nameless Flower 03
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お天道様(おてんとさま)は、こんな私を空から温かく見守ってくれています。
ええ、私のことを見守ってくれているはずです。
だから花咲つぼみ、勇気を振り絞って……学校(ゴール)はもう目の前です!!
「おーい、つぼみぃ、さっきから何ブツブツ言ってんの?」
肩越しに振り返って立ち止まったえりかに、つぼみが飛び上がらんばかりに驚いた。
「えりかっ、急に立ち止まらないでください! 皆に不審がられたらどうするんですか!?」
「何が? ……ってゆうかさ、つぼみ、めっちゃ挙動不審だって、それ」
長い髪を一本結びにして、落ち着かない眼差しをメガネのレンズで隠し、小柄なえりかの背
に隠れるようにしてコソコソと歩く。えりかの指摘にふさわしく、不審者以外の何者でもない。
「ななな…何を言ってるんです? 私は総力を挙げて普段通りの振る舞いに勤しんでるではあ
りませんかっ」
ずれてもいないメガネをぐいぐい直しつつ、平常を装ってみせる。もちろん、ごまかしきれてな
どいない。それどころか逆に人目を引いているのが事実だった。
登校時間帯なので、多くの生徒が二人を眺めながら通り過ぎてゆく。つぼみがキョロキョロと
素早く周囲を見渡して、えりかにきつく申し付ける。
「とにかく、なるべく目立たないように気をつけてくださいねっ」
「いやいや、目立ってんのはつぼみだっつーの」
コバンザメみたく背中にへばりついてくる彼女にツッコミを入れた。そして、ヒソヒソとつぼみ
にだけ聞こえる声でささやきかける。
(てゆーかさぁ、絶対バレないから。そんなにビビんなくても)
すると、つぼみもまたえりかしか聞き取れないような小声でささやき返してきた。
(油断も慢心もなりませんっ。石橋を叩いてから渡る前に、念のため、もう一度叩いてみるくら
いの慎重さが必要ですっ)
(………………)
沈黙で答えたえりかが、神妙というか……悟りでも開いたみたいな顔つきになった。
ぽんっ、と自分の下腹のあたりを手で叩いてみせる。制服のスカートの下は、つぼみから借
りた新しいショーツだ。
「つぼみ、そもそも恐れることなど何もないのだよ。あたしたち二人は今朝、中学生を超越した
存在になったのだから」
大仰な身振りを交え、突然そんなことを語りだす。
思わず足を止め、呆気(あっけ)にとられる生徒たち。
まだキスすら通過していない彼ら(彼女ら)を、優位に立つ者特有の余裕を持った視線で見渡
す。そして、鼻の穴をふくらませ、芝居がかった口調で問いを投げかけた。
「諸君らは青春を生きているかっ! 幸せに向かって駆け出しているかっ! あたしの魂は今
まさに天にも昇る気持ちの真っ只中なのであるっ! ああ、一体何から話すべきか…。そう、ア
レは昨日の夜のこと ―――― 」
生徒たちの間を、一陣の疾風が吹いた。
……違う。
堪忍袋の緒を瞬間切断したつぼみが、演説途中のえりかをいわゆる火事場のクソ力をもっ
て撤去 ――― というか、半ば引きずりながら猛然と校内に向けて突撃。
爆走。その言葉にふさわしく、少女の細脚が奇跡の走りを生み出していた。
そして二人の姿は、あっというまに生徒たちの視界から消え去った。
バレてはいない ――― それでも皆の視線がこちらを向いた途端、羞恥心が大噴火して、全
身が木っ端微塵に吹き飛びそうになった。
(終わりです終わりです終わりです終わりですっっ……!!)
レンズが涙で濡れて、まともに前も見えない。
走り続けてどこへ行こうとしているのか、自分でも分からない。
ただ、えりかを引きずって身体が前へ前へと進もうとしている。もしかしたら"自分"から逃げ
出したかったのかもしれない。
花咲つぼみ14歳。この日、この瞬間、誰よりも悲壮の極地の在(あ)り。
恥ずかしさのあまり学校生活再起不能になりかけた彼女は、皮肉にも原因となった少女の手
によって精神の安定を取り戻すのだった。
「ゴメンねー。いや〜、嬉しくて落ち着かなくて……つい自慢しそうになっちった。あはは」
「うぅぅぅ……」
一緒に立てこもった女子の個室トイレにて、えりかにヨシヨシナデナデされている頃……、
「なんかさっきの来海って、やたらテンション高くなかった?」
「そっか? でもアイツっていつもあんなカンジじゃね?」
「……。だよな」
「ねえねえ、校門の前で騒ぎがあったって聞いたけど」
「ううん、騒ぎってほどじゃないよ。来海さんが意味不明なこと叫び始めただけ」
「なーんだ、来海さんか」
来海えりかなら仕方ない。 ――― そんな雰囲気が瞬く間に醸成されて生徒間に浸透し、地
味な花咲つぼみの起こした爆走事件などは、けっきょく口の端にも上(のぼ)らなかった。
昨日から今朝にかけての秘め事を隠し通そうと気負いまくるつぼみの心中をよそに、生徒た
ちはまるで何事もなかったかのごとく、今日もまた普通に学校生活を過ごす。
(……そういえば、ずいぶんと静かにしてますね、シプレ)
一限目が始まるまでに、かろうじて授業が受けられる程度に回復したつぼみがカバンの中を
覗き込んでみると、パートナーの妖精はすっかり目を回して気絶していた。
隣の席を窺うと、えりかも同じような表情で見返してきた。どうやらコフレも気絶しているらし
い。
つぼみの猛ダッシュの加速に耐え切れなかった事が原因だと容易に推測できた。
(てゆーか、あたし、あんだけ引っぱり回されてよく無事ですんだなぁ…)
ここでえりかが修験者を思わす渋い表情を作ってみせた。
(むむ、間違いない。これは"愛の力"なのじゃ)
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シャワーの水流が柔肌に跳ね、かろうじて乳房と呼べるような小さな山を滑り、色気よりも幼
さのほうが色濃い肢体を洗い落ちる。
来海えりかが、鼻歌でも歌いだしそうな上機嫌な表情でシャワーヘッドを動かす。
つぼみのことばかりを考えてしまう。
温かな水流のマッサージで身体をほぐしながら、ゆっくりとシャワーヘッドの位置を下げてゆ
く。無数の細穴からほとばしる湯の勢いが強く肌に当たる。肌の下がこそばゆくなるような、自
分の指では味わえない愛撫。
「……っ」
浴室は声が響くので、こらえる。
両脚の間は避けて、腰の周囲をなぞるみたいにシャワーの水圧で嬲る。ゆっくりと焦らしなが
ら、気分を高めてゆこうとした。
表情が快感に崩れる。気持ちがいい。
……けれど。
どこか寂しげな眼差しになって、栓をひねってシャワーの水流を止める。
「キモチイイけど……これじゃ全然嬉しくない」
夜になると、カラダではなく気分がムズムズしてきた。
まるで禁断症状。
いつもと違う様子に心配して近寄ってきたコフレをつかまえて、強引にじゃれつき、気を紛ら
わせてみる。
(さすがに二日連続でつぼみの家にお泊りっていうのは怪しまれちゃうかな〜〜?)
そう思い溜息をついていたら、今日はつぼみのほうから泊まりにきた。
……初めてのことだった。
「あの……」
ようやくつぼみが声を出したのは、えりかの部屋に通されてから数分も経過してからだった。
二人とも妙にかしこまった姿勢で座り、向かい合っている。
ぎこちない雰囲気。
「ちょ、ちょっと待っててね、つぼみ」
今日に立ち上がったえりかが、所在なさげにぷかぷか浮かんでいたコフレをガシッと掴み、
窓を開ける。
「いい? あんた、今日はつぼみの部屋で寝るのよ」
「いったい二人ともどうしたんですっ?」
「それは秘密ですっ!」
コフレを放り出し、窓を閉め鍵をかける。カーテンも引く。準備完了。
つぼみをベッドに誘おうとした所で、彼女がまた「あの…」と遠慮がちに声をかけてきた。
……空気が微妙に重くなって、「エッチしよう!」とは言いづらくなった。
結局、つぼみの前に座り直す。
「つぼみが嫌なら、無理に誘ったりなんて絶対しないよ、あたしは」
「嫌じゃないです。…ただ、ちゃんとえりかの気持ちを聞いておきたくて ―――― 」
「あたしの気持ち?」
つぼみが生真面目な顔で、えりかの瞳を見返してうなずく。
(んー、つまりあたしがつぼみをどう思ってるかってこと?)
親友だし大好きだし唇にキスだってできる。
きれいな彼女のカラダのあちこちを触って気持ちよくしてあげたいし、あの可愛らしい喘ぎ声
を何度でも聞きたい。エッチした後の熱くなったカラダでギュウウッて朝まで抱き合っていたい。
それだけじゃない。
今までえりかが自分の手でしていた事を、つぼみの手でいっぱいしてもらいたい。
(……でも、恋愛ってほどじゃ…ないよね)
好きだけれども。
うううっ、と頭を抱えてうなったあと、つぼみをまっすぐ見返した。まばたきすら忘れて、二人の
視線が正面から交わる。
――― 好きだけれども。
再びえりかが頭を抱えて、ううーっとうなり出した。
気がつくと床の上をゴロゴロと転がっていて、きちんと姿勢正しく座るつぼみの両ひざに後頭
部がぶつかった所で我に戻った。
「だいじょうぶですかっ、えりか?」
心配そうに見下ろしてくるつぼみの顔を見上げて、その途端、彼女の中の真理に至った。
「つぼみが花なら ――― あたしは蝶だ」
一瞬キョトンとしたつぼみが、徐々に表情をほっこりとさせる。
微笑を浮かべてうなずいた。
「今夜の私は、えりか、……あなただけの花です」
頬をうっとりと上気させ、瞳いっぱいにえりかの顔を映す。
「そろそろベッドに行きましょう。あまり夜更かしはしたくありませんから」
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季節がめぐって、また春が過ぎ、夏も終わりに差し掛かる。
つぼみにはふたばという妹が誕生して、正式にお姉ちゃんとなった。
また、二人の間柄は『親友同士』から『大親友同士』へと昇格した。
この日も部活動を終えて、仲睦まじく下校。
家が隣同士ということもあって、登下校は一緒。……というよりも、一日の大半を常に一緒に
過ごしている状態だった。
「あのさー」
時刻が黄昏時(たそがれどき)に差しかかろうとしている頃、つぼみの少し前を歩くえりかが
振り返らずに話しかけてきた。
「いつきって、どんどん綺麗な女の人になってくよね。ヘタしたら来年ぐらいにはもも姉やゆりさ
ん超えちゃうんじゃない?」
「いつきが美人になるのは喜ぶべきことですが、けど私としては、やっぱり昔の凛々しかったい
つきに戻ってほしいかもです。はぁぁぁ…」
明堂院いつきを男子だと勘違いして高鳴らせた恋の感触と、その後に同性だとわかって失恋
に沈んだ胸の痛みを同時に思い出し、複雑な乙女の溜息を吐いた。
そんな彼女へチラリと肩越しの視線を送ってから、えりかが続けた。
「つぼみがこっそり惚れてたイケメンさんもさ、実はコッペ様だったワケだし。……あはは、つぼ
みってホント恋愛運悪いよねー」
「もうえりか、からかわないでくださいっ!」
「いや…からかってるっていうか、そのね……」
歯切れ悪く言葉を、そして足を止めて、えりかが体ごと振り向いた。
「こうなったらさ、あたしがつぼみをお嫁さんにもらってあげるしかないかな…って……」
彼女の言葉は、まるで時間を止めてしまう魔法だった。
不意打ちのプロポーズ。
心の準備が出来ていないつぼみは、なかなか言葉の意味を呑み込めないようだった。
急(せ)かすなんて無粋な真似はしない。世界でたった一人の大親友の返事を静かに待ち続
ける。
まん丸く両目を見開いていたつぼみが、表情を元に戻した。逆にえりかの表情が緊張でこわ
ばる。長く続く沈黙に耐えきれず、ごくっとツバを飲んだ。
バッと勢いよく上体を折って、つぼみが深々と頭を下げる。
「これからはっ……け、結婚前提の正式なお付き合いを…よろしくお願いしますっ!」
「こっ、こちらこそっ!」
反射的にえりかも同じように上体を深く折って頭を下げた。
……問題は二人の距離が近かったこと。
つぼみの後頭部に、えりかのおでこが思いっきり直撃。『ゴッ!』と鈍い音が鳴った。
「…………ッッ!!」
「 ――― っっ!!」
声すら出せない痛み。
二人がそれぞれ頭の別の部分を押さえながらその場にしゃがみ込む。
しばらく経ってから二人一緒に楽しげな照れ笑いをクスクス…と洩らし始め、それはやがて、
いつまでも続く明るい笑い声に変わっていった。
(幕間終了)
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