Yes! ふたりはプリキュアっ! 06

 ずるり…と蛇身の尾がくねって、ハイドラの上半身がゆっくりと持ち上がっていく。屍が動いて
いるような不気味さが、二人の胸に恐怖となってこみ上げてくる。
 ハイドラは、長い鉤爪の指をめいっぱい広げた左手で顔を覆っていた。
 その手の下から覗くのは、漆黒の ―― 仮面 ―― 。
 虚ろを覗かす双眸に、大きく突き出た鷲鼻、薄い三日月の形に裂けた口。作りはコワイナー
の面と同じだが、帯びている闇の力には天と地の差があった。敵の絶対的殲滅と引き換えに、
被った者を滅ぼす最終手段の処刑凶器。
「くくくくく……」
 押し殺した笑い声と共に、ハイドラの姿が闇色に呑まれていく。仮面が媒介となって、主君で
ある狂王の力の一端を顕現させているのだ。その代償として、自らを失うことになろうともハイ
ドラに迷いは無い。
「これを使った以上、すぐに私は私でいられなくなる。だがプリキュア、オマエたちも終わりだ…
グオオオオオオオオオオオオオオ!!!!
 自我が完全に崩壊し、もはや己が身の破滅の時まで戦い狂う存在へと堕ちた者の咆哮。そ
れに呼応するごとく、地に落とした影が八尾に分かれ、それぞれが闇の巨蛇となって実体化
し、ハイドラを中心にして方陣を敷く。
『シュゥゥゥゥゥ…………』
 鎌首をもたげて、毒牙をむき出しに威嚇する影の蛇たち。中央に座するハイドラの蛇身から
伸びるそれらは、彼女を守る砦であり、同時に八本の鉾(ほこ)でもある。
 何の予兆も無く、八匹の蛇がプリキュアへと殺到した。その攻撃速度は、速すぎて目に見え
ない。攻撃の気配を読むのではなく、直感で飛びのいたキュアブレイブとキュアエスポワール。
ギリギリで回避した二人の傍らを暴風が吹き荒れた。
「クッ…!」
 まともにハイドラに近づこうとすれば、これら蛇による連携の取れた超高速カウンターが脅威
となることは想像にたやすい。
 ハイドラさえ倒せば全てが終わる。キュアブレイブが、すでに態勢を立て直している蛇の包囲
陣を読み解き、狙撃点を一瞬で見極める。その一点へと向け、輝く右手の拳が真っ直ぐに突
き放たれた。
「プリキュア・ブレイブエクスプロード!!」
 走る蒼炎の奔流。蛇たちの反応速度を超えて、その包囲陣をすり抜ける。だが、闇を焼却す
る聖なる炎が体に直撃するより早く、ハイドラが左腕の鉤爪を力任せに振り下ろして斬り伏せ
る。
『ゴゥンッッ!!』と爆発したみたいに弾け散る蒼い炎。それを蹴散らして、ほとんど瞬間移動
に近いスピードで八蛇全てが飛びかかってきた。
 右手の拳を全力で振り抜いた隙が大きく、キュアブレイブには対処できない。全ての蛇による
必殺の一斉攻撃。それを無防備な体勢のまま受けざるを得なかった。
(―― 生き残れる?)
 確証が持てぬまま覚悟を決める。しかし、その刹那、彼女の瞳が映したのは、前傾姿勢で飛
び込んできたキュアエスポワールの後ろ姿。
「プリキュア・エスポワールシールド!!」
 胸の前で両腕を]字にクロスさせて、前面にだけシールドを展開させる。通常の全方位展開
型よりも密度の凝縮された強靭な光盾。突撃してきた蛇の幾つかを弾き返し、残り全てを受け
止める。
「くぅッ!!」
 攻撃はかろうじて受けきってみせたものの、重い衝撃が盾を貫き、両腕の骨が折れそうに軋
んだ。前傾姿勢に構えていたはずの身体も、蛇の突進力に押されて、ぐぐぐっ…と背骨が仰け
反っていく。大地を踏みしめていた靴底も、摩擦熱で煙を上げていた。
(たとえ、このカラダが砕け散たって……ッ!!)
 背後に守りたい人がいる。それはキュアエスポワールというよりも、秋元こまちとしての覚悟
と想い。
(ブレイブは ―― かれんは、愛を誓い合った一番大切な人……守りぬいてみせるッ!)
 攻める蛇と守る盾。時間にして、たった一秒にも満たない短い攻防だったが、キュアエスポワ
ールが蛇の攻撃を凌ぎきってみせた。そして、その攻防が稼いだわずかな時間が、キュアブレ
イブを勝利へと導いた。
 たんっ、とハイドラの顔を跨ぐカタチで、その両肩に舞い降りた。反射的に上を仰いだ仮面を
射抜くのは、冷たく澄んだ気高き眼光。
 仮面の口部分が『ガパッ』と開いて、闇を高圧縮したエネルギー塊が撃ち出された。
「悪あがきッ!」
 完全にその弾道を見切ってかわし、身を屈めて、右手の拳を仮面に当てた。そして、残って
いる力の全てを拳に集中させる。
「プリキュア・ブレイブエクスプロードォォォォッッ!!!!」
 ゼロ距離・密着状態から最大火力で叩きつけられた蒼炎の鉄槌。蛇たちがキュアブレイブの
迎撃に転じようとした瞬間には、漆黒の仮面に一筋のヒビが入っていた。
『シュゥゥハァァ…………』
 ハイドラの影より生み出された八匹の巨蛇が、カタチを維持できずに塵となって崩れ落ちて
いった。
 直接に聖なる爆衝を撃ち込まれた仮面に、みるみる細かいヒビが広がっていき、そこから、
蒼い破邪の炎がメラメラと立ち昇る。
「……ォォォオオオオオオオオォォオオオオッッ…………!!」
 ハイドラではなく、仮面そのものが上げる怨嗟の絶叫。
 華麗にトンボを切って道路に着地したキュアブレイブの背後で、『ドォンッ!』と蒼い火柱が天
に向かって突き上がった。その激しい炎流に呑み込まれたハイドラの姿が、今度こそ消滅して
いく。

「ブレイブっ」
「おつかれさま、エスポワール。よく頑張ったわね」
 戦いの緊張が解けた今、もう立っているのもままならないくらいの疲労が全身に押し寄せてき
たが、それでも気丈に何でもない風を装いながらキュアエスポワールにねぎらいの言葉をかけ
る。
「プリキュアーーッッ!!」
 交番の中からユメとミルクが大きく手を振りながら駆け出してきた。その嬉しそうな様子に、キ
ュアブレイブとキュアエスポワールがそっと視線を重ねて頷き合う。
「行きましょう、エスポワール。ユメちゃんとミルクの世界を救いに!」
「ええ、……きっと大冒険になるわ!」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 赤黒い天高くに浮かぶ<仮面城>、その玉座の間にて ―― 。
 闇色の衣に身を包んだ影が、悠々と玉座から腰を上げた。
 全ての魔の元凶たる仮面の狂王 ―― 白塗りの仮面から覗く双眸が、静かに細められた。
 それと同時に、世界中の空から『赤』の色が<仮面城>に吸い込まれるみたいに引かれて
いった。そのあとには、ただ闇だけが残った。今、世界を覆い尽くしているのは、一片の光なき
真の暗黒。
「何が起こっているの、一体……?」
 神殿の外壁から天を仰いで、姫が不安そうにつぶやいた。隣にいる騎士も、戦慄に肌を粟立
てていた。
 篝火(かがりび)のおかげで何も見えなくなるという事は無いが、空を見上げると、その無限
の闇に押し潰されてしまいそうな不安にかられる。
「…………こっちミル〜」
 二人の耳に微かに届いた声が、そんな不安を吹き飛ばす。何かの聞き間違えかと思いつつ
も、騎士と姫が顔を見合わせ、しばらくの後……、
「こっちから二人の気配がするミル〜っ。ユメ、急ぐミル!」
「ちゃんと急いでるもんっ。…って、わーっ、なんか空が真っ暗になってない?」
 バタバタと外壁の階段を駆け上ってくる足音に続いて、ユメが変わらぬ笑顔を見せた。
「あっ、騎士さま、姫さまっ!」
「今帰ってきたミル!」
 二人に報告すべき希望を胸に、ユメとミルクがますます元気よく走り出した。
「あのね、あのね、あたしたちプリ ―― 」
 勢い込んでプリキュアの事を話そうとしたユメだったが、それ以上の言葉がしゃべることが出
来なかった。
 騎士が風よりも速い動きでユメへと駆け寄って、その身を強く、強く、この世の何よりも大切
に抱き締めていた。
 ぎゅうっと全身が痛くて、でも騎士の抱き方はとても優しくて、ユメは彼女の耳元に口を寄せ
て「…ただいま」とそっと呟いた。
 ユメとミルクの無事に安堵していた姫が、ふと天を振り仰いだ。
 闇を裂くように流れる二筋の流れ星。この世界の絶望の根源たる<仮面城>を輝きと共に
貫く。
「あれって、もしかして……?」
 姫の足元で、ミルクが小さな胸を張って答えた。
「新しい伝説の始まりミル」

 玉座の間にて、闇の覇王が待ち構えていた。白かった仮面の色は、今は血のように毒々しい
『赤』。世界中の空にぶちまけられていた『赤』を飲み干した仮面が強大な死気を放つ。
 さらには、倒されたハイドラを除く、残りの七配下も姿を現した。いずれもハイドラを凌がんば
かりの戦力を秘めた魔人たち。
 だが、それらに相対する者たちの心には、微塵の恐れもなかった。

 世界に不屈の勇気を示し ―― 。
 スッ……と眼前にかかげた右手に蒼く澄んだ炎を灯し、名乗りを上げる。
「この手に宿りし炎の勇気・キュアブレイブ!」

 世界の明日を、希望を背負う ―― 。
 スッ……と眼前にかかげた左手に黄金色に輝く光を乗せ、名乗りを上げる。
「この手に掴みし明日への希望・キュアエスポワール!」

 闇を打ち砕く伝説の戦士たちが、凛と声をそろえて高らかに叫んだ。
「「 ふたりはプリキュアッッ!! 」」
 善なる全ての者には安らぎを、邪悪なる全ての者には殲滅の予感を ―――― 。
 キュアエスポワールが、仮面の狂王を始めとする最強の敵たちを指差し、
「邪悪な意思にかしずく者よ……」
 その言葉をキュアブレイブが拾って、臆すことなき宣告へと繋いだ。
「速やかに去れ。さもなくば ―― 倒すッ!」



(Yes! ふたりはプリキュアっ! 完)