いつかのロミオとジュリエット 07


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 メイジャーランドの晴れ渡った空の下で、かつて少女だった二人が肩を並べてピアノを弾いて
いた。遠くに王宮を眺める、なだらかな丘の上。人間界では見られない不思議な花々に囲まれ
た、こぢんまりとした天蓋付きの野外ステージ。
 観客席に、聴衆の姿はない。たった二人だけの演奏会だが、ピアノの音色に共鳴して、ある
花はラッパ型の花びらの奥から神秘的に澄んだ音を吹き、また別の花は上下の花弁をリズミ
カルに打ち合わせて、まろやかな音を躍動させる。ピアノを取り巻く幾重もの音の調和は、弾き
手と一緒になって丘が歌ってくれているみたいだった。


 ピアノの鍵盤の上を舞う白い指。心からあふれる想いは、ピアノによって<音楽>という形に
変換される。時には甘やかに、時には激しく。伴奏と旋律が、どこまでも美しく交わり合う。
 南野奏がチラリと視線を隣に向けて、幸せそうに微笑む。それに気付いた北条響も、また同
じく。連弾する手の流麗な動きは止まらない。祈るような愛を込めたハーモニーが、さらに洗練
されて響き渡る。それは爽やかな風に乗って、空の高い所へと運ばれていった。


 奏の幸せ。響の幸せ。 ――― ふたつが結ばれて、ひとつの小さな幸せを生んだ。子猫の姿
をした無垢な魂のかたまり。優しい光にくるまれた状態で、ピアノの音色を産道にして、地上に
いる二人の母を目指す。


「「あっ」」
 ゆったりとした速度でまっすぐに降下してくる光に視線を向けたのは、二人ほぼ同時。鍵盤を
離れた指が、あわてて光を受けとめようとした。……が、まだまだ距離が遠くて、全然届かな
い。
 空へ高く伸ばされた二人の両腕が、光を待ちわびて ――― 待ちきれない。
 椅子から勢いよく立ち上がる。少しでも距離を縮めたくて、思わずつま先立ちになってしまう。
 最初に、響の指の先っぽが光に届いた。
 指先に触れた瞬間、光はシャボン玉みたいな軽さで、フワッ…と弾んだ。そして、静かにその
手の平へと着地した。
 あたたかくて、ふわふわした柔らかい感触。奏の手の平も寄り添って、二人の両手で一緒に
優しく支えながら、そぉっと胸の前まで下ろしていった。その頃には、ちっちゃすぎる身体を包ん
でいた光も安心したみたいに解けて、スヤスヤと気持ちよさそうに眠っている子猫の顔がよく
見えるようになっていた。
 生まれたての軽さの中に、数え切れないほどたくさんの未来を詰め込んだ、とても小さなぬく
もり。それが、この猫妖精の赤ちゃん。奏と響の子供だ。
「嬉しいね」と、奏が視線を手もとに注いだまま、隣の響と共に微笑む。この子は今、幸せな夢
を見ているのだろうか。眠っている猫妖精が「ミャン」と甘えるように鳴いてモゾモゾと身をくねら
せた。




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 奏とケンカをした。
 お互い27歳にもなって全然進歩がない。娘(※猫妖精)も「またケンカしたミャン?」と呆れ顔
で溜め息をついていた。ママも恥ずかしいよ。ホント。
 もちろんケンカしたあと、頭が少し冷えた頃に二人で関係修復に努めた。でもダメ。言葉が鼓
膜に伝わってくるけれど、心にまで届かない。仲直りしようとしているはずなのに、またケンカに
なりそう。
 ……奏と話し合って、けっきょく今夜は別々の寝室で寝ることになった。

 で、眠れなかった。
 奏のいないベッド。横になると、隣が妙にぽっかりと空いていて……何だか居心地が余りよく
ない。広々したベッドより、奏が一緒で少し窮屈なベッドのほうがいい。
 ――― ガ、マン…できない。
 もう夜も遅い。奏もきっと寝てるだろう。だから、ちょっとだけ……。
 足音をひそませて、奏の寝室へと向かう。
 ドアをそっと開け、スルリと侵入。
 身体が覚えている。プリキュアになる前、よくこんな感じでスイーツ部に忍び込んで、奏のケー
キをつまみ食いしたんだっけ。
(明日になったら、仲直りしようね)
 枕元に顔を近づけ、眠っている奏の唇にくちづけ。

 唇は甘いぐらいやわらかいのに、
 わたしの胸には、ほろ苦さが沁みてくる。
 ……うん、知ってる。
 まるでハーフビターなチョコレート。
 奏とケンカしたあとの、キスの味。
 
 つまみ食いを終えて、静かに寝室を出る。どうせ、一人だけのベッドに戻っても眠れないだろ
うから、しばらくピアノで静かな曲を弾いて自分をなぐさめようと思う。
 わたしが忘れてしまった記憶。
 子供の頃にした、ロミオとジュリエットごっこ。最後に筋書きが変わってロミオが甦り、ハッピ
ーエンドになった。そこで、わたしは奏とファーストキスをした。あの時の自分にたずねてみる。
 ――― 奏のキス、すごく甘かったでしょ?

 うらやましい。

 でも。
 キスの味は多少変わっても、心の奥にある奏への気持ちは、あの時から変わっていない。い
つかのロミオとジュリエットは、わたしたちの中でずっと続いている。……いつまでも続いてい
く。


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 翌日、見事に仲直りしてみせた響と奏が、肩と肩をくっつけた睦まじい姿をニコニコしながら
娘に見せつけた。 ――― 嫌というほど見せつけまくった。

「ほらほら、響ママと奏お母さん、世界一仲良しだよ〜〜」
「……加音町の全員が知ってるミャン」


(おわり)