いつかのロミオとジュリエット 01
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空を厚く覆っているのは、重苦しい雨雲だった。今すぐにでも雨を降らしそうな気配を漂わせ
ながら、しかし、なかなか降り出そうとはしない。
普段は明るい音楽にあふれている加音町も、さすがにこんな天気の日だと、町全体に活気
がない。まるで別の町のように静かで閑散としている。
ケーキショップ「Lucky Spoon」もまた、すっかり客足が落ちていた。
(全然お客さん来ない…)
一人で店番をしている南野奏が、レジカウンターで違う意味の溜め息をつく。お客じゃない人
なら、もうすぐ来そうな気がするのに。
(売り上げに繋がらないなぁ、もう)
そういえば、奏太の帰りはまだだろうか。
傘は持っていったはずだが、どうせなら雨が降ってくる前に帰ってきてほしい。このまま天気
が崩れて、ドシャ降りの中を帰る破目(はめ)にでもなったらかわいそうだ。
物寂しい雰囲気が停滞する店内をボンヤリと眺めながら、「でも、今日も遅くなっちゃうか…」
とつぶやく。
なんでも、昨日に続いてクラス劇の練習が大詰めらしい。
劇のタイトルは『ロミオとジュリエット・デッドファイナル』
死を偽装するために偽の毒薬で仮死状態になっていたジュリエットが目覚めた時、町の様子
は一変していた。何らかの原因により、全ての死者が起き上がって、生きた人間を襲っている
のだ!
ところでロミオはどこ!? ロミオだけは愛の力で絶対に守ってみせるわ!
ジュリエットは生き残った人々をまとめ上げ、レジスタンスを組織し、自らが先頭に立って反
攻に転じる。
―――― 死者は骨と土に還れ!! ロミオは我が腕の中に戻れ!!
愛のパワーで限界を突破したジュリエットを止められる者はいない!!
……とまあ、奏太から聞いたところでは、ずいぶんと派手なジュリエットである。ちなみに演じ
るのはアコ。この役が決定した瞬間、苦虫を噛み潰したような顔になった彼女だが、奏太の手
作りカップケーキ10個の献上を受けて、しぶしぶ機嫌を直したそうだ。
「ロミオとジュリエット……か。懐かしいな」
――― 『だいじょうぶっ。ロミオはゾンビだから死んでない!』
「あははははっ、やだっ、ゾンビって……死んでるじゃないっ」
昔、自分が言ったセリフを思い出した奏が一人で笑い転げた。
でも……。
愛しい記憶と共に、唇を指でなぞってみる。
響はおぼえてないよね、きっと。
「…うん、どうせ響だし……仕方ないか」
少女の表情から笑いが去ってゆく。忘れてしまおうか、と一瞬思った。少し淋しい気持ちだっ
た。けれど、奏が物思いに沈んでしまうよりも待ち人が来るほうが早かった。
北条響は颯爽と店のドアを開け、まるでヒーローの登場みたいに力強く店内に踏み込んでき
た。
「待たせてゴメン、奏。ケーキちょうだい」
「…………」
「ん、どうしたの? 奏」
「ちょっとね…」
店に入ってくるなり、当たり前にケーキを要求する響に対して、わずかに頭痛を覚えてしまう。
まったく、このコは。あつかましいにも程がある。
(どんだけ単刀直入なのよ、響ったら……もうっ)
心の中でそうぼやきつつも、5個もカップケーキを用意してしまう奏。
「お客さんが来たら恥ずかしいから、カウンターの裏で静かに食べてね」
「ハイハイ、いっただきまーすっ」
響がレジカウンターの後ろでカップケーキを乗せたトレーを受け取った。その場にしゃがみ込
んで、さっそく一個目をパクリと一口でたいらげる。
たぶん、おぼえていないとは思うけど。
彼女が5個目を食べ終わるのを待って、奏はさりげなく聞いてみた。
「ねえ、響、ロミオとジュリエット……憶えてる?」
「誰それ? 外国の人?」
さすがは響だ。記憶に無いというレベルを通り越して、ロミオとジュリエット自体を知らないと
返してくるなんて。
「ある意味すごいよ、響って。 ――― もういい」
半分以上あきらめていたはずなのに、最後に吐き出した言葉は感情的に震えていた。それ
に気付いた響が、ケーキを食べ終わった姿勢のまま奏を見上げる。
「なんで怒ってんの?」
「怒ってない。ただ、呆れてるだけ」
「……本当はちょっと怒ってるでしょ。わたし、奏のこと分かるもん」
「全然分かってない。響はいつだってそう!」
バッ、と響の隣にしゃがんで顔を近づける。
「ファーストキスだって簡単に忘れちゃう人なんだからっ!」
「ファッ…!?」
赤面して言葉を失う響を睨みつけ、奏が早口になって続けた。
「小学校に上がる前くらいに、二人で『ロミオとジュリエットごっこ』して、ラストはハッピーエンド
でキスしたじゃないっ」
「してないし!? ――― ていうか、めっちゃ子供の頃じゃん、それ」
「たった数年前でしょ」
「そもそもロミオさんとジュリエットさんって誰!?」
「あーっ、もーっ!」
レジカウンターの裏で、少女たちが顔をくっつけあうようにして向き合う。そして、妙な雰囲気
で黙りこくってしまった。
……一分以上も経ってから、その沈黙を奏が破った。
「響、本当に全然おぼえてない? ほら、ここだよ? わたしからキスしたの」
奏の指が、そぉ…と響の唇に触れ、昔にキスした場所を優しくなぞる。
ビクッ、と響がしゃがんだまま一歩下がった。
申し訳なさそうに奏にトレーを返して、内心の動揺を隠しながら立ち上がる。
「ごめん、おぼえてなくて。……わたし、帰るね」
「待って。響、傘持ってないんじゃない?」
いったん店の奥まで傘を取りに行った奏が戻ってきた時には、すでに響の姿は店内になかっ
た。外に捜しに出てみたけれど、やはり見つからなかった。
相変わらず空は、いつ降り出すともわからない重い雨雲に覆われていた。
――― 『やったぁ! ひびきとチューしちゃった!』
――― 『あははっ、それじゃあ今日からわたし、かなでのお嫁さんになるっ』
「もう昔のこと……なんだよね」
奏はもう一度静かに唇を指でなぞった。
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