Yes! ふたりはプリキュアっ! 02

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「きゃああああ……」
「ミルうううう……」
 その日、サンクルミエール学園の本校舎に面した人工池のほとりは、不思議なほど濃い朝靄
で煙っていた。尾を引く悲鳴の主たちが、湿りを帯びたやわらかい土の上に、ぽてりん、と転が
り出る。
 背負ったリュックの下敷きになって「むぎゅっ」とつぶれる声と、そのリュックの上に「ミル
っ!?」と尻もちをついた声。
 しばらくして、
「ふへぇ〜〜」
 転がった拍子に口の中に入った土をペッ、ペッ、と吐き出しながら、小さな人影がよたよたと
朝靄の中より進み出てきた。
「だいじょうぶ、ミルク? ……あ ―――― ッッ!!」
 ユメが、長い異空落下で目を回しているらしいミルクを抱き上げ、次の瞬間、素っ頓狂な大声
を上げた。ミルクが驚いて両耳を逆立てた。
「何ミル何ミル ―― ッ!?」
「空 ―――― っっ!!」
 すかさず真っ直ぐ上を指差すユメ。ミルクが少女の腕からぴょんっと飛び出し、真上を見上げ
た。
 吸い込まれそうなぐらいに青く澄んで、視界の限り、どこまでも広がっている空。所々、真っ白
く滲んでいる部分があって、それが雲だという事を思い出すのに、ユメは数秒を要した。
 何よりも太陽の光。ユメがかざした手に、暖かさがそっと降り注ぐ。
「あたたかい…」
 自分たちの住む世界の空からは失われてしまった輝きと温もり。ユメの目尻に、じわっと涙
が溢れてきた。
「ユメ……」
 ミルクの気遣う声に、ユメが慌てて手の甲でゴシゴシと両目を拭いて、いつもみたいに、ニコ
ッと笑みの表情を作った。
「行こう、ミルク。ほら、きっとあのおっきい家が、プリキュアのおうちだよ」
 ユメがそう言って、本校舎を指差した。
 ミルクを連れて走ること数分、奇しくもサンクルミエール学院の登校時刻と重なる。ユメとミル
クの目の前には、プリキュアの家と思われる建物に向かう大勢の女子生徒たち。
 二人が、その予想外の数に圧倒される。
「ぜ…全員プリキュアミル!?」
「ち、ちがうよ、ミルク。プリキュアは、仲良しの女の子二人組みだって、姫さまが読んでくれた
本に書いてあったもん」
 続々と登校してくる女子生徒たちの中にも、何故か学園の敷地内にいる幼女に気付いて足
を止める者がチラホラといた。
「誰がプリキュアなんだろ。とりあえず聞いてみよっか?」
「そうするミル」
 幼女を見つめていた女子生徒の一人へ、ミルクが長い耳を引きずって、ごく普通にテクテク
テクと歩き出した。
「少しお聞かせ願いたいミル」
 話しかけられた女子生徒の顔が引き攣った。最初はただヌイグルミだと思って気にも留めな
かったモノが、突然しゃべって動き出した。しかも、自分のほうへ近づいてくる。
「ひっ…」
 ギョッとして後ずさる女子生徒を追って、ミルクが小走りになった。
「ちょっと待つミルっ。プリキュアについて聞きたいだけミルっ」
 小さくて愛らしい外見とはいえ、得体の知れない未知の生物が追いかけてくる。なおも後ずさ
ろうとした女子生徒が、背後にいた生徒の身体にぶつかって動きを止める。
 そこへ、ユメが「あっ、そうだ!」と背負っていたリュックを下ろして、ガソゴソと中身をあさり始
めた。そして、すぐさまお目当てのモノを探し出して、その女子生徒へと突き出した。
「おねえさんっ、これあげるから、どの人がプリキュアなのか教えて!」
 それは、ユメの大切な宝物のひとつ。神殿で、いつも親切にしてくれていた魚顔の人から貰っ
た旧き水神の像。タコに酷似した頭部に連なるのは、背中に竜の翼を生やしたブヨブヨの肉
体。水魔を統べる異形神の姿は、目にしただけで魂が汚染されてしまいそうなほどおぞまし
い。
 謎の生物に追い詰められている状況で、こんな不気味なモノをあげると言われた女子生徒
は可哀想なくらい顔を蒼ざめさせたのち、
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああっっっっ!!!!」
 と、つんざくような悲鳴を喉からほとばしらせた。それを皮切りに、登校中の生徒たちにパニ
ックが伝播していく。

 サンクルミエール学園一年生であるかれんが、三年生であるこまちと連れ添って正門をくぐる
のは、このしばらくあと。その頃には、女子生徒の反応にびっくりしたユメとミルクは、生徒たち
の混乱に紛れて姿を消してしまっていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「ミミンガ襲来……」
 掲示板に張り出された緊急特集のサンクルミエール通信の記事に目を通して、かれんが半
眼でつぶやいた。
 かれんが登校した時、随分と騒がしかったのはこのせいらしい。放課後となった今も、そこか
しこで皆の口に今朝のミミンガの話題が上っている。
「非科学的ね」
 この話題について、一言でバッサリ斬って捨てるかれん。ストレートの髪をたなびかせて、掲
示板へと背を向ける。
 それよりも、こまちはどこへ行ってしまったのだろう? 午後の授業が終わったのを見計らっ
て、教室まで迎えに行ってみたが、彼女の姿はすでに無く、では校門で待ってくれているのかと
思えば、そうでもなく……。
(そういえば、生徒会がミミンガ捜索隊のメンバーを募集したって、さっきのサンクルミエール通
信に書いてあったけど……まさかね)
 いくらなんでも、こんな下らない事にかかわるはずないだろうと思い、もう一度、心当たりのあ
る場所を探してみようと歩き始めた時だった。
「捜索隊のみなさ〜ん、どこへ行ってしまったの〜〜……ミミンガさ〜ん……」
 その声を聞いて、かれんは思わず額を押さえて顔を伏せた。どうやら、そのまさかだったよう
だ。しかもこの様子だと、他の捜索隊のメンバーとはぐれて、迷子になってしまっているらしい。
 心細そうに眉をハの字にして、きょときょとと周りを見渡しているこまちへ、かれんが大股でズ
カズカと近づいていった。
「…あっ、お嬢さま」
 かれんに気付いて、ホッと表情を和らげた彼女の手首を、がしっと力任せにつかんで正門の
ほうへ引っ張っていく。
「えっ、お嬢さま?」
「帰るわよ」
「で、でもまだミミンガが……」
 黙って振り向いたかれんの瞳に、苛立ちの色が覗いているのを見て、こまちがおとなしく口を
つぐんだ。
 正門が近くなるにつれ、下校時という事もあって生徒の数が増えていく。かれんは体裁上、つ
かむ部分を手首から手の平に切り替えた。
 やわらかい手の感触が、そっと握り返してくる。ちらり、とこまちへ視線を巡らすと、にっこりと
笑いつつ、もう少しだけ握り返す手に力を込めてくれた。たったこれだけで、かれんの中で燻っ
ていたこまちへの苛立ちは、すっかり雲散霧消してしまった。
 かれんとこまちを、ひとつに繋ぐ二つの手。たくさんの生徒の目がある場所で、誤魔化しよう
もないくらい強く繋がっている二人。
 皆の視線を必要以上に意識して、かれんがうっすらと頬を赤く染めた。恥ずかしいけれども、
今はとても気分が良い。
(帰ったら、まず、とびっきり美味しいケーキを用意させましょう。それを二人で食べながらおし
ゃべりね……ふふっ)
「あっ」
 かれんに連行されていたこまちが、小さく声を上げて立ち止まった。振り向いたかれんへ、こ
まちが心苦しそうに肩を落として、「申し訳ありません」とつぶやいた。
「カバン、置いてきたままでした…」
「あっ」
 かれんも、今さらながらに彼女がカバンを持っていないことに気付いた。
 かれんは上機嫌なまま微苦笑して、こまちの手を離した。
 下校する生徒たちの邪魔にならないよう、正門の脇に寄ったかれんに、こまちがぺこりと頭を
下げた。
「……すみません、すぐに取ってきますね」
「慌てなくていいわよ。待っていてあげるから」


 こまちがカバンを取って戻ってきた時には、正門の脇にちょっとした人だかりが出来ていた。
中心にいるのは、かれんだ。桜唇から聡明な言葉が紡がれる度、目に見えて場が華やぐ。
 このサンクルミエール学園において、『学園の薔薇』と謳われる水無月かれんを知らない者
は皆無といってよいだろう。端麗な容姿に加えて、高嶺の花を気取らぬ立ち振る舞いが、多く
の生徒を惹きつけていた。
 こまちは、その生徒たちの後ろに遠慮がちに立って、かれんと視線が合うと、小さく手を振っ
てみせた。それを見たかれんの口元を、こまちにしか分からないような小さな苦笑がかすめ
た。
 しばらくして、生徒たちの談笑から解放されたかれんだが、彼女が深々と溜め息をついてみ
せたのは、下校路でこまちと二人っきりになってからだった。
「……ミミンガにでもなった気分だったわ。まあ、毎日のことだけど」
「…お疲れ様です、お嬢さま」
 こまちがそっと気遣う。すっかり気疲れしてしまった彼女の横顔を覗きこみながら、ふと、イタ
ズラな色を表情に走らせた。
 かれんの髪に手を伸ばし、スッと指を滑らせる。指先ですくい上げた幾筋かの髪を、かれん
の面(おもて)に、はらりと垂らした。
「んっ…こまち、何をするの?」
 かれんの左目の端を、細い髪の流れがふさいだ。何気なくその髪を払いのけようとして、そ
れがこまちがいつもキスしてくれている髪だということに気付く。
「 ―― ッ!!」
 かれんが端正な顔を崩して慌てふためいた。両手でその長い髪を隠せるだけ隠して、素早い
身のこなしで、こまちの背後へ滑り込む。その姿を、こまちの眼差しがおっとりと追った。
「お嬢さ……ま?」
「こまちッ、何を考えているのッ!? こんな……人の目に付くところで……ッ!」
 かれんが、こまちの後ろで身を屈めながら、悲鳴みたいな声で叱りつける。
 けれども、こまちはニッコリと微笑んで、
「見られても大丈夫ですよ。その髪の意味が分かるのは、お嬢さまとわたしだけですもの」
 夜毎のように繰り返されるキスは、他人は知れることの無い、二人だけの秘め事だ。それよ
りも……。
「あの……お嬢さま」
「なに?」
 かれんが強張った声で聞き返す。かれんは、今、非常警戒中。すっかり腰の引けた姿勢で、
こまちの肩から顔を半分だけ覗かせて、コソコソと前方を窺がっていた。誰か来たら、即座にこ
まちの後ろに隠れるつもりだ。
「髪を……勝手にいじってしまって、すみませんでした」
「それはどうでもいいわ。……ううん、むしろコレ、気に入ったわ」
 かれんの指先が、こまちが梳き分けてくれた髪をなぞって降りていく。
「なんだか、わたしの顔のすぐ近くに、こまちの唇があるみたい」
 その髪をもう一度、指先で上から下までなぞって、「ふふっ」とかれんがくすぐったそうに笑う。
髪に伝わる指先の感触が、こまちの唇の感触と被っていた。
「学年が違うと、離れ離れの時間が多いので……。でも、こうすれば、常にお嬢さまのそばにわ
たしが……。そんな気になれるんじゃないかと……」
「名案よ、こまち」
 かれんが嬉しそうにその髪に手にとって、愛おしそうに頬擦りまでしている。こまちも幸せそう
な顔で、それを見守っていた。
 やがて、かれんが自分に注がれる眼差しに気付いて、「コホン」と咳払いをひとつして、姿勢
を正した。少々赤くなった顔に毅然とした表情を乗せ、秀眉をひそめるように両瞼を閉じた。さ
らに胸の下で両腕を組んで、主人としての威信を整える。
「こまち」
 澄んだ声でかれんが告げる。
「あなた、主人であるわたしの許しもなくミミンガを捜しに行ったり、あまつさえ、女の命である髪
を了解も得ずにいじったり……。少し、罰を与える必要があるわね」
「えっ…」
 こまちの狼狽する気配を感じた途端、かれんは主人としての威信をかなぐり捨て、こまちの
制服にすがり付いた。
「ちちち違うわよっ、罰といっても仕事を……そう、仕事をひとつ増やすだけだからっ。も、もち
ろんあなたが嫌だというのなら、その意志は尊重させてもらうわ。だから、その…あなたは全然
心配しなくていいのよ」
「……仕事ですか?」
 早口でまくし立てられたせいか、キョトンとした表情になるこまち。
 可哀想なぐらい呼吸も心も乱れきった年下の主人は、何度か深呼吸を繰り返して落ち着い
たのち、先程と同じ姿勢をとって、一応カタチだけは威信を整えてみせた。
「そう。仕事よ」
 夕日の如く真っ赤に染まった顔とは対照的に、ツンと尖った、氷みたいに冷たく硬い声。だ
が、その氷の硬さが、次の一言から震えつつ崩れ落ちていった。
「こ、ここ…これからは、わたし…と、その…毎日、わたしと一緒に……お、お、おお…お風呂
……」
 こまちが、シドロモドロになって上擦っていく言葉を拾って、「一緒にお風呂ですか?」と聞き
返してやる。かれんが無言で、カクカクと首を上下させた。
「わかりました」
 こまちが頷いて、ゆっくりと顔に笑みを広げた。
「これからはわたしが毎日、お嬢さまのおカラダを……洗わさせていただきます」
「よ…よろしい」
 かれんがホッと表情を緩めて、満足そうに大きく頷いた。
「じゃあ、こまち、さっそく家に帰ってお風呂の支度を……」
 そこで、かれんの言葉が途切れた。こまちが首をゆっくりと左右に巡らせて、周囲に人がいな
いことを確認してから、かれんの両肩を包むように抱いてきた。
「こ、こまち?」
「お嬢さま、目を……閉じてください」
 そう言葉を紡ぐ唇が、緩やかな速度で自分の顔へと近づいてくる。かれんが怯えたように両
目を閉じ、唇を震えさせる。
 硬直してしまった身体の中で、心臓だけは『バクッ! バクッ! ……』と激しく脈打っている。
(待って! ダ…ダメよ、こまち、こんな所で……)
 心の中でつぶやいた言葉とは、切なくうずき始めた胸とは裏腹。どちらが自分の正直な気持
ちかは、考えなくても分かる。
 だが、唇へ来たのはキスではなく、「フーッ」と強く吐き出された細い息。
 敏感な唇を吐息でくすぐられ、かれんの全身がビクンっと跳ねた。
「じっとしていてください……」
 今度は頬に、そして次は額にと、「フーッ…フーッ…」と細い息が吹きつけられていく。
「こまち…一体何を……」
 かれんが片目だけ開けて訊ねる。その目の前で、こまちがクスクスと笑って答えた。
「だって、お嬢さまの顔、とても真っ赤で……熱を持っているようでしたので」
 こまちが再び「フーッ」とかれんの顔に息を吹きかけて、「だから、こうやって冷ましているんで
す」と続けた。
 昼食後に歯磨きしたのか、こまちが顔に息を吹きかけてくるたび、爽やかなミントの香りが鼻
腔をくすぐってきて心地良い。だが、すっぽかされてしまった胸の切ないうずきは……。
「こまち、目を……閉じるのよ」
 先に自分が両瞼を下ろしてしまっては、彼女が目を閉じたかどうか確認のしようもなく。
 水無月家の家名に相応しい淑女としての振る舞いでは、断じて無い。そう思いつつも、自制
が効かなかった。かれんは爪先立ちになって、こまちの唇へキスを重ねた。
 ―― かれんが理性を取り戻したのは一瞬後。これが、いつものキスとは違うことに気が付く
のは、もうすこしのち。
 とにかく今は……。
 刹那のキスを終えた二人が、慌しく首を動かして周囲の人がいないことを確認して、お互い
の顔を見合わせ「「ほっ…」」と安堵の息を重ねた。
「あー、今、キスした…」
 かれんの声でもなく、こまちの声でもない、全くの第三者の声。二人が同時に声のした方向 
―― 自分たちの身体のすぐ脇を見下ろした。
 まさに灯台下暗し。自分たちよりも随分と背の低い幼女が、ぴったりと寄り添うような位置か
ら、こちらを見上げていた。その目が、さらに下を向いた。幼女の目の先には、真っ白で可愛ら
しいヌイグル…ミ……?
「ねえ、ミルク、キスって仲良しな人同士がするんだよね?」
「ただの仲良しじゃ駄目ミル。とっても仲良しじゃないと、しちゃいけないミル」
「ふ〜ん、とっても仲良しなんだ……」
 しゃべる謎のヌイグルミ?よりも、かれんとこまちにとって、目を異様にキラキラとさせながら
自分たちを見つめてくる幼女のほうが脅威(?)に思えた。
 幼女は、かつて聞かされた『プリキュアは仲良しの女の子二人組み』という情報を胸で反芻し
つつ、す〜〜っと大きく息を吸い込んだ。そして、目の前にいる二人をビシッと指差して、「よぉ
〜っし」と元気良く声を張り上げた。
「それじゃあ、おねえさんたちがプリキュアってことで…けって〜っい!!」