60分のシンデレラ 02


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 サウラーを後方の安全圏に避難させて、二人の少女がキルゾーンへと舞い戻る。
 ダークドリームたちの接近に反応して、大槍の爆発が連鎖。爆風が荒れ狂う一帯を、二人の
闇の戦士が一気に駆け抜けた。
 サウラーの言った通り。フュージョン本体は最初の位置から一歩も移動していない。


 ――― あのね、キュアドリーム、
 わたしたち、クリスタルに戻ってから、ずっと夢を見てるような状態で思い出してた。
 戦いというカタチだったけれど、それでもわたしたちは……あなたたちに出逢えた。
 その事だけを、
 ずっと。
 時々、クリスタル同士が共鳴して、お互いの気持ちが混じり合うこともあるの。
 わたしたちにとっての、おしゃべりみたいなものかな?
 ダークルージュはね、負けたのは認めるけど納得いかない……再戦希望なんだって。
 ダークレモネードは、本気で歌ったら絶対に自分のほうが上手いって一歩も退(ひ)かない。
 

 ドドドドドドドッッ!!と地響きを立て、前方一帯が大槍地獄と化す。さらに後方から巨大触手
の群れが襲いかかってくる。全ての触手の先端には突起状の無数の刃。ミキサーのように回
転しながら迫ってくる。
「みんなはこの向こうに!」
 一瞬だけ迷ったものの、突破より迂回を選択。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 突然、背後に生まれた大槍地獄。しかし、ウエスターに後退する意志はなく、何の問題にもな
らない。フュージョン本体の激しい反撃に阻まれて近づけないが、残り距離は40メートルを切
った。
(あともう少しでイースに手が届く。必ず助け出す!)
 彼の特攻をここまでサポートしてくれた三人の少女にチラリと視線を向ける。
「スマンなっ、オマエらを巻き込んじまって!」
 フュージョン本体の体表が『ドンッ!』と爆(は)ぜて、巨大触手を生み出す。強烈な打撃で敵
をなぎ払う戦鎚だ。それが蛇のごとき素早い動きでダークレモネードを狙う。
「させるかよっ!」
 ウエスターがすかさず彼女の前に躍り出て、屈強な体でタックルによるカウンターをきめる。
続けざまにダークアクアの蒼い大剣を振りかざし、飛び込んでくる。
「ハッ!」
 一閃の軌跡が巨大触手に美しく刻まれ、切断面から先の部分がずり落ちる。
「一つだけ……聞かせて」
 ダークプリキュアに疲れるという感覚はないが、それでもどんどん自分たちの力が消耗してい
くのは分かる。
「あなたにとって仲間って、どういうものなの?」
「俺がせっかくドーナツ買ってきてやったのに、一緒に食べてくれないッ!」
 ウエスターたちの背後を狙って、地中から流体金属の巨大触手が現れた。とっさにダークレ
モネードが後ろ回し蹴りで光刃を叩きこむ。ダークミントとダークアクアは進路を切り開くのに手
一杯で、追撃に回れない。ダークレモネードが再びダークネスフラッシュを放つ。
「クッ……このぉっ!」
 さらに渾身の力で、もう一撃。……計三回の攻撃でようやく巨大触手一本を殲滅。ダークレモ
ネードがウエスターを振り返らず、声を張り上げた。
「それって嫌われてるんでしょ? 自分を嫌ってる相手を苦労して助けるなんて、おっかしー
の!」
「おかしくない! 嫌われててもいいっ。自分が大切だと思うものを、俺は守りたい!」
 ダークミントの脳裏に、かつて戦ったキュアミントの言葉がよみがえる。
(守りたい人がいるから、強くなれる ――― この人もそうなの?)
 フュージョンの首無しの半身が激しく波打ったのを見て、彼女は迷わず前に飛び出す。
 同時にフュージョンの攻撃が水平に降り注いでくる。
 ダークミントが吼える。
「ダークネス・スプレッドォォッ!」
 エメラルド色に輝く弾幕が、暗い銀色の巨躯から高速で撃ちだされた無数の流体金属の礫
(つぶて)のほとんどを迎撃。撃ち洩らした礫に対しては、自分の体を盾にして後ろに続く三人
を守った。
(この程度で絶対に倒れたりしない。わたしだって……!)
 ダークミントが激痛をこらえて前に進む。守りに特化した能力でなくても、守ってみせる。
「正直、仲間を守ることの理由って、まだよく分からないけど……っ」
「頭で理解できんでも、心で分かっていれば上等だっ。それよりオマエ、大丈夫かっ?」
 気遣いながら、彼女の前に出ようとするウエスター。しかし、ダークアクアの雷鳴のような叱咤
が彼を打ち据えた。
「あなたはあの子を助けることだけに集中すればいいッッ!!」
 激化する敵の攻撃を、流れるような剣さばきで連続して斬り伏せ、また一歩前に出る。
「今からあなたの剣になる! 障害は全て私が斬り開く! だから、あの子を……あなたの仲
間を必ず助けてあげてっ!」
 残り距離、15メートル。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――― 急いでるのに、心には、伝えたい言葉が次から次へと浮かんでくる。
 ダークミントは、いつもキュアミントの心配ばっかりしているよ。
 ダークアクアはライバルの研究に余念がないってカンジ。けっこう楽しそう。
 わたしは…ね、実はちょっと不安かな。
 キュアドリームはわたしのこと友だちって言ってくれたけど……。
 でも、わたし、キュアドリームに痛いこといっぱいしたから、
 本当は怒ってたりとか……してないかな?
 たくさん謝れば許してもらえるのかな?


 強硬接近してくるウエスターたちのほうに気を取られたのか、フュージョンの攻勢が緩まる。
その隙を二人は逃さない。
 ダークルージュが胸のクリスタルにパワーを集中させ、火力を大幅に引き上げる。
「行ってっ、ダークドリームッ!」
 最大火力でぶっ放す特攻形態の火炎鳥が、行く手を阻む大槍を三本まとめて粉砕。力ずくで
こじ開けられた突入路めがけて、ダークドリームが大地を蹴った。そして、サウラーの語った言
葉を思い出す。

『アレがイースを取り込んだのは、オリジナル部分の99パーセントを消滅させられて、単なる
残りカスとなったカケラによる本能行為だ。生命体の生体維持機能を借りることで、自らの存
続をこの世に繋ぎとめているだけにすぎない』

 同時に彼女 ―― イースのまとう闇の力を吸収して、自分の力に変換している。鏡の国の地
下に広大に触手を拡げ、自己を脅かす存在を半自動的に排除。動物よりも植物に近い。
(狙うは"茎"の部分っっ!)
 神出鬼没な攻撃を繰り出す地下の触手群から、エネルギーを供給する本体を、文字通り切
り離すのだ。
 ダークドリームが疾(はし)る。
 ウエスターを追い抜き、ダークアクアが斬り開いた道を駆け抜ける。あまりにも速すぎて、二
人の目には黒い烈風としか映らない。
 胸のクリスタルの輝きと連動して、右掌で爆発性のエネルギーが球電状に圧縮されてゆく。
(サウラー、あなたがくれたこの力でっ!)
 フュージョンの一本しかない太い右脚 ――― それこそが本体と地下部分を繋ぐエネルギー
の伝達路。そこに全力で叩きつける!!
(いっけええええええええ ――――――― っっっっ!!!!)

『ドォォォォッッッ……ンン!!!!』
 ゼロ距離で放たれた火竜のブレスのごとく、爆炎の砲撃がフュージョンの右脚を消し飛ばし
た。

(勝機ッ!)
 ダークアクアの眼光が一段と鋭さを増した。次の瞬間、投げつけられた大剣がフュージョン本
体に深く突き刺さり、右脚の支えを失った銀色の巨体を空中に縫いとめる。その衝撃で、フュ
ージョンの反撃が一瞬だけ遅れた。
 一秒の半分にも満たない隙だが……ウエスターにとっては、それで充分すぎた。
「イースぅぅッッ!!」
 ウエスターが大砲並みに破壊力のある双掌打を、フュージョンの右半身にぶち込む。さらに
続けて太い雄叫びを放ちながら、気合と腕力で少女の身体をフュージョンから引き離す。

『 ―――――――――― ッッッッ!!!!』
 フュージョンが全身から悲鳴に似た気配を絞り出し、音無き絶叫にて、その場にいる全員の
体をビリビリと震わせた。
 しかし、まだ終わらない。
 生体維持機能を奪われた暗い銀色の粘体が、憎悪の気を爆発的に放つ。
 イースを奪い返されて空(から)になった部分を埋めるように『ゴボゴボ…』と銀色の粘塊を沸
き立たせて、左半身を増設。吹き飛ばされた右脚も再生する。体を串刺しにする大剣は、抜こ
うともしない。
 歪んだ人体の形は、さらに歪(いびつ)に。
 破滅への狂騒に駆られて、四肢は膨れ上がり、獣のごとく四つ足の形態をとる。
 頭部は無く、首に当たる部分からは、灼熱してドロドロになった流体金属の赤い輝きが覗い
ていた。

「来るわよッ!」
 ダークミントの声よりも早く、フュージョンが横っ飛びに移動しながら、首の断面から真っ赤に
熔けた流体金属の舌を射出。カメレオンの捕食を連想させる攻撃。最大射程20メートル。
 イースを抱きかかえたウエスターを絡め取って自らの体内に引きずり込もうと狙うも、間一髪
でよけられる。
「ヤケドじゃすまないぞ…!」
 灼熱の舌がかすった幹部服の肩口は、白煙を上げて溶けていた。
「時間を稼ぐだけでいいわっ! それでコイツは自滅するっ!」
 ダークドリームが自ら囮(おとり)となって、フュージョンの気を引く。エネルギーの供給源を失
った以上、今ある分を使い果たせは終わりだ。
 軽やかな動きで、ダークレモネードも参戦。生死ギリギリのラインでフュージョンを翻弄する。
「ほらほらぁっ、ダークドリームよりあたしのほうがおいしそうだよ?」
 暗い銀色の巨体が飛びかかってくる下を、小柄な体が高速でくぐり抜ける。
『ドンッ…!』と重く着地したフュージョンがヒュッ!と灼熱の舌を吐き、長く伸びたそれを鞭のよ
うに振るって背中越しにダークレモネードを狙う。
「…くっ!」
 背後からの強襲を感じたダークレモネードの表情に、わずかな焦りが生まれる。だが、紅い
閃光と爆発音がフュージョンに炸裂。その巨体を大きく揺るがし、攻撃を逸(そ)らさせる。
「この三人の中で一番美味しいのは、あたしだよねぇ」
 駆けつけてきたダークルージュが高慢な笑みを浮かべてフュージョンを見くだす。
 金属のなめらかさに覆われた体表がざわめき、ダークルージュの攻撃を吸収。フュージョン
の四肢がたわみ、跳躍の構えをみせた。

 ダークミントとダークアクアが護衛について、ウエスターたちを後方に下げる。
「ここは任せて、あなたたちはもう少し後ろへ……」
 突然、背後で『ゴッ…!』というレンガでも叩き割ったみたいな音がした。二人の振り返った先
にあった光景は、拳の握り締めて立つ少女と、その足もとに崩れ落ちている巨漢。
 東せつなの姿のままで、イースがまなじりをつり上げ、烈火のごとく怒りを燃やす。
「ウエスター、よくもわたしを危険な目に……。闇の力を全部吸い取られて死ぬ所だったぞ!」
「お、お元気そうで何より……げぷっ!」
 頭を踏みつけられたウエスターが沈黙。それでもまだ少女の怒りは収まらない。
 怒りをぶつける相手はもう一体いた。修羅の形相でフュージョンを睨みつける。
「スイッチ・オーバー!」
 最大限に簡略化された開門儀式で闇の力を解放。つややかな黒髪が透き通るように美しい
銀髪へ、そして着衣も戦闘性を考慮したラビリンスの幹部服へと変わる。
「我が名はイース! ラビリンス総統メビウス様がしもべ!」
 相当量の闇の力をフュージョンに吸収されて憔悴しているにもかかわらず、ポーズをつけて、
凛とした声を張り上げる。
「いっ…、いきなり自己紹介されたわっ」
 混乱したダークアクアがイースの剣幕にたじろいで、隣にいる少女の顔を窺う。しかし、ダー
クミントも面食らった顔で見返してくるばかり。そんな二人には目もくれず、イースが殺意をみな
ぎらせた瞳でフュージョンを射る。その手には赤色のダイヤ。

「ナケワメーケッ、我に仕えよっ!」
 赤いダイヤが鋭く投げ放たれた。大気を切り裂き、フュージョンを貫いたまま放置されていた
大剣の柄に突き立つ。
「ダークアクアの剣がっ!」
 ダークドリームたちが、とっさに大きく距離を取る。直後、フュージョンとは別の怪物の産声が
大地に響き渡った。
『エーーーックス! カリバーッ!!』
 蒼く輝く刀身がメキメキと大きさを増し、さらに柄の部分も伸びて、そこから細い両脚が生え
る。
 ナケワメーケの身の丈は3メートル強。その3分の2が巨大な剣そのものである頭部、さらに
鍔(つば)の両脇から生える左右の腕も、ヒジから先が剣だった。
 ナケワメーケが剣である頭部を振って、フュージョンの身体をぶった切る。
「いいぞっ、やれっ、ナケワメーケ!」
『X(エックス)ッッ!!』
 ナケワメーケが剣である両手をクロスさせて、フュージョンへと突っ込む。 ――― だが、今度
は銀色の巨躯による強烈なぶちかましを食らって、逆に吹っ飛ばされてしまう。
 その姿は、イースたちの頭上高く、放物線を描いて飛んでいった。
「くそっ!」
 頭から大地に突き刺さるナケワメーケを振り返って、イースが歯噛みする。
 再びフュージョンが高く跳躍。
 空中から狙いをつけ、地上にいるダークドリームに向けて灼熱の舌を吐こうとする。しかし、
『ゴホッ…』とくぐもった音と一緒に高温に熔けた飛沫を散らしただけだった。

(コイツ、ついに限界が来たのね!)
 ダークドリームが助走で勢いをつけ、ナケワメーケを目指し力強くジャンプ。剣の怪物である
それの細い両脚を、両腕で抱えるようにつかんで一気に大地から引き抜く。
「あなたの作ったコレ、ちょっと借りるわよっ!」
 ナケワメーケが『シャキーーンッッ!!』と吼え、ダークドリーム専用の巨大武器として気合を
入れなおす。
(これで……決めるッッッ!!)
 ダークドリームが跳んだ。
 空中で、落下してくる銀色の巨体にタイミングを合わせる。そして、その巨大剣の射程に捉え
た瞬間、
「りゃああああああああッッッッ!!!!」
 全身で振りぬいて、凄まじい一撃をフュージョンへと叩き込んだ。
 ――― それは斬撃というレベルを超えて、もはや艦載ロケットの直撃に近い威力だった。
 フュージョンという存在を構成する流体金属のボディが一瞬で爆散。黒い塵と化して、鏡の国
の大地に吹き散った。

 かくして、生存という妄執に憑(と)りつかれたフュージョンの物語は、ここに終焉を迎える。
 そして…………。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「あいつらのことは、メビウス様に報告しないだとっ!」
 占い館に帰還するなり、イースが噛み付いてきた。予期していたサウラーが冷静に受け流
す。
「ダークドリームたち全員の闇の力は、あと少しで底をつく。そうすれば、もう二度と人の姿には
戻れない。ラビリンスの脅威になる可能性はゼロだ」
 プリキュアに似た勢力を放置できないというイースの見解はもっともだろう。だが、サウラーは
上記の事情から却下する。
「メビウス様はお忙しい御方だ。こんなくだらない報告でお耳を煩(わずら)わすことは出来な
い」
 冷ややかな視線をイースにぶつける。
 しばらく二人は睨み合っていたが、やがてイースのほうから身を引いた。
「……一休みしたら、FUKOの回収に出る」
「今回のフュージョンに関する報告は、ボクのほうでまとめておくよ。ついでに、回収に出る時で
いいからあの生ゴミを捨ててきてくれないか?」
 サウラーの視線の先には、二人でここまで引きずって帰ってきたウエスターの姿があった。
ずっと気絶している、と思ったら実は寝ているらしい。さっきからイビキがうるさい。
 彼の言葉を一考してから、イースが首を横に振った。
「駄目だ。……帰ってきてから、もう一回ボコボコにする」
「好きにしてくれ」
 あっさりと同僚を見捨てたサウラーが部屋をあとにする。ラビリンスのために彼がしなければ
ならないことは山ほどあるのだ。

 ――― 「……あなたがいてくれたら、わたし……ずっとこの姿でいられるね」

 サウラーは一瞬だけ足を止めかけ、また元のように歩き出した。
「……たった60分のシンデレラさ」
 何の感情もなくつぶやいて、その記憶を胸の中でそっと処理した……。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ――― みんな戸惑ってたり、こわがってたり、意地になってたり、
 複雑に想いが絡まりあって、自分が本当にどうしたいかなんて分からない。
 だから、せめてこの気持ちに決着をつけようと思った。
 フュージョンを倒してから、再び鏡の外の世界に来て、やっと気付いた。
 わたしたち全員、ただもう一度プリキュアに逢いたかっただけなんだって。
 逢ってどうするとか、そんなの全然どうでも良くて、
 ただ『逢いたい』って気持ちだけが、まぎれもなく本物。
 だから ――― 。

「ちょっとのぞみーっ、どこ行くのっ!」
「わかんないっ!」
 夢原のぞみが通行人を危なっかしくよけながら、直感に身を任せて走り続ける。そのあとを、
四人の少女が追いかける。
 約束も何もしていないのに。
 車の行き交う幅広い四車線道路の向こう側にその姿を見つけた。
 ダークプリキュアは、全員ダークドリームに倣ってゴシックロリータ風のファッションに身を包
んでいた。
 のぞみが慌てて横断歩道や歩道橋を探すけれど、見つからない。他の仲間が追いついてき
た頃になって、ようやく言葉をこぼした。
「ダークドリーム……」
 二人のほほえみが、四車線道路に隔てられた少女たちを繋いだ。
 他のダークプリキュアの反応は、それぞれだ。

 ダークルージュは、キッと敵愾心を込めて夏木りんを睨みつけた。けれど、りんがその眼差し
を真っ直ぐ受け止めた上で爽やかに笑い返すと、ダークルージュの表情は泣きそうなぐらい崩
れ、こみ上げてくる想いに喉を塞がれてしまう。

 ダークレモネードは、クリスタルの時はあんなにツンとした態度を取っていたにもかかわら
ず、春日野うららが笑顔で手を振ってきた途端、そばにいるダークミントの腕にしがみ付いてボ
ロボロと涙をこぼし始めた。

 ダークミントは、そんなダークレモネードを優しく慰めながら、秋元こまちに向けて誇らしげに
笑みを浮かべてみせた。ここにいるみんなこそ、自分が何よりも守りたい仲間なのだと。

 ダークアクアと水無月かれんは、お互い一目視線を交わして、うなずき合っただけ。それで何
もかも分かったという風に。


 もう闇の力がない。フュージョンとの戦いで使いすぎたのだ。
 彼女たちがシンデレラでいられる時間は、思っていた以上に短かった。
「ごめんね、もうわたしたち……」
 ダークドリームがこぼした小さなつぶやきは、車の行きかう音にかき消されて、決してのぞみ
の耳まで届くはずがないのに。
「また、逢えるよ」
 夢原のぞみが、優しく握った左のこぶしを持ち上げて、軽く曲げた小指を差し出す。
 その意味は分からなかったけれど、ダークドリームも左手を持ち上げて、たどたどしく真似し
てみる。そのまま、のぞみが二度、小さく腕を上下に動かしたのを見て、ダークドリームも同じ
動作を繰り返す。
「………………」
「………………」
 言葉はなく、最後にもう一度、二人の少女がほほえみを交わし合った。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 鏡の国では、五つのクリスタルが穏やかに輝き、世界を照らし続ける。
 静かに、
 約束の日が来るのを待ち続ける。


























◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 一年の歳月が流れた。

 新生ラビリンスの執政官として辣腕(らつわん)を振るうサウラーが、ウエスターの差し入れを
つまみながら、モニターに次々と送られてくる決裁待ちの電子書類を片付けている時だった。
 白い官服の姿が、唐突に動きを止める。
「どうした、サウラー。もしかして今日のドーナツ、味…おかしかったか?」
 苦手な頭脳労働を颯爽と放棄して、勤務セクションから脱走してきたウエスターが、自分もド
ーナツを一口かじって首をかしげる。
 サウラーの端麗な口もとを、微笑が飾った。
「いいや。君の作ってくれるドーナツはいつも美味しいよ、ウエスター。それより……」
 サウラーが意地の悪い笑みでニヤリと口もとを歪ませた。
 それと時を同じくして、ウエスターが内側から執務室のオートドアにかけていた暗号ロックが、
エリア管理者権限によってあっさりと解除される。
 滑らかにスライドしたドアの向こうには、イースこと東せつなが、徹夜越しで疲れた瞳に、鬼火
めいた揺らめきを宿して立っていた。
「さあ、ウエスター…職場に戻りましょう……、ふふ、ふふふ、仕事が山ほど待ってるわ……」
 ドーナツという賄賂をしっかり受け取っておきながら、あっさり自分を売った同僚に、ウエスタ
ーが非難の声を上げた。
「テメェ、サウラーッ! イースに通報しやがったなーっ!」
「当たり前だ! ボクだってここしばらく、まともに寝ないで仕事してるんだ! オマエ一人だけ
サボって楽をできるなんて思うなよっ!?
 ラビリンスのために働け働け! 骨が灰になるまで働き続けろ!」

 ウエスターの襟首をつかんでオートドアの外に連れ出すせつなは、微笑を浮かべていた。地
獄に仲間を引きずり戻す亡者の笑顔だった。
(そういえば、イースも随分と長い間休みを取ってないな……)
 休暇申請用の電子書類をロードして、そこに執政官のサインをしてせつなの個人端末に送っ
ておく。
 静かになった執務室で、サウラーが椅子に深く腰掛ける。
 モニターから視線を外し、壁に埋め込まれた大きなミラーに目を向けた。音声操作で、各セク
ションと通じる多分割モニターになる映像装置も、今はただの鏡としてサウラーを映しているに
過ぎない。
(どうして、一年前のあの時、ボクは気付かなかったんだろう……)
 ローズピンクの綺麗な髪。
 鏡の内側と、鏡の外側。声は越えられなかったけれど、いたずらっぽい唇の動きで何を言っ
ているのかは理解できた。

『ドーナツ、美味しい?』

 それは先程、彼が動きをとめた一瞬の間の出来事だった。
 もう少女の姿が映ることもないようだ。
 サウラーが安らいだ表情で両目を閉じ、胸の中で独白する。
(簡単な推察じゃないか。彼女たちの身体を構成するパワーの源は、果たして闇の力だけに限
られるのか。もし何か代替となる力があって、たとえば、それが ――――― )

 きっと。
 今頃は。

(闇は、光へと繋がる過程だ。かつてのボクたちと、かつてのキミたちのように)
 サウラーが目を開いて、彼女の映っていない鏡に向かって答えを返した。
「ドーナツ……美味しいよ」


(おわり)