心音 ― こころノおと ― 01
理科室をオレンジに染め抜く夕日の光。黙々と実験の後片付けに勤しんでいた雪城ほのか
が、一瞬だけ手を止めて、窓のほうをうかがった。
(帰っちゃったかなぁ…)
グラウンドから響いていた運動部の声も、聞こえなくなってから随分と時間が経つ。
斜陽の光に目を細めつつ、また片付けの作業に戻った。
一緒に後片付けを担当していたユリコ他数名の女子たちが、途中で全員揃って「用があるか
ら」といって帰ってしまったせいで、今、ここにいるのはほのかだけだった。
(みんな、どうしちゃたんだろう?)
先に帰ってしまった皆を責めるでもなく、その程度の思考に留めながら手を動かし続けた。
流れるように手際良く実験器具をしまっていく姿は、夏服の上から白衣を羽織っているせい
で、一角(ひとかど)の研究者に見える。しかし、ぽつん…と口から洩れた切ない呟きは、年相
応の少女のものだった。
「……なぎさと帰りたかったなぁ」
猫のように足音を一切立てず、少年めいた体躯が階段を駆け昇る。
ラクロスで日夜鍛えぬいた手足は、スラリと引き締まっていて美しい。
廊下の角からわずかに顔を出し、まるでスパイ映画さながら慎重に様子を探る。内通者(ユリ
コ)から得た情報では、ターゲットは理科室に潜伏中とのこと。
放課後は科学部の部室として使用される理科室は、色々と興味を惹いてしまう面白い物が
多く、危険な場所だ。この前も良く分からない器具を勝手にいじっていたら、ターゲットにすごく
怒られてしまった。
(このミッションに失敗は許されない……)
美墨なぎさが凛と表情を引き締めて、感覚を研ぎ澄ました。サッ、と廊下を移動し、理科室の
ドアに張り付く。指の一関節分スライドさせた引き戸の隙間から、ターゲットの後ろ姿を視認す
る。白衣を滑り落ちる豊かな黒髪。なぎさの少年っぽいセミショートの髪とは大違いだ。
(綺麗……)
いつ見ても、そう思ってしまう。さわるとツヤツヤ、サラサラしていて気持ちいい。ほんのりとい
い匂いもする。見慣れているはずなのに、見蕩れてしまう。
(―― はっ、いけないいけない。危うくターゲットに惑わされるところだった……。アタシは任務
のためならば感情を切り捨てる非情の女スパイ……)
高等部にもなりながら、小学生じみた自己の設定にのめり込んでいるらしい。両親と弟が今
の彼女を見たら、多分泣きたくなる。
(う〜、でもなんか後片付けしてるみたいだし、邪魔しちゃいけないよね)
なぎさが何か変な事をして、ほのかが実験器具を落としでもしたら大変だ。おとなしく隙間か
ら『じーっ』と覗いているだけにとどめる。
すると、突然ほのかが後片付けを中断して、窓のほうへ歩み寄った。どうやらグラウンドを眺
めているらしく、なぎさに背を向けて、じっと動かない。
(ん…んんっ? これはもしかしてチャンス到来?)
なぎさがニッと笑って、理科室のドアを音を立てないよう『そぉ〜〜っ』と開けていった。抜き
足、差し足……そろりそろりとほのかへ忍び寄っていく。なぎさの表情が子供みたいにキラキラ
している。後ろから「わっ!」と言って驚かせてやるつもりだった。
手を伸ばせば、ほのかの背に届く距離まで近づけた。彼女はまだ外を見続けている。なぎさ
がミッションの成功を確信する。
だが、なぎさが口を開こうとした直前、ほのかの身体がくるりと回った。そして、なぎさ以上に
いたずらっぽい表情でカウンターを決める。
「な〜ぎさ。わっ!」
その可愛らしい声に驚かされたわけではないが、なぎさが呆然と固まってしまう。ほのかが、
ふわり…と髪のいい匂いを残して、後片付けの作業に戻った。
「ふふふっ、もう少しだけ待ってて。すぐに終わらせちゃうから」
ピンときた。今日に限ってユリコたちが早く帰ってしまった理由。おそらくは、自分となぎさを二
人きりにするための計(はか)らい。きっとユリコの先導だろう。
(ユリコにしてみれば、これも実験なのかしら? 私となぎさ、人目につかない場所で二人きり
にしたら、どんな化学反応を起こすか)
ユリコの期待している展開を想像して、ほのかは顔を赤らめた。
背後では、固まっていたなぎさがようやく復活を遂げたようだった。
「あ…ありえない……」
ぎこちない呟きと共に、ほのかを振り返る。絶対気付かれていない自信があったのに、なん
でバレちゃったんだろう? ……まさか超能力?
(テレパシー能力でアタシの考えを読んだとか? ……むむっ)
なんとなくありそうだと思った。
とりあえず、ほのかの後ろ姿を睨みつけるように両眼に力を込めて、念波を送ってみるなぎ
さ。
(チョコレート食べたいチョコレート食べたいチョコレート食べたいチョコレート食べたい……)
ふと視線を感じて、振り返ったほのかがギョッ!と立ちすくんだ。なぎさが物凄く怖い顔で、自
分の事を凝視している。
「ご、ごめんなさいっ、なぎさ。そんなに驚かすつもりじゃなかったの……」
……どうやらテレパシー能力は無いようだ。ガッカリと肩を落としたなぎさを見て、ほのかが今
度はキョトンとしてしまう。
(あれ? なぎさ、どうしたのかしら。お腹でもすいてるの……?)
いつにもまして、よく分からない。
「あの、なぎさ……?」
何か食べる物でも与えてやれば、なぎさの場合、大概すぐに元気になるのだが……。
やわらかな線で描かれた秀麗な面持ちを曇らせる。立ち悩む姿は、世話のかかる子を前に
した母親のようだ。ほのかの気苦労の程が窺えた。
もっとなぎさの気持ちがわかればいいのに…………。
ふと、そこでくだらない事を思いついてしまった。後片付けの手を止めて、様々な器具を収納
している棚を振り返った。
(こんなこと考えちゃうなんて、なぎさの影響かしら?)
そちらへ向かってほのかが歩き出すと、なぎさも「ん?」という表情になって後ろをついてき
た。アヒルの親子みたいに並んで歩く。
「……先に言うけど、ついてきても、お菓子とかは無いわよ?」
「ええぇ〜〜っ」
なぎさの不満げな声を背中で聞き流し、ほのかが引き出しを開けて、実験で使う聴診器を取
り出した。
理知的な容貌に、白衣姿の組み合わせ。そこに、聴診器のイヤーピースを耳孔にはめると
いう行為を加えれば、見た目はまさしく女医だ。なのに、なぎさときたら、
「うわぁ、金庫破りとか出来そうっ」
などと、変な方向に感嘆の溜め息をついていたりする。
「そんな事、し・ま・せ・んっ」
ほのかがキッパリ言い切る。そして、チェストピースを持ち上げて、なぎさの額にペタッと優しく
当てた。
「……………………」
なぎさが両目だけを上に向け、静かに成り行きを見守る。ほのかは目を閉じて、聴診器にジ
ッと聞き入っていたが、やがて、なぎさの頭からチェストピースを離し、気恥ずかしそうな苦笑を
浮かべた。
「やっぱり、コレでなぎさの心の声を聞くのは無理ね」
「なんだ、IQ測ってるのかと思った」
「ふふっ、なぎさったら」
楽しげに笑うほのかにつられて、なぎさも屈託ない笑い声を響かせた。
「でも、意外だよね。ほのかがこんな子供っぽいコトするなんてさ」
「なぎさのせいでしょ? 感染源は、なぎさです」
「んっ? アタシ、バカになる菌とかばら撒いてる?」
「そこまで酷いこと言わないわ。ん〜、無邪気菌とでも名付けようかしら?」
ほのかが上半身を突き出して、なぎさの匂いをスンスンと嗅いだ。
「あっ、ごめ……アタシ、練習のあとだから汗の臭いが……」
「大好きよ。なぎさの汗の匂い」
身を引こうと後ろへ一歩踏み出しかけたなぎさの足が、ほのかの言葉で止まった。逆に一歩
前に踏み出し、ほのかへと身を寄せた。
「ユリコがね、みんな帰るから、部室を愛の巣にしてもいいって言ってたよ」
「絶対にしません。もう、ユリコったら変な気を遣いすぎよ」
ほのかが、頑なに生真面目な表情を作って拒む。その身体が、突然強い力で引き寄せられ
た。声を上げる暇もなく、なぎさの腕の中に囚われてしまう。
(ダ…ダメッ……)
そう言おうとしても口が動かない。こんな時に限って、なぎさの表情は王子様のように凛々し
く、真摯な眼差しをほのかに注いでくるのだからたまらない。
「学校だし、エッチなことはさすがにしないけど……キスくらい……、ねっ」
愛する少女の優しいささやき。それを紡ぐ唇に魅入られてしまう。言葉が鼓膜で溶けて、ほの
かの心をかき乱す。
夕暮れ色に綺麗に染まった理科室で、二つの瞳がまばたきもなく見つめ合う。ただ静かに、
生徒手帳には載っていない禁止事項に及ぼうとしていた。
「ごめんなさい、なぎさ。学校でこういうことするのって、その……」
弱々しい言葉が、尻すぼみに消えていく。
なぎさがまぶたを降ろしてしまう。その顔はとても魅力的で、近づいてくるのを拒否できない。
(や、やっぱりダメよ、……えいっ!)
ほのかの右手が聴診器のチェストピースを掴み、サッと素早く自分の顔の前にかざした。
ペタッ。
「…………」
なぎさが、鼻白んだ顔でゆっくりとまぶたを開いていった。やわらかなキスの感触を期待して
いた唇は、金属の無粋な硬さによって塞がれている。
……………………。
……………………。
二人を気まずい沈黙が繋いだ。
なぎさの指が、ほのかの手からそっとチェストピースを抜き取った。すっ…、と息を吸い込む
気配に、ほのかが心持ち身構えた。彼女のことだから、てっきり糸電話みたくチェストピースに
向かって「コラーッ!」と怒鳴ってくるのではないかと思ったのだ。
しかし、なぎさの指はそれを束の間もてあそんだあと、小さな溜め息と共に、ポロリ、と興味を
失ったように落としてしまった。
呟きがなぎさの口からこぼれる。
「ほのか、ひどいよ…」
そして、クルリと向けられてしまった背中。
(あっ……)
拒絶の仕草に、ほのかの表情が凍りついた。いつもは大好きな背中が、今は断崖のごとくほ
のかを拒んでいた。心が悲しく軋む。一瞬、ほのかの顔が泣きそうに歪んで、しかし、毅然と表
情を持ち直し、彼女もまた、なぎさへと背を向けてしまうのだった。
「なぎさ、ズルイわ」
「アタシのどこがズルイっていうのよ?」
拗ねた声で訊き返すなぎさ。ほのかはツンと澄ました声で、
「知〜らないっ」
「なによそれっ!」
なぎさが険悪な声を上げた。背中同士を向け合って、二人が完全に冷戦状態へもつれ込
む。
「だいたい、学校でキスしようとするなんて、なぎさってば非常識よ」
「キスくらい別にいいじゃない」
「よくありません!」
「あっそ! ほのかはアタシとキスするのが嫌なんだ」
「そんなこと言ってないでしょうッ!」
ほのかの応戦する声も、だんだんと感情的になってくる。怒りも露わに、胸の前で両腕を組
み、徹底的になぎさとやりあう構えだ。
「なぎさはもう少しデリカシーってものを学ぶべきだわ! いくら二人きりだからって、こんな所で
欲情しちゃうなんて ―――」
「――― 欲情ッ!?」
なぎさの頭にカッと血が昇る。知らずの内にキツク握り締められていた拳が、彼女の今の気
持ちを雄弁に物語っていた。
「アタシっ、欲情でほのかにキスしたことなんて一度もないよッッ!!」
なぎさの雷鳴のように響く大声が、理科室を震わせた。そして、嵐のあとの静けさが満ちる
中、ほのかの小声が咎めるように響いた。
「…うそばっかり」
「なにがっ!?」
「ベッドの中で、いつも私の唇とカラダをいやらしいキスでイジメているのはだ〜れ?」
「そ、それは……って、そうじゃなくて、アタシの言いたいのはっ、さっきのキスは欲情なんかじ
ゃないってコト!」
バツの悪そうな顔で、なぎさが続ける。
「ほのかのこと、本気で真剣に好きだから…………」
言葉で上手く気持ちを伝える事に慣れていない。たどたどしく、でも精一杯の言葉で語りかけ
る。
「キスしたら、ほのか喜んでくれるって思ったし、今までキスして嫌がられたことなんて一度もな
かったもん……」
「嫌がったワケじゃないわ。ただ、ここが学校の中だから……」
声のトーンを弱く落として、ほのかが腕組みを解いていった。一歩、二歩……、ゆっくりした歩
調で後ろに下がり、背中同士が触れ合うまでに距離を縮める。
「私が、なぎさとのキスを嫌がるワケないじゃない」
力を抜いて垂らした手の甲を、そっと指がなぞってくる感触。ほのかが手首を返して、なぎさ
の手を愛おしく握る。待ち切れなかったみたいに指が絡まりあう。
「ほのか、こっち向いてよ。ほのかの綺麗な顔、見たい」
王子様の誘惑的なささやき。くっついていた背中が離れていくのを感じて、それを追うように
ほのかの体が振り向いた。たったニ三歩の距離。でも、その程度離れているだけでも堪えられ
ない。ほのかが繋がったままの手を強く引いて、なぎさを振り向かせる。
「なぎさ…、私から離れないで」
「じゃあ抱いてもいい?」
ほのかが答えるよりも早く、なぎさの手が腰に回って、力強くカラダを引き寄せられてしまう。
ずいぶんと強引でせっかちだけど、嫌いにはなれない。……相手が、なぎさならば。
「やっぱり……なぎさはズルイ」
ほのかが瞳いっぱいに彼女の顔を映しながら、弱々しい声音でつぶやく。
「駄目だって言ってるのに……。そんな王子様みたいに素敵な表情で、私をイケナイコトに誘お
うとする……」
「ほのかを愛してるから」
真っ直ぐななぎさの言葉に、一秒で陥落させられてしまうほのかの心。
(……抵抗できないよ)
学校の中なのに、まぶたを降ろして、なぎさの唇を待ってしまう。
淑やかに繕われたお姫様の白磁の表情。ほんのりと赤い唇だけが興奮に震えて、熱を持っ
ていた。なぎさの唇が、そこにやわらかく、優しく、覆い被さる。ほのかの身体を抱き締める腕
の力強さに反して、なぎさのキスはとっても甘優しい。愛してるという気持ちが唇を通じて伝わ
り、ほのかの心を溶かしてしまう。
しばらくして、なぎさの唇が『ちゅっ』と可愛らしくオシマイの音を立てて離れていった。自由に
なったほのかの口から、「あっ…」という切なげな声が洩れる。
「ん…? もっとしたかった?」
「……いじわる」
なまめかしい唇の動き。なぎさのカラダにしなだれかかって、今度はほのかの方から唇を預
けた。とろけるようにやわらかなキスの味と感触に酔い、時間が経つのも忘れてしまう。
(なぎさ、愛してる)
唇を重ね続けて、ケーキよりも甘い幸せを満喫。一分を越えて、ようやく二つの唇が離れた。
キスの余韻を乱さぬよう、静かにまぶたを開く。
キスの興奮が、二人の瞳をしっとりと潤ませていた。顔のほうも、ささやかながら上気してい
た。
「ふふっ」
自然とほのかの口から上品な笑いがこぼれた。見つめ合う……それだけで心がこそばゆくな
ってしまう。なぎさもつられて笑顔を見せた。
「ほのか……」
世界で一番好きな名前を舌の上で転がして、なぎさが再び目を閉じようとした。
「あん…、だ〜めっ」
甘ったるい声と共に、ほのかが人差し指を、ぴとっ、となぎさの唇に押し当てて、キスの体勢
に入った彼女を止めた。
「つづきは、家に帰ってからね」
いたずらっぽく天使の笑みを振り撒き、ゆっくりと手の平を胸に当てた。
「……学校でしちゃったからかな。いつもより、心臓がすっごくドキドキしてる」
胸に当てたほのかの手の上から、なぎさの手の平が重ねられる。
「なぎさ、わかる?」
「ううん、全然 ――――」
わかんない、と口にするより、なぎさの目が無邪気な輝きを見せるのが先だった。彼女の視
線を追って、ほのかも気付いた。そういえば、聴診器を付けたままだった。
「これで聞いてみる?」
なぎさが、オモチャを買ってもらえる子供みたいな顔で「ウンウンっ」と頷いた。とても嬉しそう
だ。
イヤーピースを耳から外し、なぎさの耳に優しく装着。ワクワクと逸(はや)る心を抑えきれな
いのか、彼女は既に聴診器の先端部、すなわちチェストピースをほのかに向けて構えていたり
する。
「もおっ、少しぐらい待って」
ほのかも苦笑を隠しきれない。
白衣を脱ぐ衣擦れの音が理科室に響いた。ためらわず、夏服にも手をかける。ボタンを外す
動作は滑らかだが、ジッと注がれるなぎさの視線を意識して、顔は恥ずかしそうにやや俯き加
減なのがいじらしい。
ブラウスが華奢な肩をすべり、ほっそりとした少女の肢体を露わにしていく。肌は無垢な雪の
色。濡れたようなツヤをみせる黒髪のせいで、カラダの色白さが際立っている。
首筋も、指の先から肩の付け根までも、さらにはお腹の周りも、全部がスラリと細くて高貴な
可憐さを匂わせている。唯一ふくよかな丸みを帯びた胸が、思春期のカラダにさらなる華を添
えていた。
ほぼ全てが露わになった上半身。瑞々しさ溢れる胸の果実を、ブラジャーという柔布(やわぬ
の)一枚で隠しているのが、かえって扇情的かもしれない。
どんなに見慣れていても、やっぱり見蕩れてしまう。なぎさが、(綺麗……)などと月並みな感
想を胸にこぼしていたら、ほのかがブラジャーのホックも外そうとするので慌てる。
「えっ? えっ? ちょっとほのか…」
「本来は診察時には外すものなのよ。じゃないと、ブラジャーが邪魔になって、心雑音がよく聞
き取れないもの」
「そ、そーなんだ……」
ぎこちなくうなづく。シンザツオンて何だろう? そんな事を考えている間に、ブラジャーのホッ
クが外されてしまう。緩んだブラジャーから、小ぶりな乳房がこぼれそうになるのをサッと左腕
を使って隠す。
何気ない風を装っているが、ほのかの表情が羞恥心で微かに強張っている。
(なんか……ほのかが恥ずかしがってると、こっちまで恥ずかしくなってきちゃうってゆーか)
班単位で使用可能な大きな机に、ほのかの体温を残した服が微妙に乱れて脱ぎ捨てられて
いる。気だるい夕日の光が射す中、時間も、空気も、緊張を孕んだ静謐感に支配される。ちょ
っとでもそれを崩せば、たちまち情動に流されてしまいそうで怖い。
「その……ハダカになったからって、変なコトしちゃ駄目よ、なぎさ」
恥じらいを含み、上擦った声音がこの上ない色香を醸す。
なぎさが、ごくりと粘っこい唾を飲み干した。
ほのかの裸身を無性に抱きしめたくなる。その細身のやわらかさと温もりを、ギュッと力を込
めて味わいたい。
思わず手を伸ばしかけたなぎさに、ほのかが、びくっ、と身をすくめた。しかし、なぎさから微
妙に視線を逸らしつつも、逃げない。
(い、いけないいけないっ!)
頭を左右にブンブン振って官能的なムードを振り払うと、なぎさはワザと大きな声で、ほのか
に椅子を勧めた。
「うぉ…うぉっほん、では診察を始めるから椅子に座るのじゃ」
………………。
寒い沈黙が二人の動きを止めた。ほのかが呆気に取られた顔でなぎさを見る。
「……なに、その変なしゃべり方?」
「えっ…と、お医者さんの雰囲気出そうと思って……」
赤面しながら説明する彼女の姿に、ほのかの口許からクスクスと笑いがこぼれる。
「なぎさ先生、セクハラとかしたら告訴しますよ?」
ががっ、床を擦る音を立てて引き出した椅子に腰を下ろしながら、ほのかが冗談めかして言
った。なぎさが向かい合って座るの待って、ほのかが恥らいつつも左腕を下ろしていった。
やわらかな乳房の頂点で、うっすらと淡い桃色に色付く乳輪と、可愛らしくツンとした乳首。な
ぎさの視線を感じただけで、指と舌と歯による狂おしいまでの愛撫の感覚がよみがえってムズ
ムズしてくる。
「んっ…」
短く喘ぎを洩らして、ほのかが紅潮していく顔を背(そむ)けた。興奮の早鐘を打ち始めた心
臓に対して、ささやかな抵抗だ。
「ほのか、そんなに恥ずかしいんだったら ――――」
なぎさが優しい気遣いを見せて、ほのかの服を手に取ろうとした瞬間、
ぎろっ。ほのかの冷え冷えとした視線に見据えられて、「ひっ!?」と悲鳴を上げて手を引っ
込めた。
「かまわないから、診察しなさい」
静かな口調に込められた迫力に怯えて、「たたたた…ただいま診察しますっ」と、なぎさが手
にしたチェストピースを、ぴとっ、と胸に押し付けた。
肌を這う金属の冷たさに身悶えしそうになるのを押し殺し、
「なぎさ、もうちょっと左に……そっちは右でしょ。鏡じゃないんだから……んっ、そうその位置
……」
ほのかの誘導に従って、聴診器を当てる位置を微修正。思っていたよりもハッキリと聞こえて
くる音に驚く。
『どくっ…どくっ…どくっ…どくっ…どくっ…どくっ…どくっ…』
力強く、ほのかの全身に血を送り出す音。それは生命の響き。なぎさの表情に感動が広がっ
ていく。
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