みんな一緒に明日へジャンプ! 02

 暗い意識の闇の中で、舞が微かに覚醒した。右手に伝わってくる……忘れられない左手の
感触。
(咲……)
 まどろむ意識が、安らぎを覚える。
 バーストダイブの衝撃が、まだ全身を麻痺させていた。指一本動かせない。爆炎の轟音と、
咲の叫び声。鼓膜にハッキリと届いているのに、何故かとても遠くに聞こえる。
 舞の右手にフッ…と熱が宿った。咲の体温だと分かる。しかし、異常に高い。手がヤケドしそ
うなほどだ。
 それは、生命の散り際に、美しく咲かせる一輪の炎。
 残り僅かな精霊の力で展開するシールドに、キュアブルームは、文字通り自分の命を懸け
た。心臓が燃えるほど熱く、鼓動を刻む。駆け巡る血流は、全身の細胞から生命力をかき集
め、右手を通じてシールドへと注ぎ込んだ。
 燦然と輝きを取り戻した精霊光の盾が、神殺しの爆炎を堅く阻む。
 引き換えに、咲の命がみるみる尽きていく。

 そんなに長くは持たないけど……これで、少しでも舞を守れるのなら……。
 
 とくん…。

 鼓動のかけらが……咲の強い想いの一片が、繋いだ腕を通じて、舞の中こぼれ落ちていっ
た。そして、舞の胸で、彼女の心臓にぶつかり、泡のように溶けた。

 とくん(とくん)…。

 ひとつの鼓動音に、ふたつの心臓の音が混じり合う。
 舞の胸に広がる調和の音色は、繋がれた腕を駆け昇り、咲の心臓に達した。
 その瞬間、シールドをかざして耐えていたキュアブルームの表情から、苦痛の色が消えた。
(これって……そうか……そうだったんだ……)
 暗く閉ざされていた舞の意識を、さざなみの如く光が洗っていった。
(わたしたちって……そう…だったのね……)
 二人が同時に理解する。
 精霊光のシールドに、新たな光が煌いた。

――ねえ、舞。
――あたしたちのチームワークって無敵だよね。
――どんな敵が来たって、二人で力を合わせれば、きっと何とかなるよ。

(前に咲がそう言ってくれたけど、わたしたちにチームワークなんて必要ないのね。二人が力を
合わせる必要も……)

 合わせるのは、『力』ではなく、『心』。
 プリキュアとして闘う二人に、チームワークなど必要ない。なぜなら、プリキュアとは、もはや
『ふたりでひとつ』の存在なのだから。
 咲が大きく息を吸い、舞に向けて心を開放する。
 舞が大きく息を吐き、咲に向けて心を開放する。
 呼吸が重なる。鼓動が重なる。体温が重なる。気持ちも、想いも、命も、魂も、全て重なる。
(あたしの中に、舞がいる――)
(わたしの中に、咲がいる――)

 二人の意識がその変化に呑まれ、精霊光のシールドに、致命的な隙となる揺らぎが生じた。
 ゴウンッッ!!と、シールドが叩き砕かれ、その向こうを爆炎が焼き払う。
「フフフッ…。プリキュア、火葬のおかわりはいかがですか?」
 下方の爆炎を眺めるグレンシーザが、慇懃(いんぎん)な口調で訊く。無論、答えなど求める
ことなく、残りの爆炎も操って、次々と爆撃を仕掛ける。
 蓮華座から伸びる八条の爆炎の帯が、激しく互いにぶつかり合って、神殺しの凶気を戦闘空
域に撒き散らす。その紅蓮の光景に、柔らかな哄笑が、邪悪な彩りを添えた。
「フフフフフフフフッ、これで、あなた方の魂すらも蒸発したことでしょう」
 正に炎熱地獄と化した空域を満足そうに見下ろし、次の瞬間、グレンシーザが警戒を強め
た。優雅に片腕を振り、全ての機神竜の口を閉じさせる。
 遥か彼方から、グレンシーザを捉える視線。
 素早い対応で、思念探査の領域を最大限にまで広げ、その存在を天蓋近くに感知した。
(まさか――プリキュア?)
 グレンシーザの眼光がその姿を射る。思念で捕捉した存在は『ひとつ』だけだったのに、視覚
上では二人と映る。
 天を背に、手を繋いだ二つの影。
 何故、彼女たちがそこにいるのか? グレンシーザの思考は、その疑問を瞬時に切り捨て
た。そして、二人の消去にのみ意思を傾ける。
 再び、八頭の機神竜が顎(あぎと)を開き、全ての口から爆炎の帯を吐き出した。同時にグレ
ンシーザが時間干渉を行い、それらの速度を極超音速にまで引き上げる。プリキュアの回避
パターンを詳細に予測しつつ、八条の爆炎を駆使して包囲殲滅を狙った。
 …が、爆炎の到達寸前で、プリキュアの姿が「ヒュッ!!」とかき消える。即座に思念探査で
感知を試みると、今度は真逆の側の天蓋近くに。
 移動の線が全く見えない。まるで、点から点への瞬間転移だ。
 バーストダイブ――せいぜい百メートル程度の距離が限界の超加速飛行。それを、現在の
キュアイーグレットは、数十キロメートルの規模で行っていた。
 しかも、彼女の背で、セラフィムウィングが光速燃焼を続けていた。本来ならば、バーストダイ
ブの超加速と同時に瞬間消耗されて消えるはずの翼が、アイドリング状態で固定されている。
 バーストダイブの殺人的反動すら、もはや届かぬ領域に入ったプリキュア。キュアイーグレッ
トと視線を通わせ、キュアブルームがニッコリと笑った。表情は疲弊し切っていたが、いつも通
りの明るくて、まぶしい笑顔。
(行こう、イーグレット!)
(うん!)

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 
 カーテンの隙間から洩れてくる朝の光が、まぶたに射した。
 薫に添い寝してもらっていたみのりが、「ううんっ…」と寝苦しげな声を上げた。
「ふ〜ん、意外と晴れてきたじゃない」
 ベッドから抜け出した薫が、カーテンをキッチリと閉め、みのりを肩越しに振り返った。
「もうすぐ咲も帰ってくるみたいだし、私も帰らせてもらうわ」
 気持ちよさそうに眠り直したみのりに、薫がそっと近づいて、その頬を優しげに撫でた。
「それじゃあね。もうちょっとだけ…おやすみ、みのり」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ムープとフープがふわっと浮き上がり、二人で協力して、病室のカーテンをシャーっと開け
た。
「太陽が出てきたムプ」
「今日もいい天気になるププ」
 ベッドに腰掛けた満が、こっそり病室に持ち込んだメロンパンを「はむっ」と一口かじって、窓
の外に目をやった。
 厚い雲を割って、まぶしい朝日が降り注いでいる。
(咲、舞、そっちはどう? そろそろ勝てた?)
 一噛みごとに至福を味わいつつ、満が微笑みをこぼした。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 空気の抵抗をぶち抜きながらの、バーストダイブによる超高速の急降下接近。グレンシーザ
を射程距離に収めて、プリキュアが互いの手を離した。
 母機から分離したキュアブルームが、足裏から精霊光を爆発的に噴射。神速のミサイルとな
って、グレンシーザに突っ込んでいく。
 キュアブルームの右腕全体が、精霊光の輝きに包まれていた。それは、全ての邪を貫き倒
す聖槍と化している。
 戦慄のスピードで襲いくる攻撃の着弾点を見切って、グレンシーザが顔の前で両腕を素早く
クロスさせた。
「うおおおおおおおおおッッッ!!!」
 キュアブルームの右腕を包む精霊光の輝きが、さらにまぶしく燃え上がった。全力で放った
右ストレートは、閃光の一撃。グレンシーザの顔面を、ガードする腕ごと打ち抜いた。
「がっ……ッッッ!!?」
 女神像の巨体が、物凄い勢いで縦スピンしながら、数百メートル後方にブッ飛ばされた。
「クッ……!」
 体勢を立て直したグレンシーザの遥か背後で、再びプリキュアが合流を果たした。
 ダイヤよりも硬い両腕にヒビが入っていた。次、もう一撃食らえば砕けるかもしれない。いや、
そもそも更なる高速で繰り出されるであろう次の攻撃に対して、こちらのガードが間に合うかど
うか。
 接近を許せば、圧倒的に不利。ならば――
 グレンシーザが、左右の手の平を、腰の両側に生えた機神竜の頭部へとかざした。不可視
の高圧力が二つの頭部を粉砕し、機神竜の狂気と怨嗟を直接に掴み出した。左右の腕がそ
れを振り撒き、グレンシーザの周囲に、灼熱のプラズマガス圏を形成。プリキュアの接近攻撃
を封じて防御を固める。
 さすがに、プリキュアも火葬場の窯(かま)に飛び込むようなマネは出来ない。キュアブルー
ム、キュアイーグレット共に、近接戦闘に特化されたタイプだ。
 ならば、こちらも――

 キュアブルームの精霊兵装へ、蛍火色の光の粒子が無数に降り注いだ。それは月光。すな
わち、月の表面で濾過(ろか)された太陽の光。

 キュアイーグレットの背から、幾百の羽毛が舞い散り、風を生む。そして、やわらかな芳気を
孕んだ風の抱擁を全身にまとう。

 ――霊威換装、完了。
 光の中から――風の中から――、バトルコスチュームを新たにしたプリキュアが姿を現した。
 月の精霊兵装・キュアブライト。
 風の精霊兵装・キュアウインディ。
 繋がれた手を中心に、膨大な精霊のパワーが共振している。
「風よ…」
 キュアウインディの短いつぶやき。それに応じて、プリキュアの周りに途轍もない暴風圏が発
生した。
 キュアウインディが、彼方にいるグレンシーザをスッ…と指差した。暴風圏が『ギュンッ
ッ!!』と一枚の刃に圧縮され、高速で射出される。
「その程度……無駄ですッ!」
 機神竜が爆炎を吐き出し、これを迎撃。爆炎の帯は半ばまで斬り裂かれたものの、神殺しの
凶気が風刃に秘められた神威をむしばみ、ほぼ無力化せしめた。
 しかし、グレンシーザが愕然としたのは次の瞬間。さっきの攻撃に気を取られた一瞬の隙
に、プリキュアの姿が消えていた。無論、即座に思念探査で追跡開始、そして捕捉。プリキュア
らしき存在の数は五百を超えていた。
「馬鹿な……」
 グレンシーザが、思念で感知した存在の一つに目を向けた。視線が捉えたのは、小指の先
ほどの小さな光。キュアウインディの攻撃を陽動にして、キュアブライトが空域一帯にばら撒い
た、思念領域を撹乱するデコイだ。
 ひとつひとつに目を向けて確認しているヒマなどない。残った機神竜全ての口から爆炎がほ
とばしり、グレンシーザが時間干渉で攻撃速度を引き上げる。
 感知した存在を全て、一気に焼き払う。それがグレンシーザの結論。
 だが、距離を大きく空けて、グレンシーザの真下を取っていたプリキュアの動きは、それより
も迅速。
「風よッッ!!」
 再び呼び出された風のうなり。そこに、キュアブライトの鋭い声が重なる。
「光よッッ!!」
 渦巻く風と、月光の輝きが溶け合わさった。光と風の融合刃。薄さはほぼゼロミリにて、射程
は無限。疾風のごとく空を駆け、死神の大鎌のごとく対象を断ち切る威力。

『ゾンッッッッ!!!!』

 下方より撃ち出された幾重もの光風の刃が、プラズマガスの防御をズタズタに斬り裂き、残っ
ていた六つの機神竜の首を一斉に斬り落とした。
 そして、グレンシーザの目線と対等の位置に、手を繋いだプリキュアの姿が上がってきた。
 キュアブライトの右拳に、キュアウインディの左拳に、まばゆい精霊光がこぼれるほどに溢れ
ている。
「ちょ、ちょっとタンマァァァッッ!!」
 やけに俗っぽいセリフと共に、グレンシーザが五指を開いた右手をバッとプリキュアに向けて
突き出した。
 光拳の一撃を打ち込もうと動いたプリキュアが、つんのめるように制止。
「わ…わたくし、あの、コンタクトレンズの調子がちょっと……」
「……」
「……」
 わざとらしく左手で目の辺りをまさぐり続けるグレンシーザに、プリキュアが無言でジーっと寒
い視線を送る。
 その目の前で、突き出されていたグレンシーザの右腕が、唐突に砕けた。
 同時に、グレンシーザの口から勝鬨(かちどき)の哄笑がこぼれる。
 右腕の内部に仕込んであったのは、惑星攻略兵器<シュヴァルツシルト・クライシス>。その
砲身の口から、紅い輝きが溢れていた。下手な演技の間に、エネルギーは充填済みだ。
 さらに、プリキュアとその周囲の空間へ、時間干渉を展開。亀のごとく鈍化した時間の呪縛
は、おそらくプリキュアには効いていないだろう。だが、空間への効力は確かだ。もし、プリキュ
アが逃げようとしても、時を遅められた空間に捕らわれ、その瞬間は致命的な隙を生む。
 約束された勝利へ向けて、グレンシーザが紅い輝きを砲口からほとばしらせる寸前――。

 邪の女神像から顔をそらさず、プリキュアが互いの胸先が触れそうなほどにカラダを寄せ合
う。そして、舞踊のような軽やかさで繋いだ手を後ろへ引いた。
 キュアブライトが右手をグレンシーザに向けて突き出し、五指を開く。キュアウインディは左手
で同様に行う。
 繋がれた手から、わずかに隙間の空いた二人のカラダを抜けて、それぞれの真っ直ぐ伸ば
された腕へ――。形成されたカタチは、ひとつの砲台だった。
 空中に踏みとどまり、プリキュアが叫んだ。
「大地に咲き誇れ、精霊の輝きよ!」
「大空に舞い踊れ、精霊の煌きよ!」
 二つの叫びは、生命を謳う祈り。その声に星一つが震え、全ての精霊が共鳴する。
 固く繋がれた手こそ、無敵の絆の証明。二人の叫びに答えた全精霊の力がそこに収束さ
れ、溶鉱炉のごとく滾った。
 絆の形に組み合わさった手から、砲口となる二人の手に向けてスパークが走る。
 伝説の戦士の相応しい、真っ直ぐで力強い眼光がグレンシーザに照準を合わせる。そして、
すでに発射された惑星攻略兵器の一撃に討たれるよりも早く、二人の叫びがトリガーを引く。
「「プリキュア・シャイニングストリーム・スプラ――ッシュ!!」」

 それは、太陽を遥かに凌ぐ輝きの奔流。
 正面からぶつかった紅い輝きは、ガラスのように脆く、打ち砕かれて消えていく。
「そんな……」
 切り札をあっさり破られて、迫りくる輝きに呆然と身を晒すグレンシーザ。
 だが、輝きがその身を呑み込む直前、突然にグレンシーザの頭部が砕け散った。同時に、
<シュヴァルツシルト・クライシス>の紅い輝きが虚無色に変わり、シャイニングストリーム・ス
プラッシュを押し返し始めた。
「ぐっ…!!」
「クッ…!!」
 じわり、じわりと押される力が強くなっていく。プリキュアが、繋いだ手にさらに力を込めて耐え
る。
 グレンシーザの頭部があった部分に、ぽっかりと黒い闇が開いていた。その遥か深奥から覗
く瞳は、感情の無い虚ろな眼差しで、冷徹にプリキュアを観察する。

――オマエタチガ、プリキュア。
 
 声無き、声。
 心臓を直接握り潰されるようなプレッシャーに、二人の手から放射される光が大きく揺らい
だ。
 無限の虚ろを背負った視線に打たれ、心は凍り付いて、へし折れる。細胞ひとつひとつが、
圧倒的な恐怖で埋め尽くされていく。
 グレンシーザなどの比ではない、最悪の絶望。
(コイツが……ダークネス!!)
(――ッ!!)
 キュアブライトが致命的なミスを犯した。
 その存在の勢力圏内においては、心の中でとはいえ、決してその名を呼んではいけなかっ
た。
『ダークネス』という言霊を感染媒体にして、ひとつに繋がった二人の心を虚無的な絶望が一
瞬で侵蝕――二つの心を闇が呑み干す。
 
 精神の死。そこへ、すみやかに心臓の停止が追いつく。二人の瞳は、ガラス玉のように生気
を無くしていった。だが――。

 どくん(どくん)。

 次の瞬間、二つの心臓のハーモニー。
(――まだ…まだっ!)
(わたしたちは――)
 二人の心は、闇色に塗り潰されていた。それはすなわち、心の死を意味する。それでも二人
は抗う。ひとつとなった魂に秘めた、小さな、とても小さな希望の灯火が、死を否定する。
(舞っっ!!)
(咲っっ!!)
 生は死へ。そして、死を貫いて、生への帰還。
 プリキュアの絆が気炎を揚げる。因果律を捻じ曲げ、ダークネスの死の呪縛を打ち破る。
 「ダークネスッッッ!!!」
 瞳に鋭い光を蘇らせて、キュアブライトが忌まわしき呪詛の名を叫んだ。その名に込められ
た虚無を打ち払うほどに力強く。
 明白すぎる力の彼我――しかし、キュアウインディは高らかに言い放つ。
「わたしたちは……絶対に負けない!!!」
 ほぼ消えつつあったシャイニングストリーム・スプラッシュの光が、再び輝きを取り戻す。しか
し、その光を喰らいながら迫りくる虚無もまた速度を上げる。
 圧倒的な窮地は揺るがない。
 それでも、キュアブライトが、意地で笑みを浮かべてみせた。そして言う。
「絶望なんてものは、いつだって……」
 キュアウインディが、気丈に微笑んで、そのあとの言葉を拾った。
「――越えていくものでしょ!」
 二人の背後で、爆発的に精霊の力が高まった。繋いだ手を核にして、収束された精霊の力
が臨界点を超える。二人の声が、シャイニングストリーム・スプラッシュの後押しとなるトリガー
を引き絞った。
「「全霊放出(フルファイア)――――ッッッッ!!!!」」
 一瞬で虚無を押し破る怒涛の光流。女神像を呑み込み、その先にある闇を打ち砕いた。

――ナルホド、ナ。

 かすかに残った思念の声も、瞬く間に光に溶け……消滅した。

 全てを込めた一撃を撃ち尽くし、しばしの間、肩を上下させて荒い息をついていたプリキュア
が顔を見合わせた。
「……終わった?」
「今日のところは、ね」
 途端に、二人の体からガクッと力が抜けた。バトルコスチュームを成していた精霊の霊子組
成が解け、燐光ほのめく無数の粒子となって、空に散っていった。
 精霊の力なくして、少女が空を駆ける奇跡は起こらない。
 ただの人間へと戻ってしまった咲と舞の身体は、地上へとまっ逆さまに落ちていく。一秒ごと
に、地上に激突する時間を刻みながら。
 しかし、二人は恐怖など感じていなかった。
 この瞬間、二人が感じていたのは、なおも固く繋がれた手から伝わってくるお互いの温もりの
み。
 地上から、間欠泉の噴出のように、ぶわっと優しいエメラルド色の光の柱が噴き上がってき
た。二人の少女の姿がその中に呑み込まれ、途端に、落下スピードが、微風に揺られる綿毛
のごとくにまで緩和された。
 少女たちの落下を受け止めたのは、木の泉に住まう精霊の集合群。これまで何度も世界を
救った二人の周囲で、一斉に「「「アリガト、アリガト、アリガト…」」」と言葉足らずに感謝を述べ
る。
 耳元で延々と感謝されて、くすぐったい気分になる咲と舞。精霊たちの発する心地良い光に
全身を包まれて、ゆっくりとお互いの顔を見つめる。
 急に舞の手が強く引かれた。「あっ…」と小さな声を上げて、舞の身体が咲の胸に飛び込ん
でいく。そして、そのあとに続くただひとつの行為のために、固く、固く握り合っていたはずの手
と手が、あっさりと解かれた。

――抱擁。

 舞のカラダが、咲の両腕に優しく抱き寄せられた。
「おかえり、舞」
 鼓膜に届いたのは、いつもと変わらない咲の声。なのに、心臓が驚いたように『ドクンッッ』と
飛び跳ねて、顔が真っ赤になってしまった。その顔を絶対に咲に見られないようにうつむきな
がら、
「……ただいま、咲」
 舞が、蚊の鳴くような小さな声で答えた。
 咲が、それよりももっと小さな声でポツリとこぼした。
「今日は……ちょっと怖かった…かな」
 今頃になって、全身に死の感触がフラッシュバックしてきた。……腕を焼く熱、心臓を凍らせ
る闇の冷たさ。まだ生きているという実感が儚く揺らめいてしまう、それほどまでの恐怖。
(明日は……もっと怖いかもしれない……)
 震えだそうとする咲のカラダを、舞の抱擁がそっと包んだ。
「わたしも……ちょっと怖かった。けど…」
 真っ赤になっているところを見られたくはなかったが、勇気を出して顔を上げる。不安にくじか
れている咲と軽く視線を合わせ、ゆっくりと自分のまぶたを下ろした。

 今日、わたしは、この星で……ううん……この宇宙で、生涯変わることなく一番愛しいと思え
る人が誰なのかを知ってしまった。

 咲の唇へ、そっとやわらかい感触が重なった。すぐに離れて、何だか咲はポカンと呆気に取
られた表情。
 目を開いた舞がクスクスと笑いながら言う。
「……咲と一緒なら平気!」
 咲の表情が硬直したまま、ぼんっ!と真っ赤に染まった。
「あっ…あっ…」
 何も言えなくなってしまった咲が、舞を見返しながら、自分の唇に触れてみる。
 すぐに離れてしまったのに、確かに残っている。くすぐったくて、とろけるように甘い感触…
…。
 バタッ!
 急に咲が後ろにつんのめるように倒れ、舞を大いに慌てさせた。
「ちょ…ちょっと咲っ!?」
 サッと腰を落した舞が、軽く失神した親友の体を遠慮気味に揺する。
 すぐに咲がうっすらと目を開け、口元に微笑を浮かべた。
「舞って……ダークネスよりもすごいことするね……。あぁ、びっくりしたぁ」
「咲……」
「舞、あたしね、ぜんぜん嫌じゃなかったよ」

――本当に?
――もっちろん!

 優しいエメラルド色の光の中で、咲と舞が、愛しさを込めて視線を交し合う。
 周りにはたくさんの精霊が満ちているというのに、どちらからともなくまぶたを下ろし――。
 
 ぽわんっ。ぽわんっ。

 聞きなれた二つの音に、舞はバッと飛び退くみたいに立ち上がり、咲は上半身だけを起こし
た体勢でバタバタ手足を動かして後ずさった。
 エーテル煙を撒き散らして、直前まで咲と舞がいた場所に、二体の精霊が実体化した。
 ようやく目を覚ましたフラッピとチョッピ。
 戦闘後半からの、プリキュアの物凄い動きに振り回されて、今の今までずっと目を回していた
らしい。…咲と舞に体を支えられながらも、まだちょっとフラフラしている。
「だ、大丈夫? フラッピ?」
「うぅ、お腹空いたラピ〜」
 咲と舞が顔を見合わせて、クスクス笑った。
「ハイハイ。家に帰ってからね」
 二人がそれぞれの精霊を抱き上げ、もう一度、視線を交し合った。
(なんだか今のあたしたちって、すっごく無敵!)
(うん!)
 地上まで数十メートルの地点で、目の前の空間が揺らぎを帯び、淡い陽炎のように滲んだ。
精霊門――プリキュアがこの七楯の世界と元の世界を行き来するための時空ゲートが形成さ
れる。
「行こう、舞」
 片手でフラッピを抱きかかえ、左手を舞に差し出す。チョッピを抱いた舞がその手を取った。

 折りしもその時、宇宙の深淵にて、ダークネスという超次元レベルの脅威が、七邪神の残り
を従え、この地球へと向けて侵攻を開始した。
 もはや未来は虚無に包まれ、刻一刻と終焉へ歩を進めている。

 されど、その絶望の闇の中で、気高い輝きを放つ小さな……とても小さな、二つ一組の光。
 闇を貫いて、煌き流れる希望。
 日向咲と美翔舞は、フラッピとチョッピを媒介にして、お互いの魂魄を結合昇華させ、伝説の
戦士プリキュアへと姿を変える。
 プリキュアとは世界守護の要(かなめ)にて、百パーセントの絶対的絶望をくつがえし、世界
に希望をもたらす『ふたりでひとつ』の存在。

 咲と舞が真っ直ぐに背を伸ばし、最高の笑顔で精霊たちにお礼を言う。
「送ってくれてありがとう」
「それじゃあね、みんな」
 まだちょっとグッタリしているフラッピとチョッピも、精霊たちに小さく手を振って別れを告げ
る。
 咲と舞が呼吸を合わせ、タイミングを取った。
「じゃあ…」
「せー…のっ!」
 手を繋いだまま体を並べて、二人一緒に、ダッと勢いよく精霊門へ跳んだ。


 それは、二人が、そして世界が、明日(みらい)へ羽ばたくためのジャンプ。


(END)