逢春譜 01
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――― 15歳。
「コラーーーーッッ!! 待ちなさーーーーいっっ!!」
逃げゆくイーラの背に炸裂する大音声(だいおんじょう)。もちろん、それで止まる彼じゃない
コトは百も承知。午後のオフィス街を右に左にと翻弄するように飛翔する彼の後ろ姿を眼で追
いながら、次の動きを予測する。
「ハッ! 待てって言われて待つヤツが ――― うおわあああっっ!?」
くっ、不意打ちで放ったトゥインクルダイヤモンドは、振り返ったイーラの鼻先をかすめただけ
で終わった。
「キュアダイヤモンド! オマエ……殺す気かっ!」
「黙りなさい! 今日こそ氷漬けにして南極送りにしてあげるわ! そこで百年ほど頭を冷やし
なさい!」
わたしの言葉に続いて、今はコミューンモードになっているパートナー妖精のラケルが、両瞳
を怒りで燃え上がらせて吼える。
「二度と地上に出て来られないよう、南極の地下数千メートルに埋めてやるケルーーッッ!」
いやいや、そこまでする気はないけど。
でもオッケー、ラケル、あなたの気迫受け取った!
飛行能力を駆使して軽快に逃げ回るイーラを、アクセル全開のダッシュで追いかける。高く飛
ぼうとした瞬間を狙ってトゥインクルダイヤモンド。このまま狭い場所まで追いつめて機動力を
封じてから、ダイヤモンドシャワーを浴びせてやるわ!
「ねーえー、マナー、あたし、アイス食べたーい」
「じゃあ、あとで一緒に買いにいこう」
「えー、今行こうよー」
「もう少しで終わると思うから、六花を待っていようね」
いつのまにかマナは変身を解いて、レジーナの隣でのんびり観戦モードに入っていた。え…、
ていうか、残っているのって二人だけ?
確か亜久里ちゃんは、今日、特売の日でお使いを頼まれてるって言ってから仕方ないけど、
でも、ありすとまこぴーは?
もうっ、こんなにも必死にプリキュアとしての使命を果たそうと頑張っているわたしを置いて帰
っちゃうとか……ひどいっ。
ええい、イーラっ、全部あなたのせいよ! あ、こらっ、ちょこまか逃げないで待ちなさいって
ば!
プロトジコチューの消滅から数ヶ月。平和を取り戻した世界にあってなお、プリキュアのチカラ
は人々に必要とされていた。誰かと戦うためじゃなく、誰かを守るために。
つまり、まだまだキュアダイヤモンドとしての菱川六花は健在だ。
――― そして、ジコチュートリオの一角、イーラも。
プリキュアとして出動すると、ほぼ毎回のようにどこからともなく現れて、わたしたちにちょっか
いを出してくる。
「ベールとマーモがさっさと眠っちまって、ヒマなんだよ」というのが理由らしいけど、ふざけない
で。寝付きが悪いのなら、静かに本でも読んでればいいのに。 ――― って、この前一冊貸し
てあげたら、半分も読まないで、その日のうちに返しに来たけど。
「こんなもんっ、甘ったるすぎて読めるか!」
「なによっ、最高の恋愛モノじゃない!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
中学生活最後の年。生徒会活動から解放され、自らの進路を見据えて徹底的に勉学に励む
日々。この日も部屋で夜遅くまで勉強していると、
コツ、コツ。
窓ガラスがノックされた。一瞬だけそちらに目を向け、何事もなかったように勉強に戻る。
コツ、コツ…、コツ、コツ……コツコツコツコツ……。
ああっ、もおおーっ。
わたしは仕方なく窓を開けた。
「おねがい。ラケルが寝てるから、静かにしてくれる?」
靴を脱ぐように指示して、イーラを部屋の中に入れた。そして、「 ――― で?」と、少々威圧
的な視線を投げつけて用件を尋ねる。
イーラは、今さら何だよ的な態度で眉をひそめながら、
「あっ? メシ食いにきたに決まってんだろ」
と、しっかり答えてくれました。……このまま窓から放り出してやりたい。
「あのねえイーラ、毎回言ってるけど、食べさせてください ――― でしょ?」
「…………食べてやる」
あくまで言い直さないイーラ。数秒間、わたしたちは意地になって睨み合う。そして、いつもの
ようにわたしが折れる。
「ハァ…、今日もまたオムライスでいいよね?」
万が一、空腹のせいでイーラが倒れでもしたら…。それも、よりにもよって我が家の前で。
――― そんな面倒くさい事態になる前に、とっととおなかいっぱいになって帰ってもらいた
い。
パパやママが留守がちなのは、こういう時ありがたいかな…と思いつつ一階に降りて、もうす
っかり作り慣れてしまったオムライスの用意を……。
―――――― ッッ!!
急に心臓が跳ねた。
いつもの事だし、今日もあんまり気にしていなかったけど。
パパやママがいなくて、ラケルは二階でぐっすり寝てて。イーラ、その…食べ終わったら……
すぐに帰ってくれるのよね……?
玄関にブーツを置きに行こうとしていたイーラがこちらを振り向くと同時に、わたしの身体がビ
クッてこわばった。そんなわたしを見たイーラの顔も何故かこわばる。
「な…なんだよ、オマエッ、顔真っ赤にして……気持ちわりいな!」
「きっ…きっ…気持ち悪いっ!?」
――― って、イーラの顔も、ちょっと赤くなってきて……やだっ! 早くオムライス作ろ!
わっ、手もとが狂ってタマゴのカラ入っちゃった!
あわてて取り除こうとしたけれど、イーラの顔を思い出したら、なんだか無性にムカムカしてき
て……。ああ、もう、このまま出しちゃえ!
けれどイーラの目の前に ――― テーブルの上に、出来上がったオムライスを置いた途端、
罪悪感が胸で弾けて、その皿を引っ込めようとした。でも、イーラの手がサッと伸びて阻止。
「おい、何すんだよ。まだ食ってねえのに」
「ごめんなさい、実はタマゴのカラが入っちゃって……」
「カラ〜? ンなもん、気にするかよ。待ってやってたんだから、早く食わせろ」
わたしの手からオムライスの皿をぶんどるようにもぎ取って、いただきますも無しにガツガツ
と食べ始める。……うん、味とか特に気にしてなさそうな食べ方。
わたしが隣の椅子に腰掛けても、全然こっちのほうを見ようともしない。まあ、それはいつもこ
とだから、なんだかもう、腹も立たない。
「ねえ、イーラ、またア〜ンってしてあげよっか?」
「いらねえよ…」
「ふふふっ」
「なんだよっ、静かに食わせろ」
すぐ隣からの視線が鬱陶しいのか、不機嫌な声で文句を言ったイーラが、オムライスの皿を
抱え持って背中を向けた。まだ食事中の、その背中に向かって「ごめんごめん」と苦笑しながら
謝っておく。
彼の両耳の後ろから生えている黒い羽を観察する。悪魔の翼のような禍々しいカタチ。ジャ
ネジーを糧とする、人ならざる者の証。そう、イーラは人間の姿はしていても、まったく別の存
在。だけど、言葉も通じるし、ひとつのテーブルで一緒に食事を取るコトも可能だ。
四葉の防犯ネットワークで確認してもらっているけれど、プロトジコチューの消滅以降、彼が
人々に迷惑をかけるような悪さをしているという報告は無い(……その分、わたしに迷惑をかけ
まくっているという事実は置いといて)。
――― 人間とジコチューって一緒に生きていけるんじゃないかな。一生懸命オムライスを食
べているイーラの背中を見ていると、そんな気持ちになる。
「んっ…」と唸るような声を出し、まだ口をもぐもぐ動かしているイーラが身体をひねって、空に
なった皿を手渡してきた。タダで食べさせてもらっているのに、食事の準備を手伝う気も、後片
付けをする気もゼロ。それでもわたしが「はいはい」と鷹揚に微笑んでいられるのは、毎回ご飯
粒一つも残さずに綺麗に食べてくれるから。上手に説明できないけれど、わたしにはそれがと
ても嬉しい。
「……ちゃんとした所で寝てるの?」
「あん?」
「体は大丈夫なの? もし良かったら ――― パパとママがいない時だけでも泊まっていく?
変なコトとか、イーラはそういうの絶対しないでしょ」
玄関を出たイーラを呼び止める。いつもは「ごちそうさまも言わないで!」などと文句を言いな
がら見送っている場面なのに、なんでだろう、今日は。
放っておいたら適当に公園のベンチとかで寝ちゃいそうで、少し心配な気分になったのかもし
れない。いや、考えたら、それで体調崩したりするイーラじゃないんだけど……、うーん。
イーラが背中を向けたまま、さもおっくうそうに肩越しに視線だけを投げて寄こして、軽く溜め
息をついた。
「あのな、オマエ、敵を自分の家に泊めてどうすんだ? 危機感ゼロか?」
え、ちょっと……あなたがそれを言う? ちょくちょくわたしの手料理を食べに来てるくせに、
いまさら敵とか。まあ、その辺のツッコミは置いといて。
「オマエじゃなくて ――― 菱川六花」
「はっ?」
「だから、わたしの名前」
「知ってるよ」
「そうね、プリキュアであるキュアダイヤモンドは、ジコチューであるあなたにとっての敵なのか
もしれない。 ――― でもね、プリキュアじゃない時のわたしは? イーラにとって菱川六花は
何?」
…………どうして、わたしはこんなことを訊いているんだろう?
イーラは姿勢を変えずに、数秒間、視線だけをわたしから外して ――― そして、視線を戻
すと同時に、フッ…と口もとを歪ませて言った。
「菱川六花は、オレ専用のメシ係だ」
こ ・ の ・ 子 ・ は 〜〜〜〜〜〜〜〜 !!
憤然とした表情で一歩前に踏み出したわたしは、もうガマンできなくなって ――― 思いきり
噴きだしてしまった。ふふふふっ…あははははははははっ……、駄目っ、笑いすぎておなか痛
いっ。
「…ったく、ほんっっっと変なヤツだな、オマエは」
呆れたように体ごとこっちに向き直ってから ――― イーラが、わたしを指差して「ハハハッ」
と笑い始めた。何なのよ、この状況。ワケ分かんない……あはははっ。
そっかそっか、じゃあ、わたしはもっと料理の腕を磨いて、レパートリーも増やさないとね。
……で、
イーラはやっぱりウチに泊まることなく、まるで月の下を気ままに散歩する猫みたいに、つま
りはいつもと同じように帰っていった。振り返ろうともしない背中を、見えなくなるまでわたしが眺
めているのもいつもと同じ。
――― 彼が次にご飯を食べに来た時も、きっとこんな風に。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
イーラがやってくるたび、わたしは怒ったり笑ったり……。
わたしにとって、すっかり当たり前になってしまった日常。 ――― けれど、それは何の前触
れもなく、気がついた時にはもう、どこか遠くへと去ってしまっていた。
イーラが完全に姿を見せなくなって、二ヶ月と少し。でも、明日になったら、きっとまた、退屈を
こじらせた暇人のごとくちょっかいを出しにきたり、もしくは気まぐれな野良猫のようにご飯を食
べにきたりするに違いない。
――― 毎日そんなことを考えながら過ごしているうちに、さらに一ヶ月が過ぎて、季節もすっ
かり変わってしまった。
学校帰りに新しい参考書を買って書店を出ると、歩道に、ポツリ、ポツリ、雨粒が落ちてき
た。今朝確認した天気予報では、晴時々曇。降水確率は20%だったのに。
眼鏡をかけてから空を見上げて、ゲリラ豪雨になるなと思って、足早に近くのコーヒーチェー
ン店へと避難。窓際の席に座ったわたしは、コーヒーには特に口をつけるでもなく、ただぼんや
りした視線を窓の外へと向ける。
レジーナは、異空間もしくは別の世界で他のジコチューたちと一緒に眠りについているのかも
しれないと言っていた。わたしの様子を察したありすが、四葉財閥のチカラを使って、何か一つ
でも情報を掴めないかと頑張ってくれたけれど、手がかりなし。
わたしには、何も分からない。
窓ガラスの内側から、雨につつまれた世界を覗いて、いるはずのない彼を探し続ける。
「……六花、今日の晩ごはんは何ケル?」
コミューン形態でカバンにくっついているラケルが、周囲を気にしながら、控えめな声で尋ね
てきた。……別に空気を読めていないワケじゃない。最近はいつもわたしの様子を見ながら、
こうやってさりげなく声をかけてくれる。もし彼が話しかけてくれなかったら、わたしは二時間で
も三時間でも、無意味に窓の外を眺めていただろう。
ありがとう、ラケル。 ――― そんな気持ちを微笑みに込めて、彼に答える。
「トマトがメインの野菜のパスタ。あとは適当に冷蔵庫にあるものを組み合わせて……。週末
は、ラケルが食べたいって言った物、何でも作ってあげる。ちゃーんとリクエスト考えておいて
ね」
ブラックコーヒーの澄んだ苦味で、湿りかけていた気持ちをシャキッとさせて、買ったばかりの
参考書を開く。
それにしても、わたしが書店を出て帰ろうとするのを待ち構えていたみたいに降ってくるなん
て、まるでイーラのちょっかいのように迷惑。
――― そう思った途端、いきなり胸の奥深くがグッと締めつけられて。
ラケルにバレないように、小さな溜め息を吐いた。
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