プリキュアオーヴァーズDX 01

第一話「物語開幕」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 全ての生命は、誕生した瞬間から<死>という終焉に向かって落下を始める。
 何者も逆らえず、抗えず、<死>に引きずりこまれて全てを終える ――― そのベクトルはこ
の宇宙において固定された絶対の意志。善悪の概念はなく、どこまでも一方通行的な法則だ。
 <死>んだ瞬間、生命に宿っていた意思は潰える。静かな闇色に染まって消滅する。それ
はただ<死>をひたすら濃く闇色に上塗りしてゆく。
 生まれ、生まれ、――― 無限に湧き続ける生命が、無限に<死>へ収束し続ける。
 <死>がより深い闇色へ染まる。降り積もる<死>が重さを増し、空間を歪め、時間を歪
め、法則を歪め、強大な魔的重力を発するようになる。

…………そして、<死>が飽和した。
…………そして、産声を上げるように超高温に沸き立つ<死>から、生命を否定する神が現
れた。

 一瞬にして、幾つもの星が<死>んだ。すぐにひとつの銀河が完全に<死>に絶えた。
 過去で、未来で、現在で、生の痕跡を<死>が次々と塗り替えてゆく。増大の一途を辿る力
に時空が歪みすぎて、時間的な因果律に狂いさえ生じている。
 宇宙はかつてないほど冥(くら)く、<死>の混沌に半ば沈み始めていた。
「でもね、これは伝説の戦士プリキュアの物語なんだ」
 やわらかそうな金の髪を額にかからせて、少年が静かに語る。小さな腕に抱きかかえられた
ヌイグルミのような友達が「ポポ?」と不思議そうにその顔を見上げてきた。
 少年が、ニコッとあどけない笑みを浮かべて言葉を続けた。
「宇宙を呑み込むほどの絶望は、宇宙の隅々まで照らす希望と光が打ち砕く。……うん、瑣末
なイベントだよ」
 そして、「それよりもね」と少年がつぶらな青い瞳を、楽しげにキラキラと輝かせた。
「ボクたちにとって、もっとスゴイ事が待ってるんだ。 ――― 未来でっ」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 吐息を感じる。首筋に当たって、儚く砕ける。その息遣いで、眠っていないのがわかる。
 ―― 震えているから。
 戯れるように、やわらかな髪に唇をふれさせてみた。吐息の震えが大きくなる。
 一人暮らしのときは広く感じたこの家も、小さな同居人が増えたせいで手狭になってきた。で
も、それが良い言い訳になって、彼女と寝室とベッドを共有できるのだから ――― 。
(役得かな?)
 電気が消えているので、こらえずに大人のズルイ笑みを口元に浮かべた。少女の細い身体
に温もりを与えてやるみたいに、もう少しだけ強く抱き寄せてみる。
「……っ」
 声にならない微かな喘ぎと、わずかばかりの抵抗。それは恥じらいの反応であり、嫌がって
いるのではない。だから、もっと強引に出てもよいのだが、ここで一線を引く。
 最後にもう一度、髪に唇をふれさせた。少女の訴えるみたいな吐息の震えを無視して、これ
でお終いにした。
 ……ちょっとからかっただけだよ。
 そういうことにして眠ってしまう以外出来なかった。
 歯がゆく思う。大切に思えばこそ本気で触れられない宝石。妹のように、娘のように愛おしん
できた彼女が相手だからこそ、二人の間に埋めがたい距離が生まれる。
 ほっそりした指でパジャマの袖を、きゅっ、と掴まれた。
 でも目を閉じたまま、気付かないフリでやり過ごした。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 今日も気持ちのいい晴天だった。空の色は、宇宙まで突き抜けそうな澄んだ青。その空の
下、穏やかな日差しに温められた公園に、タンポポの花みたいに黄色いワーゲンバスが停ま
っていた。
 車の屋根には、華やかに標された『TAKO CAFE』の看板。車体の側面は大きく観音開きに
され、『たこ焼き』の暖簾を掲げた奥からは、食欲をそそる匂いが漂っていた。
 設置された屋外テーブルとパラソルが三セット、これから来るお客さんを待ちわびている。
 そのうちの一つ ―― テーブルの上で、わずか30センチほどの身長の不思議生物がせっせ
と働いていた。
 白くてふんわり、ヌイグルミを思わす外見。
 クリクリした大粒の黒瞳は幼く、ちっぽけな丸い胴体に乗っかった大きな頭には、小さな王冠
を戴いている。最も目を惹くのは、うちわみたいに大きな耳。
 首周りのふっさりした毛は温かそうで、ちょこん、と生やした尻尾の先は丸いフワフワの毛の
ボールになっている。
 そんな生き物が、ちっちゃな腕に似つかわしいミニミニタオルで、テーブルを拭く作業に精を
出していた。
「ルルっ♪」
 そのテーブルに、また別の小さな生き物が飛び乗ってきた。「ポルン、あそぶルル♪」
 こちらは、一回り幼げな雰囲気のスイートピンクのヌイグルミ。表情は天真爛漫。
 ロップイヤーラビットみたいに長く垂れる耳をぽわんっと弾ませて、元気よくテーブルの上をジ
ャンプする。頭に戴いた小さなティアラがずれ落ちそうになるが気にしない。
「ルルン、今はだめポポ。ポルンはアカネのお手伝いをしているポポ」
 白いほうの生き物 ―― ポルンがたしなめるように言うも、全く耳を貸さず、ルルンが無邪気
にテーブルの上を跳ねまわる。
「ポルンっ、あそぶルルっ♪ あそぶルルっ♪」
 幼い妹に振り回される兄みたいに、ポルンが困り果てた顔になった。……と、その二人の上
へ不意に人影が落ちた。
「ポポっ!」とポルンが大きな耳を盾にして顔をかばう。びっくりしたルルンが『ボフンッ』とエー
テル煙を撒き散らしながらミラクルコミューンの形態に変化する。
「ハハ、アタシだよ」
 声の主が気さくに笑う。赤いバンダナがトレードマークの女店主、藤田アカネだ。
 凛、とハリのある表情が似合う小粋な美貌に加えて、バストとヒップの膨らみ具合を、決して
ウエストに比例させないボディ。全体的にすらりと引き締まった体躯は、彼女がラクロス部のエ
ースとして活躍した青春時代の賜物だ。
 見慣れたエプロン姿に、ポルンが警戒を解いた。
「ほら、お店のお手伝いしてくれたご褒美」
 アカネがフルーツを切り分けた皿をテーブルの上に置いた。再び『ボフンッ』とエーテル煙が
噴いて、ルルンがミラクルコミューンの姿から元に戻る。
「おいしそうルルっ♪」
 皿に盛られたフルーツへ笑顔で飛びつこうとするルルンを制して、ポルンが行儀良くさせる。
「だめポポ。まずアカネにお礼を言うポポ。それからいただきますするポポ」
「ありがとうルルっ。いただきますルルっ。…はむっはむっ」
 美味しそうな顔でフルーツを頬張るルルンを見て、アカネが快活な笑い声を立てた。
(しっかし、まあ……)
 笑顔のまま腰に手を置いて、心の中で呟く。暖かな視線の先にはポルンとルルン。
(この子らが、光の園の王子さまに王女さま…ねえ。とてもそんなご大層なもんには見えないけ
どなぁ)
 フルーツをはむはむ頬張る二人の無邪気な仕草に、アカネが一段と笑みを明るくする。
「んっ? ポルン、遠慮しないでよ!」
 食べる手をとめて、ジッと見上げてくるポルンの背を、ぽんっ、と優しく叩いてやる。もっとル
ルンと同じくらい気楽にしてればいいのにと思う。最近は自分からお手伝いを申し出てくれたり
と、その気持ちは嬉しいのだが。
(なーんか気ぃ遣わせちゃってるかなぁ……)
 アカネの笑みに苦笑が混じる。けれど、ポルンの瞳はアカネを見ていなかった。アカネのさら
に向こう……虚ろなる空が崩れていくのを不思議な感覚で視認する。
「アカネ、星がいっぱい死んでいくポポ……」
「えっ?」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ―― 同日30分前。
 ベローネ学院女子高等部の校門が、下校時のかしましさに華やいだ。
 駆けてきた少女がそこで立ち止まる。中等部の生徒であるという気兼ねが、逸(はや)りそう
になる感情にブレーキをかけていた。
(なぎささん、ほのかさん)
 祈るような気持ちを胸に募らせていると、
「あれっ? タコカフェのお姫様じゃん」
 などと、少女を見知っているらしい女子生徒から声を投げかけられて、赤面しそうになった。
 下校する先輩たちの邪魔にならないよう、待ち合わせ場所である校門の陰に下がって、ふう
っ、と一息つく。
 ビスクドール並みに整った容貌と、それに調和して、人形みたいな華奢な体格。
 ペリドットのようなオリーブグリーンの瞳は常に優しさを湛え、透き通った黄金色の長い髪は、
丁寧に編み込んだ右の髪を後から回して、邪魔にならないよう左の髪と一緒に束ねている。
 彼女のいる空間だけ、まるで別世界のように淡い光に澄み切ってしまう。
 タコカフェの看板娘 ―― 九条ひかりが待つこと数分、爽風なびかす王子と、ベローネ学院一
の才媛が夫婦のごとく寄り添って登場した。いつもならパッと輝くはずのひかりの表情が、今回
ばかりは申し訳なさそうに曇った。
 しっとりと朝露を含んだ蕾のような唇から、かすかな憂いを帯びた可憐な声がこぼれる。
「なぎささん、ほのかさん、ごめんなさい、わたしのせいで部活……休んでもらったりして……」
「いいって! そんなのっ」
 女ながらに王子の呼び名が定着してしまった美墨なぎさが、ニッ!とお日様みたいな笑顔を
浮かべてみせる。その隣で、聡明な顔立ちを、くすっ、とほころばせて、雪城ほのかも笑う。
「そうよ、ひかりさん。私たちの大事な妹のためだもの」
 妹といっても、もちろん、血は繋がっていない。けれど家族同然の間柄。その心遣いが嬉し
く、肩の荷が軽くなったみたいに、ひかりの顔が晴れた。
 きりっ、と表情を引き締めて、ひかりが二人と向かい合う。可憐な声音に決意の色をにじませ
る。
「あの……二人にぜひとも力になってもらいたいんです」
 なぎさが黙って頷き、やわらかい眼差しで続きを促す。
「その、わたしと……アカネさんとのことで……」
 周りが気になるのか、ひかりが言いよどむ。さすがにここでは話しづらい内容だった。二人が
その空気を察して、ちらり、と視線を交わしあった。
「ひかりさん」
 ふわり。
 洗い立てのような髪の匂いが風に乗った。さらさらなびく黒髪の下で、ほのかの白皙な美貌
が微笑みを作った。
 ほのかがひかりの手を優しく握って、自然な足取りで歩き出す。
「場所、変えましょ。……大丈夫、私となぎさがちゃんと力になるから」
「はい」
 二人の後ろを少し遅れて歩きだしたなぎさ。たった数秒の観察でひかりの乙女心の悩ます原
因を嗅ぎ取ったのか、その頬は嬉しそうに緩んでいた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ―― 前日、夜。海原市。
 最初に違和感を覚えたのは美翔舞だった。そして、そんな彼女の様子に誰よりも早く気付い
たのが日向咲だった。
 夜の街は空気が澄む。手を繋いで歩く二人は、少年めいた活発さを宿した少女と、物腰静か
な美少女。対照的な存在でありながら、二人並ぶと綺麗に調和が取れる。
 歩きながら物憂げに考え込んでいる舞の横顔を、咲が、じーっ、と穴が開くほど見つめてい
た。
 彼女ほど感受性のアンテナの精度が高くない咲だが、舞のことなら良く解る。ほんの些細な
表情の動きや仕草から、舞自身以上に彼女の内面を理解できてしまう。
「もしかして空じゃないかな……。舞が気になってるのって」
「えっ」
 咲の顔を見返し、そして、ハッとなって夜空を見上げた。人より秀でた観察眼で違和感の正
体を探り当てる。
「星の光が……少なくなってる?」
 自然に囲まれたこの街では、都市部よりも星々の輝きがくっきりと見える。夜空に煌く星の数
はそれこそ無数。その数のわずかな差異など肉眼で把握できるものではないが、舞の胸に漠
然とした不安が広がる。
 そして、舞を信じている咲にとっては、それが確信となった。
「舞がそう思うんなら間違いないよ」
 行かなくちゃ。咲の表情に力強い凛々しさが走る。
 やがて、二人の足は大空の樹へと辿り着いた。
 やっぱり、そこには先客がいた。
「満っ、薫っ!」「薫さんっ、満さんっ!」
 咲と舞に同時に名を呼ばれ、二人の少女が顔を見合わせて静かに微笑んだ。
 紅い瞳も、蒼い瞳も、かつて秘めていた闇色の虚しさは失われ、そこにあるのは限りない優
しさと穏やかさ。
 霧生満と霧生薫。すらりとした体躯の少女たちだが、二人は生まれついての戦闘適格者。滅
びの力を振るう事はもう無いが、代わりに今は精霊の力を存分に行使できる。
「咲と舞の顔からすると、わたしたちって随分とアテにされていたみたいね」
「当然よ。あの二人はわたしたちが付いていてやらないと本当に危なっかしいもの」
「もうっ、二人ともぉっ!」
 からかうみたいな口調の満と薫へ、咲が眉をハの字にしてむくれてみせる。その隣で、舞が
和やかな微笑を浮かべた。
「薫さんたちもやっぱり気付いていたのね」
「ついさっきのことよ。風のざわめきが嫌な気配を孕んだ」
 簡潔に答える薫の横で、満が胸の下で軽く腕を組んで続けた。
「月の引力が微妙に揺らぎ始めているのを肌で感じるわ。……言っておくけど、宇宙規模の事
件よ、これは」
 しかし、すかさず咲が言い切る。
「大丈夫っ、あたしたち四人でなら、きっとなんとかできる!」
 まっすぐな力強さに輝く瞳。その視線に三人の眼差しが頼もしげに重なった。仲間を信じる強
い気持ちは四人共通。
「行きましょう、咲!」
「今からじゃもう間に合わないかもしれないけれど……」
 舞に続いて口を開いた薫だが、その声に諦めの響きは皆無。満がゆっくり頷いて、その言葉
のあとを拾った。
「まだ全てが終わってしまったわけじゃない。わたしたち四人が力を合わせる以上、無敵よ」
 それは、全宇宙を呑みこもうとする脅威に対する宣戦布告。
 精霊の力が緩やかな輪舞を描きながら、四人の周囲に満ち始めた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ―― 翌日。ナッツハウスにて。
 フワフワしている。まるで綿菓子の中で眠っているみたいな感じ。夢うつつに「いただきます」
と断って口にしたのは、もたれかからせてくれていた少女の髪の毛。
「こらっ、のぞみっ!」
 幸せな午睡の中で、夢原のぞみはその声を聞いた。美味しいものは、分け合って食べるべ
し。
「りんちゃんも一緒に食べよ…」
 髪の毛をはむはむ食べ続ける一番の親友を、夏木りんが嫌そうな顔で引き離した。そのまま
ソファーの反対側に、こてんっ、と転がるのぞみの身体。
「あーあ。あたしの髪の毛、すっかりツバまみれじゃない、まったく……」
 慣れているらしく、りんはすっかり諦めた口調。テーブルの上で次に書く小説の資料をじっくり
検めていた秋元こまちが、顔を上げてクスリと笑った。
 ――― その時だった。早送りで再生されたヤギの鳴き声みたく、騒々しい音量が彼女たち
のいる二階に駆け上がってきたのは。
『メメメメメメメメッ……!』
 こまちの隣に腰掛けて、ぶ厚い医学書をめくっていた水無月かれんが、思わずページを繰る
手を止めて、そちらを見た。
『メメメメメッッ』と騒ぐ全身ピンクという派手な彩色の小物体は、小さな手足をバタつかせ、なに
やら異常に慌てふためいている様子だった。
 無生物的な、硬質でシンプルに形成された外観ゆえ、無線リモコン操作の小型ロボットが制
御不可の暴走状態に陥っているようにも見える。
「メルポっ? どうしたの…?」
 台本を片手に稽古に励んでいた春日野うららが、足元を一目散に走り抜けてゆくメルポを驚
いた顔で見送った。
 テーブルの下を俊敏に駆け抜け、りんの座っているソファーへと飛び乗る。たまたま横になっ
ていたのぞみの上に着地。「ふえっ?」と、のぞみがようやく目を覚ました。
「…あれ、メルポ……?」
『メッ、メメ、……メッッ!!』
 メルポの顔に当たる液晶部分から、転送された手紙が、ビッ!と吐き出された。のぞみが、
起きたばかりの寝ぼけ顔でそれをキャッチする。
「……手紙だ。誰からだろう」
 顔に張り付いた封筒を手に取って、封を切った。しかし、中身は空っぽだ。「あれれ?」とのぞ
みが封筒を逆さにして振ってみるが、当然存在しない中身は出てこない。
「手紙が入ってないよ、これ」
「んー? なんだろ……?」
 のぞみとりんが顔を見合わせる。ソファーの後ろから顔を出したうららも、「何なんでしょう?」
と空っぽの封筒を見て不思議そうな表情を作った。
「これは…………名探偵の出番かしら!?」
 こまちが目を輝かせるのを無視して、かれんがほっそりしたあごの下に指を当て、思考を巡
らせた。
「もしかして……手紙を書く余裕がないほど差し迫っている状況だった、とか?」
『メッ!』
 正解っ!とでも言わんばかりに、メルポがかれんを指差した。ちょうど、シロップと美々野くる
み(ミルク)も人間の姿で階段を上がってきた所だった。
「おーい、メルポ、どうしたんだ一体?」
「もう、メルポったら。急に騒ぎ出すからびっくりしたじゃないっ」
 さっぱりした身なりの少年と、微かに夕餉の支度の匂いを漂わせた少女へ、メルポが『メメ
ッ、メッ』と手短に経緯を語った。
 空っぽの封筒をヒラヒラさせながら、のぞみが考え込む。
「え〜っと、つまり、どこかの誰かが、あたしたちに大急ぎで助けを求めてるってこと?」
 メルポ語は理解できないが、かれんの言葉とメルポの様子を組み合わせて、そう判断した。
そして、りんの顔を見つめる。
「……で、りんちゃん。どこの誰なんだろう?」
「あたしにわかるワケないでしょ…」
「メルポもわからないってさ。どこの誰だかまでは」
 シロップもお手上げ。のぞみが手にしている空の封筒に目をやり、
「たぶん、相手もこっちの事は知らないだろう。とっさに出したSOS信号を、たまたま受信しちま
ったのがメルポだったって感じだな」
 そう言って肩をすくめてみせた。場の空気が深刻さを醸した。みんなの視線が、のぞみが手
にしている封筒に集中する。
 今、出来ることはひとつ。
「よし、さっそくお返事書こっ!」
 中身の無い手紙へ。どこかにいる誰かへ。のぞみが、封筒を持っていない方の手で、グッと
握り拳を作った。
 のぞみを囲んで、少女たちがうなずいた。見渡すのぞみに、誰もが力強い視線で答えていく。
そして、最後にのぞみが大きくうなずき返した。
 どこかで誰かが助けを待っているのなら。この六人が宿した伝説の力が必要だというのな
ら。
 シロップが頼れる笑みを浮かべて、メルポを肩に乗せた。
「じゃあ、返事が書けたらいつでも言ってくれ。たとえ相手がどこの誰だかわからなくても、俺た
ちが運び屋の誇りにかけて、絶対そいつに届けてやる!」
 手紙の返信と、その相手が必要としている伝説級の力を。仮に行く先が地獄であっても迷い
無く突っ込んでゆき、奇跡を起こしてしまう最強の少女たちを。
 のぞみが高々と天井 ―― を突き抜けてまだ太陽の座す空 ―― を指差し、宣言した。
「みんなでお返事書いて、その人のところへ行っくぞぉ! けってーーーーい!!」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 なぎさとほのかの軽やかな笑いが風に舞った。ひかりが、二人を相性のいいジグソーパズル
のピースみたいで羨ましいなどと言ったからだ。
 笑い声による、やんわりとした否定。
 ひかりが不思議そうに首をかしげる。
「……違うんですか?」
「う〜ん、まあ、ね。ほのかとは真反対の性格だもん、アタシ。……だから、二人のピースがキ
レイに嵌まらないことも多いよ」
「そうね。そして強引にピースを嵌めようとした挙句、ぶつかりあったり、喧嘩になったり。…ふ
ふっ」
 ほのかの声が大人びた笑いを含んだ。その隣で「うーん」と生真面目に考え込んでしまうひか
り。恋の経験の浅い少女には、夫婦の奥深さというものがちょっと難しかったようだ。
 ひかりを間に挟んで、なぎさとほのかが微笑みを交わす。
「アタシは、ひかりとアカネさんこそ、相性ばっちりのピースだと思うよ」
「そうそう。タコカフェでの二人を見ていると、本当に私たちのほうこそ羨ましくなっちゃうぐらい」
「えっ……そんな……」
 ひかりが恥ずかしそうにもじもじする。……けれど、その仕草には嬉しさがにじんでいる。や
がて、はにかみながら「うふふっ」と幸せそうな笑いを洩らした。その様子を二人の双眸が温か
な光を湛えて見守る。
「ひかり、がんばって」
 応援の言葉に、ひかりがハッとして笑いを引っ込めた。タコカフェは、もう本当に目の前だっ
た。
 心細げに少女が胸に手を当てた。いつもより早く飛び跳ねている心臓。
 誰よりも心強い味方であるなぎさとほのかの顔を交互に見上げて、ひかりが決心したように
頷く。小さな靴が震えながらも前へ進もうとする。
 その一歩をくじくように、鋭い声がひかりの身体にぶつかってきた。
「ひかりッッ!」
 藤田アカネの顔が、見た事もない焦燥の色で青ざめている。ただ、それだけがオリーブグリ
ーンの瞳に映った。何かを考える暇さえなく、ぐらり、とひかりの身体が背後に傾いてゆく。
「逃げ ――― 」
 アカネのその言葉が届くよりも異変の進行は速い。片手でポルンとルルンを一緒に抱えたア
カネがダッシュをかける。倒れゆくひかりへ、すぐ傍にいたなぎさとほのかも素早く手を伸ばす
が、それでも追いつけない。
 アカネが大地を蹴り、最大加速で飛び込む。伸ばした手が、かろうじてひかりの手に触れる。
だが、ひかりの背が地に着くと同時に、彼女の身体が呑まれるみたいに沈んでゆく。
 アカネは手を離さなかった。
 とぷりっ、と液体化した地面は、ひかりに続いてアカネもその内側へと誘った後、わずかなさ
ざ波を最後に残して、すぐに本来の姿を取り戻した。

「そんな……」
「うそ……」
 ――― それは一瞬の出来事だった。二人の人間と、ポルンとルルンの消失。四人を呑みこ
んだ地面に、なぎさとほのかが愕然とひざを着いた。
 すでにただの地面へと戻ってしまったその表面を、なぎさの手がそっと撫でた。
「……ひかり」
 呆然と言葉を洩らす。次の瞬間、自分たちを見下ろす気配を捉えた。バッ、と上空を向いた
双眸が、黒い影を射抜いた。
「あんた……」
 なぎさの言葉を待つこともなく、その影は空に溶けて消えようとしていた。それに向かってなぎ
さが吠える。
「待ちなさいッ! ひかりたちに何をしたのッッ!」
 逃がしてやるつもりは毛頭ない。すでにハートフルコミューンを手に構えている。
「絶対に……許さない……!」
 雪白の冷たい怒りを携えて、ほのかもまたハートフルコミューンを取り出していた。

 それは無敵の中の無敵。最強を超える最強。
 その双拳にて神話を刻みし者たち。敵対するならば、宇宙すら打ち倒す ――― 。

「「デュアル・オーロラ・ウェーイブ!!!!」」

 虹色の光輝をぶち抜いて、黒と白の伝説戦士が爆発的な脚力で大地を蹴った。
 彼女たちの身体が、砲弾と化して空へと駆け上がる。
 かくして戦端は開かれた。
 <死>の神とプリキュア、人智を凌駕した存在同士が最初の激突を迎える。


 ……遠くから、やわらかな金髪の少年が、その光景を見つめていた。涼しげな瞳の奥に甦っ
た壮絶な敗北。ジャアクキングとの分離は果たしているとはいえ、
「やっぱりあの二人だけはこわいよ……」
 今はひかりの弟としてこの世界に存在している少年、ひかるが重い溜め息をついた。そして、
空を見上げる。
「邪魔の入らない時空間でクイーンを始末するつもりだったみたいだけど……同情するよ」
 キュアブラックとキュアホワイトの前でそんな事して、ただで済むはずもなく。
 しかも、よりにもよってクイーンであるひかりとペアで、ジョーカーであるアカネのカードまで引
いてしまうなんて。その組み合わせは、覚醒してしまえば、どのプリキュアよりも凄いのだから。
「せめて、あまり怒らせないようにね、プリキュアを」
 少年のつぶやきは、誰の耳にも届くことなく、風に舞って……消えた。