Yes! ふたりはプリキュアっ! 03

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「かっわいい〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!」
 こまちが、胸の前で祈るみたいに両手を組んで、とびっきり黄色い声を喉からほとばしらせ
た。喜色満面。乙女の全身を、歓喜が震わせる。
 タコさんそっくりなチャーミングな顔、背には勇猛な竜の翼。そして、その全身を覆うヌラヌラと
した質感がたまらなく愛らしい。
「あたしっ、ユメ!」と元気いっぱいな声で名乗りを上げた幼女が、背負っていた大きなリュック
を脇に放り出して、その中からガサゴソと取り出した異形神の像。
 ユメがお近づきの印にと差し出してきた像へ、こまちの手が思わず伸びてしまう。しかし、指
先が像に触れる寸前、ハッと理性を取り戻して腕を引っ込めた。
「ダメよ。そんな素敵で大切な物、さすがに貰うわけにはいかないわ」
 きっぱりと断るこまち。その傍らにしゃがんでいるかれんが彼女を見上げて、
「……貰うわけにはいかないという判断自体は間違っていないと思うわ」
 何かを諦めてしまったような声音で、そうつぶやいた。再び、正面へと視線を戻す。こっちは
こっちで、ミルクと名乗ったミミンガが、先程から両手に持った二つの腕輪について、一生懸命
説明を続けていた。
「はぁ…」
 と、溜め息をこぼすかれんを見て、ミルクが「どうしたミル?」と怪訝な声を出した。
 かれんが、申し訳なさそうに眉を下げて言う。
「ごめんなさい。やっぱり、プリキュアとか言われても、何が何だかよく解らないの」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ、わからなくても何とかなるなる!」
 何がどう大丈夫なのかは分からないが、ユメが一瞬だけかれんの方を向いて、無責任に明
るく言ってのけた。そしてまた、こまちの手にグリグリと像を押し付ける作業に戻った。
「ねえねえ、おねーさーん、これあげるから、悪い奴らやっつけてよぉ〜〜」
「ああぁぁん、駄目よユメさん。すごく欲しいけど……貰うわけには……」
 かれんの目には不気味としか映らないが、こまちには、その物体がとても魅力的に見えるら
しい。理性との葛藤で身体をクネクネと悶えさせている彼女をよそに、かれんはミルクともう一
度向き合った。
「そういえば、わたしたちはまだ名乗ってなかったわね。わたしは、水無月かれん。サンクルミ
エール学園に通う一年生よ。今、ユメちゃんの相手をしているのが秋元こまち、同じ学校の三
年生。二人とも、あなたたちの探しているプリキュアとかじゃなくて、ただの中学生なの」
 ミルクと真っ直ぐ瞳を合わせて、かれんが二人分の簡単な自己紹介を終えた。
「本当に、プリキュアじゃ……ないミル?」
 ミルクの表情に、困惑の色がありありと浮かぶ。そこには、かすかに落胆の色もまざってい
た。小さな体の両横を流れ落ちる長耳も、すっかり気落ちしてしまっている。その様子に、かれ
んの胸を罪悪感にも似た感情がかすめた。
「ほんとうに……ごめんなさい」
 謝りながらも、いまだに目の前の生物には現実味がもてない。実は自分は今眠っていて、リ
アルな夢を見ているだけなのではないか、そう思ってみたりもする。
 平和だった世界に、突如として侵攻して来た<ルナティックミリオン>という魔の軍勢。ユメと
ミルクが暮らしていた大きな街も、二人の住んでいる神殿を残して全て壊滅させられた。<剣
>たる騎士と<楯>なる姫が、かろうじて対抗を続けてはいるが、日々、劣勢の色が濃くなっ
ている。
 そして、伝説の戦士プリキュア ―――― 。
 ミルクの語った内容は、かれんの常識に照らし合わせて滑稽無糖。だが、切実な口調で助け
を訴えてくる小さな生き物を、無下に切り捨てる言葉をかれんは持っていなかった。
「何とか……力になってあげたいけど」
 かれんが、弱り果てた顔でこまちを見上げた。しかし、こまちも同じ表情で見返してくるばか
り。
「ミル…」
 ミルクが力なくうなだれる。
 ただ一人、ユメだけが天真爛漫な笑みを顔に浮かべて……。
「だいじょーぶだよ、みんな。……プリキュア、すぐに見つかるって」
 ごとり。重い音を立てて、異形神の像が小さな両手から落ちた。だが、ユメはそれを拾おうと
もせず、背負ってきた大きなリュックも、自分の脇に置いたまま。
(この子……)
 ある事に気付いたかれんが声をかけようとしたが、ユメが逃げるように背を向けた。
「ミルク、行こっか…」
 道に落ちる影は、小さくてか細い。赤黒く染まった夕焼け空の下、ユメが重い足取りで、当て
もなく歩み去ろうとしていた。
 かれんが立ち上がって、ユメを呼び止めた。
「待って、ユメちゃん。今日はもう遅いわ。もうすぐ日が ―― 」
 ―― 違う。
 多少の寄り道があったとはいえ、時間の経ち方があまりにも早すぎる。二人が正門を抜けた
時は、まだ随分と日は高かったはず。
 かれんとこまちが、同時に空を仰いだ。これは ―― 夕焼けじゃ…ない。
 太陽も無く……雲も無く……。
 腐った血のような赤と闇色の黒が、有機的に絡み合った ―― 赤黒い……死の空。
「あっ…あっ…」
 ユメが、一歩、二歩と震える足で後ずさる。
 その前方には、ほっそりとした女性の影が。緋色のイブニングドレス一枚に身を包み、足先
は同色のイブニングパンプス。
 やけに体型が細く見えるのは、袖無しのドレスで剥き出しになった肩の部分から先が無いか
ら ―― 両腕がきれいに欠損しているからだ。
 かつり。
 一歩踏み出した女性の足元が、硬い音を立てた。それに合わせて、肩にかかっている長い
髪が揺れ ―― 否、生き物みたいに不自然な蠢きをみせた。
 くすり。
 浅黒い肌の美貌が、妖しい笑みを刷(は)いた。頬をやわらかに緩ませているが、まるで体温
の温もりを感じさせない、死体の笑顔だ。切れ長の目から覗く金色の瞳だけが生き生きと、邪
悪な嬉びに輝いていた。
「私は狂王七配下が一人、ハイドラ」
 ユメとミルクの姿をゆったりと見据え、笑みを濃くした。それに合わせて、空の陰りが一段と
暗くなる。
「追ってはきたものの、獲物がこの程度とは……何ともつまらん。向こうの世界で死を喰らって
いるほうが良かったか。……いや」
 視線をつーっと動かして、二人の背後にいるかれんとこまちを見やった。そして、にぃっと死
者の笑みを歪ませる。
「この世界の住民が、どのような絶望の悲鳴を上げるのか、非常に興味がある」
 かれんが屈みこんで、自分のそばにいたミルクの体を抱きしめた。理性が、最大の警告音を
鳴らしていた。早く…早く……逃げないと……ッッ。
 ハイドラが左右に視線を滑らせた。その先の何も無い空間が、陽炎のような揺らぎ、小さな
闇の穴が開く。身体の両脇に開いた闇の穴がから、何かがズルリと這い出てきて、両腕の失
われた肩へと癒着した。
 闇の穴が吐き出したのは、ハイドラの体型に相応しい細い腕だった。 ―― ただし、柔らかな
肌はそこには無く、腕全体を爬虫類の皮膚が包んでいた。さらに言うならば、五指は半ばから
鋭い鉤爪になっており、まさに肉食恐竜の前足を思わせる。
 おぞましい ―― かれんたちが総毛立った。
「さて」
 両腕を生やしたハイドラが、双眸を細めた。
 こまちが、かれんとユメを庇うように、二人の前に走り出た。
「そ、それ以上近づいたら、けっ…警察呼びますよッ」
 こまちが険しい声で言うも、ハイドラになんら変化は無い。全身の震えを押し殺して睨みつけ
てくる少女の前に、スッと歩み出る。
 鉤爪が頬に触れてきた。こまちは恐怖のあまり目を大きく見開いて ―― 硬直して動けない。
代わりに、かれんが悲痛な声で叫んだ。
「や…やめてッ、こまちにさわらないでッッ!」
 全身を瘧(おこり)のように震わせつつ、かれんが哀願した。
「お金ならいくらでも……好きなだけあげるからッ、だからお願い……こまちから離れてッ!」
 ハイドラはその声を聞きながら、うっとりと両目を閉じた。
「スバラシイ……、これ程心地良い声は久しぶりだ」
 ハイドラが、こまちに鉤爪を振るう。
「いやあぁぁぁッ!?」
 悲鳴を洩らしたのは、かれんだ。こまちは、完全に蒼ざめて声も出せない。ざっくりとえぐられ
た制服の胸元から、真っ白な肌が覗いた。
 一瞬遅れて、『カチカチカチカチ…』と小刻みに歯を鳴らす硬い音が、こまちの口から洩れ始
めた。精神的にもう限界だった。人形みたいに突っ立っている彼女の全身を、抑えようのない
恐怖の震えが走る。
 ぶるぶるぶるぶる……。
 カラダ全体で怯えを表している少女に、ハイドラが容赦なく腕を振り上げた。
 ざくり…と今度は制服の違う部分が斬り裂かれた。甲高い叫びが、かれんの口からほとばし
る。
「いやあああ ――― ッ! あなたの言う事何でも聞くからもうヤメテぇぇぇぇぇッ!」
「あはははははっ、さあ、もっと悲鳴をッ! 絶望に染まる声を絞り出せッ!」
 ハイドラがさらに何度も鉤爪を振るった。その度に、こまちの制服のあちこちが斬り裂かれて
いく。
「やめてやめてっ……お願いやめてぇ ――― ッ!」
「クッ…、ひ、ひどいことするなミルッ! ミルクが相手になってやるミル!」
 涙を流しながら叫び続けるかれんの腕の中で、ハイドラの非道に耐えかねたミルクが「ぶん
殴ってやるミルーッ」と暴れる。だが、ハイドラは、ミルクを完全に無視して、粘りつくような視線
をかれんに寄越した。
「さーて質問するぞ。お前に一番いい悲鳴を上げさせるには、この娘のどこを斬り裂けばい
い?」
 そう言って舌なめずりするハイドラの背後に、ユメが。
 正直、ハイドラはユメの動きに気付いていた。しかし、余裕を持って彼女の行動を嘲笑う。
(小娘一匹に何が出来る?)
 始末するなら、軽く振り向いて、鉤爪の指を一本振るうだけで事足りる。それよりも今は…
…。
(まずは目か、それとも鼻か、いや、耳のほうがいいか……)
 かれんが質問に答えられなかったので、削ぎ落とす場所を自分で吟味し始めたハイドラ。そ
の後ろ姿を、ユメがキッと睨みつける。
(姫さまっ!)
 ポケットからそろりそろりと取り出したブローチ。ユメがガラクタの山の中から見つけ出してき
た、古くて安っぽい代物。だが、それはユメにとって大切なお守り。万が一の事を考えた姫が、
結界の力を封じてくれたモノだ。
 ユメの小さな手が、ブローチをハイドラ目がけて力いっぱい投げつけた。
 ハイドラが、ロクに振り向くことすらせずに片手の鉤爪を一閃。ブローチは、たやすく砕け散っ
た。
 しかし。
「ぐがっっ!!?」
 太陽よりも眩しく光が満ちた。封じられてあった結界の力が解放され、光縛の網となってハイ
ドラの全身を強烈に締め上げる。邪なる存在を捕縛する聖なる光輝が、ハイドラの身動きを完
全に封じてしまう。
 ハイドラの目から慢心の色が消えた。金色の瞳を占めるのは、怒りに染まった殺意。両腕に
力を込め、ギリギリと光の網を内側から引き千切ろうとする。
「クソッ…この小娘ええええッッッ!!!」
 熊や虎ですら居竦まってしまいそうな、凶暴な咆哮が大気を震わせた。その鬼気に捕らえら
れたのか、ユメの足腰から力が抜け、くたっとその場にへたり込んだ。
「ユメちゃんっ!」
 かれんが叫ぶ。彼女のほうへ一歩駆け出そうとして、ハイドラの殺気立った視線とまともに向
き合ってしまった。
「ひっ!?」
 ハイドラの視線の圧力に押され、踏み出しかけた足が、元の位置に戻ってしまった。全身の
皮膚が総毛立ち、恐怖で神経が凍りつく。
(足が……動かない……)
 怖い。光の網は、かれんの目には余りにか細く、すぐにでも破かれてしまいそう。今の内に逃
げねばと思うも、ハイドラの殺気をモロに浴びて怯えきってしまったユメは、自力で動けそうに
無い。
(わたしが行かなきゃ……ッ!)
 そう考えるよりも早く、こまちがハイドラのすぐ脇を駆け抜けていた。そして、ユメの手を引い
て立ち上がらせた。
「お嬢さまも、さあっ!」
 ユメの手を引きながら駆け戻ってきたこまちが、初めて見る厳しい表情で促した。ひざがガク
ガクと震わせた状態で、かれんがこまちの背を追って、ぎこちなく走り出した。
 か細く簡単に千切れそうに見えても、その光縛の網は、結界術随一の使い手たる姫の技。よ
うやくハイドラが引き千切った頃には、かれんたちの姿はとっくに視界から消えてしまってい
た。
「おのれ……」
 低い声で唸る。全身に屈辱の震えが走り、双眸が狂気を孕んだ。その眼光を受け、目の前
の空間が歪む。溶かして開いた虚空より、ハイドラの右手の爪が、一枚の仮面をつまみ出し
た。大きく突き出た鷲鼻に、薄い三日月の形に裂けた口の道化の面。ハイドラの手が、赤黒い
空へ向けて高速で放った。
 面は、射られた矢の如きスピードを緩めることなく空へと消えていく。そして……。
「小娘ども、地獄の仮面舞踏会へ招待してやろう」
 シュウゥゥゥ…と毒々しい息を吐く口が、天を揺るがすほどに声を張り上げた。
「コワイナ ―――― ッッッッ !!!!」
 赤黒い空に、別の色が交じる。白く、小さな、無数の点。その点は少しずつ大きさを増しなが
ら、地上へバラバラと降り注いだ。
 バラバラ、バラバラ…………。降り注ぐのは、道化の面。虚無の笑みを浮かべた面が、バラ
バラ、バラバラと何枚も、何十枚も、雨のごとく…………。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「どういうことなの……これって!?」
 交番を見つけた時は、少なからずホッとしたものの、助けを求めて入ってみれば、中は全くの
無人。今、こまちが電話を試しているが、こちらも全然反応が無い。
 ここまで来る途中も、他の人の姿を見る事がなかった。光の灯っていない信号。その横断歩
道の手前で放置された車。電気の消えた店舗……。かれんたち以外の人間の姿が、街から消
え失せていた。
 この状況に対して、冷静になろうと努めていたかれんの耳が、かすかに音を捉えた。
「この音……何かしら?」
 それほど遠くない場所で、何か音が鳴っている。バラバラ、バラバラ…と。交番の中から注意
深く外を窺がうかれんの背後で、どさり…と人の倒れる音がした。
「こまちっ!?」
 かれんが駆け寄って、こまちの上体を抱き起こした。その腕の中で、熱に侵されているみた
いにおぼつかない口調で彼女が言った。
「申し訳…ありません…、やっぱり電話、ダメみたいですね……お嬢さま」
 肉体的な疲労以上に、精神的な憔悴が表情に表れていた。それでも弱々しい眼差しでかれ
んの顔を見上げ、やさしげな笑みを頬に乗せた。主を心配させないように元気を装(よそお)っ
てみせる、そんな彼女の気遣いに、かれんの心が痛んだ。
「だいじょうぶ……?」
 おそるおそると、ユメが尋ねてきた。こまちの様子を見たミルクが「お水を持って来るミルっ」
と交番の奥へ向かった。
「こっちから水の匂いがするミル」
 見つけたコップを持って、ステンレスの流し台に飛び乗る。真正面から水道の蛇口を見なが
ら、「ミル?」と首をひねった。蛇口の見た目から仕組みを考察すること約十秒、片方の長耳を
伸ばして、目についた水栓を力一杯ひねってみる。途端に勢いよく水がほとばしって、ミルクの
全身をびしょ濡れにした。
「ミ゛ル゛ぅぅ!?」
 慌てて水栓を逆にひねって、水流を止めた。コップに入った水は半分以下だったが、怖くて、
もう一度水栓をひねってみる気にはなれない。
 水をこぼさないよう、なるべく静かに流し台から飛び降りて、かれんたちの元へ戻った。
「持ってきたミル…」
 全身から水を滴らせているミルクの姿にちょっと驚きながらも、かれんが、「ありがとう」と一
声添えてコップを受け取る。
 コップの水をそっとこまちの口に含ませてやると、こくんっと喉が動いて一口だけ飲んだ。ほ
んの少しだけでも水を飲んだことに安心したのか、かれんがほっと溜め息をついた。
「ユメちゃん、奥に行って何か身体を拭くものを探してあげて。でないと、ミルクが風邪を引いて
しまうわ」
 心配そうにこちらを見ていたユメと目を合わせて、こまちも視線で、そうしてあげて、と優しく促
した。
「うん、わかった」
 ユメがミルクを連れて、交番の奥に行く。その後ろ姿を見送って、かれんとこまちが微笑みあ
った。