人魚姫の花珠(パール) 01


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 ノーブル学園の生徒会長・海藤みなみの表情に、秋暮れのごとき憂いの色が差すようになっ
たのは、14歳の誕生日を迎えた日。財宝寺家の嫡子との縁談の話が持ち上がったと聞かさ
れた時からだった。
 相手の年齢は17。さらさらの髪に中性的な白い貌立ち。祖父に無理矢理やらされている古
武術によって引き締められた細身の体躯。動物好きで、趣味は乗馬。 ――― 初の顔合わせ
では、時間を忘れるほど会話が弾んだ。
 何よりも、みなみを海藤家の人間としてではなく、一人の少女として接してくる気兼ねの無さ
に、みなみの心は動かされた。ややナルシストが入っていて、時折、謎の独り舞台を始めるこ
ともあったが、そんな時でも、目の前のレディに対する優しい気配りは忘れない。そばで仕える
老執事からの尊敬が厚いのも頷ける。
 将来、みなみと彼が結ばれることで、海藤家と財宝寺家、大財閥の両家に架け橋がかかる。
それを、関係する者全てが心待ちにしていた。
 みなみとしても、特に文句の無い相手ではあったが ――― 結婚を思うたびに、心の鏡の片
隅が曇ってしまう。胸のどこかが鈍く疼くような。

 そんな彼女の様子にいち早く気付いてのは、幼なじみである東せいらと西峰あやか。
 女子寮のルームメイトでもある二人の少女は、さりげなくみなみから情報を引き出しつつ、夜
毎ひとつのベッドに体を並べて、睦言をささやき合うように機密会議を行った。
 そして、二人の出した最終結論は、簡潔なものだった。
 みなみは、本当に一緒にいたい相手と一緒になるべきなのだ、と。

 かくして東せいらと西峰あやか ――― 生徒会副会長と生徒会書記の二人は、ノーブル学園
女子寮にて、海藤みなみのために暗躍する黒子と化した。
 まずは、一年生の春野はるかに、せいらが雑談っぽい調子で情報を流した。加えて、「みな
みの様子にどこか変わった所がないか、よく見ておいてほしい」と、一言添えておく。
 後輩を心配させてしまうのは少々問題があるかもしれないと思ったけれど、はるかという攻城
戦力は絶対に外せない。彼女の純粋でまっすぐな感情は、たとえ、みなみが心に堅固な城壁
を築こうとも、必ず突破してくれる。
 そして、茶道の心得があるあやかの企画した、女子寮の有志参加による夜のお茶会。星空
の下で、ノーブル学園の女子生徒にふさわしい淑女的なたのしみを体験する……という名目。
 普段のまま、制服で参加オーケーという気楽さもあり、当日はけっこう多くの女子生徒が集ま
った。もちろん、ターゲットであるみなみとはるかも、だ。生徒会副会長の口もとが、皆に知られ
ぬようニヤリと歪む。
 ――― 計画実行。
 …………。
 お茶会が始まる直前、なぜか怪談めいた小さなトラブルが起きて、みなみの気分が優れなく
なってしまったが、まあ仕方が無い。他の女子生徒の動揺させないようにと、春野はるかの付
き添いで寮に戻ってもらうのも仕方の無いコト。
「そうですわ。わたしたちの部屋に、この手の気分を和らげるアロマキャンドルがありますわ」
「そうだね、わたしたちはしばらく部屋に戻れないから、のんびり休んでてよ」
「……ありがとう、あやか、せいら。そうさせてもらうわ」
 幼なじみたちの気遣いに素直に感謝したみなみが、はるかと一緒に寮に戻っていく。その後
ろ姿を見送ってから、二人はこっそりと目を合わせた。

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「あ、これだ」
 あやかの言っていたアロマキャンドルは、すぐに見つかった。火をともすと、エキゾチックな香
りが部屋に広がり始める。
 少しの間、その小さな炎を見つめ、春野はるかが不思議そうに首を傾げた。
(ん〜〜? ちょっと鼻の奥がむずっとするような……)
 あどけなさを残した容貌は、まだ花開く前の蕾だ。それが一瞬、これで間違ってないよね…と
思い悩む表情になった。しかし、他にアロマキャンドルらしき物も見当たらず、
(そっか! この匂い、薬効効果なんだ!)
 と、13歳の育ち盛りの元気を乗せた双眸が、名解答を得たように輝く。
 体の内側に常時ポジティブを溢れさせている少女によく似合う、栗色のショートヘアがバッと
翻った。
「みなみさんっ、気分よくなりましたっ!?」
「え…ええ、すこしは……」
 急に上がったはるかのテンションに気圧されて、海藤みなみは、びくんっ、と身体を震わせ、
思わず頷いてしまう。

 学園のプリンセス ――― 。
 かぐわしい香りをほのかに匂わすロングヘアは、女子たちにとっての憧れの対象。
 バレエを美しく踊る、すらりと長い四肢もまた同じく。
 ほっそりした体形ではあるが、凛とした芯のある高貴な立ち振る舞いのせいで、か弱さは感
じられない。
 端麗な貌(かんばせ)は、14歳の少女にしては珍しいほどに大人びた落ち着きを持ち、眼差
しは澄み通った湖水を思わせる。その瞳の奥に強い責任感を覗かせた時、海藤家の令嬢に
ふさわしいリーダーシップを帯び、彼女のカリスマ性がいっそう際立つ。
 もとより才色兼備の宝石のような彼女ではあるが、自身を磨く努力は日々怠らない。この姿
勢こそが多くの女子生徒を魅了しているのだろう。
 そんな彼女にも、越えられない壁がある。
 ――― 『お化け』だ。

 アロマキャンドルの匂いに鼻をくすぐられて、二段ベッドの下段、せいらの使用しているベッド
に腰かけた身体をわずかにリラックスさせた。だが、せいらの言葉が耳から離れず、心は不安
な気持ちでこわばったままだ。
(やはり、妖怪グレムリンは存在するのかしら……?)
 いやいや、そんな事を口にして、はるかまで不安にさせるワケにはいかない。もっと気丈に振
る舞わねば。自分は上級生であり、このノーブル学園全ての生徒の支柱となる生徒会長でも
あるのだから。
 ――― 深呼吸。不安な気持ちを押し殺すために。
 アロマキャンドルの匂いのせいか?
 鼻の奥が微かにほてるような感触。 
 左隣に、はるかが腰を下ろしてきた。ぽふっ、と身体を預けてくる。
「はるか?」
 ……違う。はるかは伝えてくれているのだ。彼女自身の体温(ぬくもり)を。
 気付いたみなみが、自分からも彼女の体に寄りかかる。
「ごめんなさい、心配をかけてしまって」
「いいんですよ。あの時と同じく、今のわたしはみなみさんのナイトですから」
「ふふっ、そういうこともあったわね」
 ノーブルパーティーの時のお化け騒動を思い出しながら、はるかの手を取る。
 優しく握り返してくる手の平の感触。
 安心して無防備な自分自身を任せられる。
「……重くない? わたしだけのナイトさん」
「全然平気です」
 はるかが、くすっ、と笑って、会話が途切れた。
 居心地の悪くなるような沈黙ではない。むしろ、繋いだ手のぬくもりや、触れ合っている身体
の部分のやわらかさ、互いの息遣いさえも感じて、静かに浸っている。

 ――― そういえば、はるかが、バレエを教えてほしいと声をかけてきた時からだったわね。

 みなみにとって、ああいうことは初めての経験で、思い出すと、いまだに心がくすぐったい。
 はるかと一緒にいると、そんな『くすぐったい』ことが、どんどんみなみの心に増えていく。夢ヶ
浜で初めてドーナツを食べた時もそう。今、こうしている瞬間もだ。
 はるかに寄りかかったまま、まぶたを閉じる。口を開けば、言葉を交わせば、この静かなくす
ぐったさが薄れてしまう。少しでも長く味わっていたい。
 けれど、
「……みなみさん、結婚するんですか?」
 みなみがうっすらとまぶたを開く。はるかを無視するワケではないが、答えない。
 制服越しに、はるかの身体を感じながら押し黙っている。
 しばらくして、再びはるかが訊ねてきた。
「……みなみさんは、結婚したいんですか?」
「海藤家も財宝寺家も、この結婚によって両家の結束が強まる事を期待しているの。それに、
わたしも相手の人と会ってみたけれど、なかなか面白い人だったわよ」
 はるかたちには、まだ、この縁談の話はしていない。たぶん、せいら、もしくはあやかから聞
いたのだろう。みなみは視線を正面に向けたまま言葉を紡いだ。微かな後ろめたさ。はるかの
質問に答えていない。
 はるかが、みなみの態度に戸惑いつつも食い下がってくる。
「みなみさんは……それで本当にいいんですかっ?」
「全てが自分の思い通りになるわけじゃないわ。相手がひどい人なら、わたしだってこの話は
断るわよ。でも、そうじゃない。ちょっと面倒くさい所もあるけれど、ちゃんとしたイイ人なのよ。
海藤家の一員である自覚を持って、わたしはこの話を前向きに検討……」
「 ――― わたしはっ、なんか嫌ですっ!」
 驚いて、みなみの顔が隣を向く。
 触れ合いそうなほど近く、はるかの顔があった。涙が溢れそうなほど、瞳が潤んでいる。
 動揺。
「な…なんか嫌って……、そもそも、どうしてはるかが……」
「わたしが嫌って言っても、みなみさんは結婚するんですかっ!?」
 ほぼ泣き声だし、会話にもなっていない。しかし、はるかの声が……言葉が、みなみの胸に
切なさを押し上げてくる。
「……まだ、結婚するって決まったわけではないわ」
 はるかを見つめ返す瞳が微笑みを宿した。……ここにも、『くすぐったい』があった。結婚に関
しては、両家の間でほぼ決定しているようなものだったが、ウソは言っていない。少なくとも、み
なみ自身にはもう、この縁談を進める気は無くなってしまった。
「ごめんなさい。でも、わたしにとって、みなみさんは本当に幸せになってほしい人だから……」
「ええ、そうね。はるかの気持ちは届いているから、安心して」
 はるかの声に優しく言葉を被せながら、握っていた彼女の手をさらに強く、ぎゅっ、と握る。
 ――― あなたの気持ちは届いている。じゃあ、わたしの気持ちは?

 はるかの胸の中で、心臓がトクンと跳ねた。握られた手が少し熱い?
 みなみの身体の柔らかさが、さっきよりも強めに押し付けられているような気がした。
(みなみさんの髪の匂いがする……)
 はるかからも、さらに身体同士の密着を強くする。なぜか、それが許されているような気がし
た。
 制服越しに、互いの体温が交じり合っていくような感触。
 心の奥が微かにざわめく。なのに、同時に安らぎも感じる。
「はるかの体 ――― やわらかいわね」
 ドキリ、とする。でも、それはすぐに落ち着いた。
 ――― みなみさんの体だって。
 声に出さずにつぶやいて、はるかが完全に身を委ねた。みなみにもたれかかって、身体から
チカラを抜く。みなみは何がおかしいのか、クスクス笑う。そして、握っていたはるかの手を離し
て、その手を優しく背中に回してきた。
(女の子同士なのに……、なんだろう、この特別な感じ?)
 脱力したはるかの身体を支えるために回された手が、まるで抱擁してくれているみたいに思
えてくる。顔にほてりを覚えて、はるかは少しだけうつむいた。
 学園の皆が憧れ、はるかもまた同じ気持ちをいだく相手と、こうやって二人っきりで静かな雰
囲気に浸っている。ちょっと緊張。
(わたし、今、みなみさんを独り占めしてるんだ……)
 おずおずと、みなみの背中に腕を回す。そのままギュッとしても、みなみは何も言わなかっ
た。
 この心地よい沈黙が、なんだかむずがゆい。
 
(ふふっ、はるかは気付いていないのかしら?)
 あなた、わたしの背中を抱いてきた時から、ずっと体をもぞもぞさせてるわよ。
 はるかの気持ちが、不思議と手に取るように分かる。だからか、くすぐったくて、つい…。
「ナイトさん、どうしたの? うつむいて…。もしかして気分が悪いの?」
「あ、いえ、あの…わたし……」
 こっそり微笑に緩んだ桜唇が、はるかの言葉をさえぎって、澄んだ声の響きを彼女の耳にこ
ぼした。
「はるか、あなたのプリンセスが命じるわ。 ――― わたしの目を、しっかりと見て」
 はるかの腰を強く抱きつつ命じると、恥ずかしがりながらも、彼女は素直に従った。しかし、
みなみと目が合って数秒も経たぬうちに、はるかの濡れた瞳が揺らいで、横を向いてしまう。
「あら、どうして目をそらすの?」
「すみません。みなみさんの顔が近くって……」
「ふふっ、だめよ、はるか。これは命令なのよ。さぁ、もう一度」
 心の奥が ――― ゾクゾクとする。相手に恥ずかしいコトを強制するという、いじわるな感覚。
それに酔ったみたいに、鼓動のテンポが速まってくる。はるかの腰を抱いたまま、反対側の手
を彼女のあご下へ伸ばす。
 ほっそりと長い指が、恥じらう少女の顔を優しく上げさせた。学園のプリンセスの眼差しが、
はるかの瞳をまっすぐに見つめる。はるかの唇から、「あぁっ…」と喘ぎとも溜め息ともつかない
声が洩れた。
(本当に……かわいらしいわね、はるかは)
 上級生であるみなみの言葉に逆らえなくて、はるかが従順に見つめ返してくる。羞恥の涙で
潤んで、困惑するように揺れている瞳を、みなみは好きなだけ愛でさせてもらう。
 十秒、二十秒…。いじわるくて、甘やかな時間が二人の間を流れる。
 微かにだが、はるかの腰を抱いているみなみの手が動いた。特に意識したわけではない小
さな動きだが、はるかがくすぐったそうに反応する。
「…あっっ」
 ぴくっ…、と身体を悶えさせた程度だが、はるかと密着しているみなみなら、はっきりと認識で
きてしまう。それに気付いた瞬間、はるかは恥ずかしさに耐え切れなくなり、再び両目をそらし
てしまった。

 まるで、異性の前でハダカを晒してしまったみたいな恥じらい方だ。それがあまりに可愛らしく
て、みなみの心の中でくすぐったさが跳ね上がった。はるかのことが愛しくて、たまらなくなる。
「わたしの命令に背くの? いけない子ね、ふふっ」
 聞く者の耳たぶを溶かしそうなほど、甘い響きを帯びたささやき。ぞくり、と背筋に妖しい甘美
さを流され、そんな初めての感覚に戸惑うばかりのはるかのくちびるで、
 ――― ちゅっ。
 やわらかな音が鳴った。
「…………お仕置きよ、ナイトさん」
 
 目を閉じることもできなかった。……というよりも、何が起こったのか分からなかった。くちび
るの上に残ったこそばゆさと、離れていくみなみの顔を結びつけて、ようやく答えに至る。
 カーッと顔が熱くなり、心臓が早鐘を打ち始める。
 そんなはるかの顔を見て、みなみがクスクスと笑っている。彼女にしてはすごく珍しく、イタズ
ラを成功させた子供みたいな表情だった。
 はるかと見つめ合いながら、みなみがかわいらしく小首を傾げた。
「あら、一回だけのお仕置きじゃ足りないかしら? 仕方ないわね、もう一度……」
 みなみのくちびるが近づいてくるよりも早く、はるかが自分からプリンセスのお仕置きをもらい
にゆく。さっきはよく味わえなかったから、今度はじっくりと……。

 少女たちがお互いの吐く息を交わらせつつ、無垢なくちびるを触れ合わせる。
 軟らかくて、ぬくもりのある感触。
 ……きもちいい。
 はるかはぎこちなく顔を動かして、みなみのくちびるの端から端までを、自分のくちびるでなぞ
っていった。
 びくっ…びくっ…。
 こそばゆかったのか、みなみのカラダに震えが走っている。少しでもそれを抑えてあげよう
と、彼女のカラダを強く抱きしめて ――― 。
(ああぁっ…、もう、はるかったら!)
 くちびるが溶けてしまいそうなほどくすぐったくて、こっちがお仕置きを受けている気分だっ
た。すがりつくみたいに、両腕をはるかの背中に回す。
 キスの感覚が甘美すぎて、気を緩めたら全身からチカラが抜けてしまいそう。
 気のせいかもしれないが ――― カラダのどこか、深い部分がウズウズしている。はるかを、
もっと求めているだろうか。自分の意思よりも、カラダのほうがみなみの気持ちをよく理解して
いるのかもしれない。
 離れていこうとしたくちびるを追いかけて、またキスを重ねる。お互いがそれを繰り返した。