでゆく。口うつしされた温か
い飲み物を、なぎさの喉がこくこくと嚥下した。
 二人の唇が離れる。
 ほのかが自分のペットボトルをなぎさの手に滑り込ませた。
「今度は私が飲ませてもらう番」
 そう言って、ほのかが静かにまぶたを下ろした。
 星空の下での、秘密の飲ませあいっこ。
 二人のペットボトルがすっかり空になってしまったあとも、なぎさからほのかへ、ほのかからな
ぎさへ、何度も繰り返し唇が重ねられた。
 甘く仲睦まじいムード中、調子に乗ったなぎさが、ほのかの舌を求めてきた。キスでとろけた
唇を、舌先がスルリと割る感触。まぶたを上げて、ほのかが反応する。
「んっ…!」
 ほのかがニ三歩、後ろへ下がった。その身体が、ぐいっと強引に抱き寄せられた。ほのかを
逃がさないための抱擁。
 侵入してくる舌の、情欲に昂ぶった動き。ほのかの舌の表面を、ねっとりとした感覚が這って
ゆく。ほのかがビクッと身体を強張らせた。
(誰も見てないからって……さすがにこれは駄目よ、なぎさ……)
 ほのかの両腕が、身体を抱き締めるなぎさの手を外そうと抵抗するが全然かなわない。背中
が、どんっ…、と自動販売機に押し付けられた。
 少し強引に求められるくらいが好き。ほのかのそういう所を、なぎさはしっかりと見抜いてい
た。抱き締める力をさらに強めて、"ほのかが欲しい"という気持ちを伝える。
(駄目よ、なぎさ……やめて……)
 いけないと思いつつも、心が陥落させられそうになってしまう。
 ほのかだって、本当は、"なぎさが欲しい"。
 口の中で、舌が乱暴にもてあそばれる。ほのかの唇の脇から溢れた唾液の筋が、あごを伝
い落ちてゆく。
 ゾクッッ ――― ゾクッッ ――― 。
 甘美な痺れがほのかの背を駆け上ってきた。でも……。
(やっぱりこんな所で……いけませんっ!)
 調子に乗りすぎる子にはお仕置きが必要だ。
 ほのかの右足のかかとが、思いっきりなぎさの足の甲に踏み下ろされた。
「う゛っ」
 その痛みに驚いたなぎさが顔をしかめて、舌が引っ込ませる。ひるんだ隙に、ほのかの両手
がなぎさの身体をぐいっと押しのけた。
「さっ、飲み終わったんだから早く行きましょ」
 ほのかが空のペットボトルを販売機脇のゴミ箱に捨て、何事も無かったようにスタスタと歩き
出した。
「ま、待ってほのか〜、そんなに怒んないでよぉ〜…」
 ペットボトルをゴミ箱に捨ててから、なぎさが足の痛みをこらえて、その背中を追いかけた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 歩き続けて……歩き続けて……さすがに脚に疲労がたまってくる。二人ともだんだん口数が
少なくなっていった。でも、足は止めない。
「日の出まで、あと何時間ぐらいかな?」
「まだ二時間もあるわ」
「休む?」
「ううん、歩きましょう、なぎさ」
 ほのかが首に巻いていた二人分のマフラーを解いて、笑顔の裏に疲れを仕舞いこむ。彼女
のほっそりとした脚には酷な距離だった。体育系のなぎさですら疲れを隠せない。
 でも、潮の匂いを感じた。途端、二人は駆け出す。
 大きな業務倉庫の立ち並ぶ埠頭の一番奥、そこで世界は途切れていた。その先は、暗い空
の色に染まった海がどこまでも広がっていた。
 どっと疲れが出てきて、二人同時にへたり込む。そして、顔を見合わせて笑った。
「あはははっ、本当にあったね、海」
「うんっ」
 吹きつけてくる風が強い。二人が倉庫の陰に移動して、身体を寄せ合った。
 どちらからともなく、冷えきった唇を温めるために重ねあう。
 キスを続けながら、なぎさの両手がほのかの右手を包んだ。ゆっくりこすって温めてやる。そ
の次は左手を。
 それが終わると、ほのかが腕に持っていた二人のマフラーを巻きつけてきた。キスで繋がっ
たままの二人の首を一緒に包み込む。
 二人がまぶたを開いて、間近で見つめ合いながら唇を離した。
「ほのかの息……あったかい」
「うん。興奮してるの」
 頬を上気させて、ほのかが言う。「じゃあ、ここでする?」となぎさが誘うように微笑んだ。
 ほのかが微笑み返して、でも首を横に振った。
「ここじゃ駄目。……その代わり家に帰ったら、なぎさの好きなこと、何だってさせてあげる」
 なぎさの唇が、ほのかの耳の縁側に触れた。その状態でささやく。
「帰るまでガマンできる?」
 耳たぶを優しく噛まれる。
「やんっ」
 ほのかがくすぐったがって顔をそむける。でも逃がしてもらえない。すぐにまた、なぎさの唇に
捕まってしまう。
 敏感な耳の内側で舌先を踊らされて、ほのかが全身を悶えさせた。
「やめて、なぎさ、やっ…く、くすぐったいってばぁ」
「ふふっ、早く降参しちゃえ」
 マフラーに埋もれながら、二人の顔が楽しそうにくっついたり離れたりを繰り返した。

 穏やかな波の音。
 朝を待つ二人は、手を繋いで、倉庫の壁に背中を並べて預けながら座り込んでいた。最初は
「お尻汚れるからヤだ」などと言っていたなぎさも、溜まった疲れには勝てなかった。
 ほのかが何度目かのまどろみを迎えた頃、鼓膜を小さな声が叩いてきた。
「…ごめんね、ほのか」
 ほのかがすぐ隣にある顔を見つめた。半分眠っているなぎさが、こっくりこっくり舟を漕ぎなが
らも唇を動かした。
「赤ちゃん…妊娠させてあげられなくて……ごめん」
 ほのかが何かを言おうとしたが、こみ上げてきた感情で胸が詰まってしまって言葉が出な
い。目から涙が溢れそうになるのを上を向いてこらえて、無理やり笑顔を作ってみせる。
 隣にあるやわらかな温もりの固まり。
 こんなにも互いを求め合って、想い合って、永久不変に一緒でありたいと願う。
「私が好きになった人がなぎさで……私を好きになってくれた人がなぎさで、本当に心から幸せ
です」
 その言葉を空へと放った。

 世界を包む闇色が薄まってゆく。ほのかが腕時計で時間を確認して、「なぎさ」と呼びかけ
た。
「そろそろ……行きましょう」
 ゆったりと鼓膜を打つ潮騒。二人の見つめる先で、海がたっぷりと時間をかけて暁の色に染
まっていく。
 オレンジの丸い輝きが海の遥か向こうから覗いた。
 一年で最初の太陽の光。
「初日の出……だよ、ほのか」
「ええ」
「ほのか、ぶちかましちゃえ」
 笑って煽るなぎさに、ほのかがとびっきりの笑顔を返した。大きく息を吸い、吐き、身体を慣ら
してから、口に両手を添えて大声で叫ぶ。
「神様のバカアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
 真っ直ぐ太陽に向けて、その言葉をぶつけた。こんなに罰当たりな事をするのは初めてだっ
た。でも、胸が軽くなったような気がする……。
 隣でなぎさがパチパチパチ…と拍手。
「あけましておめでとう、ほのか。今年もよろしくね」
「こちらこそ。あけましておめでとう、……あなた」
 最後の「あなた」は視線を伏せ気味にして、ちょっとモジモジしつつ言った。なんだか、新婚夫
婦のいじらしさだ。そんなほのかを、なぎさが強引に抱き寄せた。
「なぎさ……」
「見せつけてやろう、神様に。アタシたちが愛し合ってるのは間違いじゃないって」
 緩やかに輝きを増してゆく朝日の中、どこかから見ている神様に向けて、二人が熱烈なキス
を交わしてみせた。女の子同士だって立派に愛しあえるんだという証明。
 突然、波が荒れ始めた。
 二人の足元 ―― 整備された岸壁に当たって砕け、『バッシャン!』と盛大に波しぶきを跳ね
散らした。
「きゃっ」
 脚にかかった真冬の潮水の冷たさに、ほのかが悲鳴を上げた。二人がキスを解いて、そこ
から飛びのいた。
 波は幾度も岸壁に当たって砕け、彼女たちの足元に波しぶきの雨を降らせた。
「神様が怒ってるよ。そういうことは家でやれってさ」
「ふふっ、嫉妬させちゃったかしら?」
 いたずらっぽく微笑みあったあと、二人が朝日に背を向けて一目散に駆け出した。

 そして、
 ……駆け出して10分後。
「ねえ、ほのか〜、駅まだ〜〜? おなか空いてもう歩けなーい」
「泣いても駅は近づいてこないわよ。ほら、早く歩きましょ。……あと数時間ほど辛抱よ」
「ありえなぁぁぁぁぁぁいっっ!!」

 今年一年、笑ったり喧嘩したり、時には泣いたり。楽しい時ばかりではないけれども、
 でも、そんな時間が二人にとって何よりも宝物。
 なぎさとほのか、二人が一生懸命育んでゆく『愛』は、神様だって否定できないほどにまぶしく
輝いていた。



(おわり)