いつかのロミオとジュリエット 02


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 その日の天気は晴れ。
 陽射しのぬくもりと、青空の下を吹く風の気持ちよさを想像したら、自然とハミングを口ずさん
でいた。北条家のキッチンには、いつもの数倍は食欲を誘いそうな匂いが立ち昇っている。
「うんっ、夕食の準備完了♪ さてと、次は……」
 南野奏が洗濯物を取り込みに向かう。
 まだ中学二年生とはいえ、家事に勤(いそ)しむ姿が板についている。何をするにもどこか楽
しそうで、まるで旦那の帰りを待つ新妻のようだ。
 明日、日曜日の午後まで響と二人きり。
 彼女の父である北条団は、音楽関係の仕事で出張。今日は帰れない。母・まりあは演奏旅
行で現在は海外におり、同居人の妖精・ハミィとフェアリートーンたちも、今夜、黒川エレンが主
催する猫の集会の準備に追われていて、この家にはいない。
(猫の集会かぁ…。うふふ……楽しそう……)
 あの猫の手も、この猫の手も、全ての肉球さわり放題。思わず顔がニヤけてしまう。
 残念ながら、現地でダンボール製の会場を組み立てていたエレンに聞いてみたところ、参加
できるのは猫と妖精(元猫妖精であるエレン含む)だけという決まりらしい。
(ま、響をほっとくワケにもいかないし。今日はわたしが居てあげないと)
 少女の優しげな面立ちが、仕方ないなぁ…といった感じに緩む。自分自身では気付いていな
いが、つやつやしい唇からも「ふふっ」と小さな笑いがこぼれていた。
 清楚な容姿は、磨けばもっと華やかさを増すだろう。しかし、店の手伝いや弟の世話に追わ
れて忙しく、必要以上におしゃれを意識することはない。
 櫛通りの良いロングヘアのトップだけをヘアゴムで束ねて、軽めのポニーにした髪型は、幼
い頃からずっと。明るい可愛らしさをうまく演出している。
(は・や・く、帰ってこないかなぁ〜、響♪)
 乾いた洗濯物をキビキビした動きで取りこむ腕は、色が白く、とてもほっそりとしている。しか
し、意外と重労働であるケーキ作りで鍛えられた乙女の両腕は、見た目以上に力があった。ス
ポーツテストの握力測定では、こっそり手加減して数値を調整したりもする。
「…うわ、響ってけっこうかわいいパンツ履くんだ……」
 ピンクの横ストライプのショーツを凝視してしまう奏。それを衣類ダンスにしまう際、他の下着
も一応チェック。ふむふむなるほど…と、親友への理解を今日もまた一つ深めた。


 走って走って走り続ける。
 今の北条響にとって、青空が清々しい…とか、そんなものはどうでもいい。たとえ暴風雨だろ
うが知ったこっちゃない。
 奏が「すごくイイモノを用意してるから」と言ったのだ。きっと食べきれないくらい大量のカップ
ケーキが用意してあるに違いない。しかもメチャクチャおいしいヤツだ。
 日課のランニングには、いつもの数倍の気合が入っていた。
(おっとっと、そろそろ帰んないと……!!)
 急ターンを決めると、リボンでツーサイドアップに仕立てた長い髪が元気よく跳ねた。スポー
ツをする分には邪魔になることも多いが、この母親譲りの美しい髪を短くする気にはなれない。
 ジャージに包まれた少女の肢体は、スマートに鍛え上げられていて、細身なのに力強い。ス
ポーツ全般に加えて、格闘技のセンスもある。完全に体育系を極めた女子なのだ。
 しかし、将来の夢はピアニスト。
 柔道で相手を豪快に投げる手は、ピアノの鍵盤の上で洗練された指さばきをみせる。
(カップケーキ! カップケーキ! カップケーキ!!)
 疲れているはずなのに、駆ける足はさらに加速。お腹の中で胃袋が「早く帰ろうっ!」と騒い
でいるのだ。
 ぐんぐんと風景が視界を流れてゆく中、ふと、ある景色が目の端に引っかかった。
 懐かしい記憶が呼び起こされる。
(そういえば子供の頃は、ここで奏と……)
 自然と足は止まっていた。
 そして、頬に微笑が乗る。
(わたしたち、いつも手を繋いでたっけ)
 奏を遊びに誘う時とか、一緒に帰る時とか ――― 。
 響がいきなり方向を変えて駆け出す。向かった先もまた、奏と二人でよく遊んでいた場所だ。
何かを思い出せそうな気がして、唇に手を持っていった。
 そのまましばらくたたずんで、懐かしさに浸っていたが……。
(う〜〜ん、やっぱり駄目かな)
 やがて、両肩をがくりと落としてあきらめた。
 あの重苦しい曇り空の日に、奏の指がなぞった唇は何も憶えていない。
 でも ――― と、口もとから下ろした手をグッと握り固める。
 視線が軽く空を仰いだ。ファーストキスの記憶の代わりに、昔の自分の気持ちを一つ思い出
したの
(小さい頃の奏って、笑ったら花みたいに可愛くって、そんな笑顔に、いつもわたし……)

 響は、無性に奏に会いたくなって走り出した。それは昔の気持ちだけど、今の彼女の気持ち
でもあるから。ついでに言うと、お腹もペコペコだった。
 一秒でも早く ――― その想いが、走り慣れた脚に心地よい加速をまとわせる。
 響の切れ長の双眸は、子供みたいに輝いていた。



 ……………………。
 泳げるほどではないにしろ、広々したバスタブの中で奏と肩を並べて座る。浴槽には半分ぐ
らいまでぬるめの湯が張られていて、ドライ加工された薔薇の花びらが湯面に舞い散ってい
た。
 響は、その花弁がたゆたう様(さま)をボーっと眺める。今にも重い溜め息をついそうな顔だ
った。隣の奏は、すっかりくつろいだ様子で半身浴を楽しんでいるというのに ―――― 。
 奏が「うーん…っ」と、座ったまま気持ち良さそうに背伸びしてから、
「一度やってみたかったのよね、映画みたいなフラワーバス。響はどう?」
 と、たずねてきた。
 奏の用意してくれた『すごくイイモノ』の正体は、浴槽の湯一面に贅沢に薔薇の彩りを散らし
たフラワーバス。見た目だけではなく、浴室をほんのりと染めるような芳香も、響の疲れた身体
をジンワリと癒してくれる。
「きもちいいね、このお風呂」
「でしょう? ふふっ、響に気に入ってもらえてよかった♪」
 奏が楽しげに声を弾ませるが、反面、響は小さな溜め息を残念そうにつく。
(でもさあ、今のわたしはお腹ペッコペコで死にそうなんだよ? 早く奏のカップケーキが食べた
くって仕方がないんだよ?)
 こんな綺麗なお風呂を用意してくれた奏の心遣いはありがたいけれど……。
 響の視線が隣へと流れ、しっとりと湯に濡れた白い肌へとこぼれた。特に、魅力的にふくらみ
つつある両胸の丸みが、フワフワとやわらかそうで……。
「いつもより奏が ――― 」

 ――― おいしそうに見える。

 あやうく喉まで出かかった後半の言葉を呑み込んで、
「き…きれいに見える」
 と、無難なセリフに置き換える響。
 そんな彼女を奏がビックリしたように見つめ、頬をうっすらと赤く染めた。
「んっ? 奏、どうかした?」
「べ…別に。響だって、いつもより素敵に見えるよ」
 磁力に逆らうみたいに、ぎこちなく響から視線を外した奏が、微笑の形に口を緩ませてそう言
った。響には、なぜ奏がそういう風に反応したのかがよく分からない。
(もおっ、響ったらぁ。わたしのこと……きれいだなんて、急に響らしくないお世辞言うんだから
っ。そりゃあ、まあ、ちょっとは嬉しいけど。うふふっ)
 ちゃぷっ、と奏の手が軽く湯をかき混ぜる。
「半身浴ってカラダにいいのよ。疲労回復♪ 血行改善♪」
 妙に上機嫌になってきた奏を、さりげなく響が横目で観察する。
 思春期の女の子らしい、全体的にほっそりした肢体。胸のまろやかな曲線、湯の下に潜った
ウエストのくびれと、薔薇の花びらに隠された腰の肉付き。どれもが白くて綺麗な肌に包まれ
て、そのやわらかさを想像したら……。
(ううううっ、奏がおいしそうに見えて、たまんない。あ…、ヨダレ出そう)
 奏は「フン♪フン♪」と気持ち良さそうに鼻歌を歌って、伸ばした右手を薔薇の湯で洗ってい
る。そんな彼女のうなじや肩にも視線をすべらせ、余計に空腹を刺激してしまう。
 ふと、肌をくすぐる眼差しに気付いた奏が、響を見ながら恥ずかしそうに眉をひそめた。
「やだ、いくら女の子同士だからって」
 細い腕が、やんわりと胸の前を覆う。だが、特に響の視線を拒否している風ではない。少女
の関心は、響が自分の身体をどう思ってくれているかだ。
(もしかして本当に綺麗だと思って見惚れてたのかな? ふふっ、わたしのプロポーションって
結構イケてたりする?)
 奏の心臓が甘やかな響きを打つ。もっと詳しく自分の身体の感想を聞きたいような、しかし、
恥ずかしくて尋ねられるわけもなく ――― そう悶々とした気分に陥りながらも嬉しそうな雰囲
気を振りまいている。まあ、本当のことを知ったら、響を風呂場から叩き出しかねないが。

(奏は嬉しそうでイイなぁ)
 ついでに、おいしそうでイイなぁ…と奏の裸身のあちこちを眺めて、口の中に唾液を溜める。
さすがに『カプッ』とつまみ食いするわけにもいかず、見ているだけという状況が非常にツライ。
 とうとう薔薇の湯を両手ですくって、
(奏の出汁(ダシ)が出てるかも……いやいや、わたしの出汁も混ざっちゃってるかな)
 飲むべきか飲まざるべきか、などと悩み出す始末だった。
 熱心に両手の中の湯を見つめる響の姿に、奏がクスッと笑ってしまった。
(響かわいいっ! よっぽど珍しいんだ、薔薇のお風呂が)
 身体は隣り合っているのに、考えていることは完全にすれ違っていて、そして、二人ともそれ
に気付く気配もない。
 空腹に耐えかねた響が、奏の身体は無理でも、せめてカップケーキをおねだりしようと口を
開きかけたが、「あのね…」と話し出した奏の声にさえぎられてしまった。
「毎回カップケーキばっかりだと、さすがに響も飽きちゃうんじゃないかと思って。たまには何か
新しい事してあげようって考えたの」
 奏の表情が、可愛らしい笑みにほころぶ。
「響もそれなりによろこんでくれてるみたいだし、うんっ、やってみた甲斐があった!」

 響が何も言えないまま口を閉じて、申し訳なさそうに両眉の尻を落とした。奏は毎日のように
おいしいカップケーキを作ってくれて、今日は薔薇のお風呂。そう、全部、響のために。
 ――― なのに、自分は。
(わたしも何かしてあげられないかな? んー、たとえば奏の筋トレのトレーナーになってあげる
とか。……ははっ、これは無いか)
 カップケーキ!カップケーキ!と騒ぐ腹の虫を抑えて、大親友の好意に感謝する。
「ありがと、奏」
「でも、本当はカップケーキ食べたーいとか思ってるでしょ? ごめんね、あとですぐ作る」
「あちゃー、バレちゃってる。あはは…」

 少女たちが肩同士をくっつけ合い、湯船の中で仲良くなごむ。薔薇の花びらに隠された湯の
下で、二人の手が優しく繋がれた。

 奏が一番よろこんでくれるもの、何がいいかな? ――― そんな気持ちを含んだ眼差しを彼
女の横顔へと向けた。
 真珠みたいにつややかで、マシュマロのようにやわらかい唇。
 どれだけ頑張ってみても、ファーストキスの事は全然思い出せない。
(奏にとっては大切な思い出だったんだよね)
 視線の先にある唇を見つめながら、ほんの少しだけ、響が顔を寄せる。
「奏、あの時、わたしが勝手に帰っちゃったこと、怒ってる?」
「えっ?」
 と、奏がまばたきして見返してきた。響との顔の距離が縮まっているのに気付き、微かに瞳を
揺らすが、それ以上の動揺はない。
「いいの、わたしのほうこそ、響も憶えていないような昔の話なんかして。いきなりキスしたとか
言われたら、響だってびっくりしちゃうよね?」
 奏はそう言って、あえて笑顔を作ってみせた。しかし、誰よりも付き合いの長い響をだますこ
とは出来ない。心に生じた曇りを見透かされてしまう。
 見つめ合う二人の目のうち、奏の双眸がまばたきのために一瞬閉じられた。そのわずかな
隙をついて、響が顔の距離を一気に詰め ――― 。
「…っ!」
 響と繋いだ手に、びくっ、と力がこもった。奏が両目を大きく見開いて驚く。


 ゆっくり離れていく響の顔を、奏が呆然と眺める。唇に残るぬくもりの感触がまだ信じられな
いといった表情だ。
「響……」
 彼女の口から、震える声が洩れる。続けて何かを言おうとしたが、それが言葉になるよりも早
く、響と一緒に「「…ぷっ」」と噴き出してしまった。
「もーっ! 響ーっ!」
「あははっ、ごめんごめん。……でも、さっきのアレは、わたし、絶対忘れないから」
「当たり前でしょっ。もし忘れたら、響には一生カップケーキ作ってあげない!」
「ウン、約束」
 薔薇の花びらに隠された湯の下で、繋がれていた二人の手が、小指同士を結び合うカタチに
変わる。
「本当にごめんね、奏の初めてのキス……思い出してあげられなくて」
「それはもういいの。ファーストキスなのに、わたし、ゾンビだったし」
「…はっ?」
「い・い・の! 思い出さなくていいんだってば!」
「あっ、そうだ。 ――― わたしがまだちっちゃかった頃、犬のウンコ踏んで泣いた時にさ、奏が
靴を交換してくれた事あるじゃない。これならバッチリ憶えてるよ」
「そんなの忘れなさいッッ!! 今すぐッッ!!」
「えー、何で? 二人の美しい友情の思い出じゃない」
「だからってフツーは、キスのあとにウンコ絡みの思い出なんて語らないの! 響ってばデリカ
シー無さすぎだよ、もおっ!」
 奏がプイッと怒り顔をそむけてしまったが、少女たちの小指は今も優しく絡められたままだ。
響が肩をすり寄せてきても、身体を逃がそうとはしない。薔薇の湯につかりながら、ある一つの
事を考える。
「少し前にね、いいコトを思いついたんだけど……言ってもいい?」
「なになに?」
 子供みたいに興味津々の表情になった響へ、まずメイジャーランドの妖精について語って聞
かせた。
 妖精は大きく分けて三種。使い手に愛された楽器が妖精に生まれ変わったもの、音の精霊
クレッシェンドトーンを母体として生まれてきたフェアリートーンたち、そして、幸せな心で奏でら
れた旋律に導かれて、稀に誕生する猫型の妖精。
 ――― 以上、アコに教えてもらった知識を、世間話のような軽い調子で話す。響も簡単な相
槌を交えながら話についてきてくれている。
(ちゃんと響の興味は引けてる。……よし)
 本題を急がずに、ゆっくりと外堀を埋めていく。次の内容は、猫の肉球のすばらしさ、特に、
生まれたての子猫の無垢な肉球についてだ。
(奏って、あいかわらず肉球好きだよね〜)
 やや苦笑しつつ話に付き合っていた響だが、唐突に、彼女の直感に何かが引っかかった。
ニコニコと笑顔の仮面を被っている奏の意図に気付いて、ハッとする。
「話の途中だけど、そろそろあがろっか? なんだかのぼせちゃったみたいで……」

 ――― 逃げなきゃ。

 本能的にそう感じた響が腰を浮かせかけたが、仲良く小指を結んだ奏の手に阻止されてしま
う。この湯船から出さないつもりに違いなかった。
「奏……そういうのって、さすがにマズイんじゃないかなあ?」
 こわばった笑顔の響が、もう一方の手で奏の小指を外そうとするが、少女はニコニコした表
情を崩さないまま、ギリギリギリ……と小指に全力を込めて抵抗してくる。
「あれー、響は、赤ちゃん嫌いなの?」
「そうじゃないけど……わたしも奏も、まだ14歳だよ?」
「もちろん、今日明日って話じゃないのよ? それに音吉さんから借りた本で、きっちり育児の
勉強してるから大丈夫」
「ハハハ……がんばってね、奏」
 響は乾いた笑い声を上げて、なんとか浴槽から脱出しようともがく。それに対し、小指だけで
引き止めるのをあきらめた奏が後ろからガッシリと組み付いてきた。
「わたし一人に子育てを任せるつもりなのっ?」
「待って奏っ、つかんでるっ! つかんでるっ!」
 顔を真っ赤にして響が叫ぶ。言われて奏も、手の平に当たる柔らかい弾力に気付いた。軽く
手の平を動かして、その感触に感心してしまう。
「うわぁ、思ってたよりも柔らかいんだ、響の胸って。……あんまりおっきくないけど」
「グッ…、おっきくなんなくてもいいもんっ」
「拗ねないでよ」
「……もうどうでもいい。なんか疲れた」
 深々と溜め息をついて、浴槽にへたり込む響。背中には、二つのやわらかな肉の量感が押
し付けられていた。「…♪」と楽しげに密着を続ける奏の胸だ。
(子育てするってことは……生まれてきた妖精におっぱいあげるのかな?)
 響が首を動かさず、視線だけを背後に送ろうとした。もちろん見えはしないけれど、カタチも
大きさも、ばっちり思い出せる。それは、まさに極上のカップケーキ。響の喉がゴクッと鳴った。
「さっきの話なんだけど……大人になってから、なら……」
「ホントに!? ――― 本当にいいのっ、響?」
「その代わりにね、奏のカップケーキを……食べさせてほしい」
「いいよ。もう100個でも200個でも、響が欲しいだけ食べさせてあげる♪」
 勘違いしている奏へ、響がおそるおそる訂正を入れた。
「そうじゃなくてね、赤ちゃんにあげる前に、わたしに味見させてほしいって言うか……奏のカッ
プケーキを……」
「へっ?」

 薔薇の湯を優しく波立たせて、響の身体がこちらを向く。奏は反射的に視線を逃がしてしま
う。羞恥と困惑で全身が震え出しそうだった。
 響の言う『カップケーキ』の意味が、ようやく奏にも理解できた。
 つまり、味見というのは、彼女の口がこの乳房に ――― それ以上の想像を、奏の意識が強
制的に断ち切った。
(駄目駄目駄目駄目駄目駄目ッッ!! 無理無理無理無理無理無理ッッ!!)
 奏の胸の内側で、心臓が発作を起こしたみたいにバクバク鳴っている。
 とにかく落ち着こう。思考を冷静に、冷静に ――― あ、無理。
 動揺しまくる精神を安定させるのに失敗した奏が、どうしよう……という目で、チラッと響の表
情をうかがった。
(わっ、捨てられそうになってる子犬みたいな顔っ!)
 思わず、よしよし、と優しく頭を撫でてあげたくなる。
(確かにめちゃくちゃ恥ずかしいけど、響だって、わたしの無茶なお願い聞いてくれたワケだし
……ウ〜〜ン……)
 仕方ないかなぁ、と静かな溜め息を一つ。
 恥じらいと愛しさであふれる貌(かんばせ)が響の目の前で、こくっ、と小さく上下した。
「じゃあ、あとで味見させてあげるね」
「やったーっ!」
 白い裸体がギュウウッ!と強くハグされて、乱暴に押し倒された。赤い彩りを添えられた湯が
派手に跳ね、少女たちの身体がその下に潜ってしまう。

(ああ、そっか…)
 薔薇の花びらが揺れるのを湯の中から見つめ、そして思い出した。
 奏も大切なことを忘れていた。
 あの時、『ロミオとジュリエットごっこ』で響にキスしたのは、ストーリーがハッピーエンドになっ
たからって、それだけじゃない。
 いつまでも変わらず、ずっと響の隣にいたくて。
 つまり、それは奏にとっての『大好き』という気持ちで ――― 。
 
(もしかして、わたしの初恋の相手って…………)
 息苦しさを覚えた奏が、自分の唇を指差して「ん゛ん゛ッ」とうなってみせる。一緒に沈んだ響
がすぐさま唇を重ね、口移しで空気をくれる。
 これが、二人にとっての三度目のキス。
 唇同士を重ねたまま響を抱き返して、その身体を『味見』してみた。綺麗で細くて、でもどこか
力強い女の子の背中。指を走らせ、あちこちに触れてみる。
 くすぐったそうに身じろぎした響の口から、ブクブクと空気の泡が洩れていく。キスの味は、も
はや酸欠の苦しさに化けて、それでも少女たちを恍惚とさせた。

「「 ――― ぶはっ!」」
 ザバッと湯を裂いて、二人のカラダが同時に起き上がる。
 ぐったりと浴槽の縁をつかみ、少女たちがせわしく呼吸して酸素をむさぼる。
「はぁっ…はぁっ…、奏とキスしたまま天国に行くところだった……」
「なにやってるんだろう、わたしたち……」