プリキュアオーヴァーズDX 03

第三話「輝ける鼓動」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 モノクロームの空は静寂を取り戻していた。微かに漂う大気の焼けた匂いが、戦闘の余韻。 
 物理法則を無視して滞空する黒い影が、地上を俯瞰して、一片の感情も ―― 生命の温もり
も無い虚ろな声音を吐き出した。 
「貴妾(わらわ)の予測外であった。黒白(こくびゃく)なる光の使徒、なんという怪物か……」
 地上戦に特化した戦闘スタイルの二人が、信じられない脚力でジャンプして空中での白兵戦
を挑んできた上 ――― 神という存在を、拳と蹴りの威力だけでねじ伏せかけたのだ。
 しかも、一瞬の隙を突いて発生させた次元歪曲渦にて時空遷移 ――― 過去への跳躍を為
した直後に、微かな時空間の揺らぎをたどって必殺砲撃が追いかけてきた。
 神殺しの猟犬と化した彼女たちの牙は、神の喉に突き立つ寸前まで迫ったのだ。
 これほどの時空的な距離を置いてなお、彼女たちの意志を感じる。時間の壁をぶち破ってで
も敵を討たんとする凄まじい気迫。
 眼窩に収まった紅蓮色の水晶瞳。強大な敵を前に、無機質な視線は微塵ほどの動揺も見せ
ない。変わらぬ静謐さを湛えて全てを見下すのみ。 
 それは、神の視点。絶対不可侵の領域に立つ存在なればこそ許される、倣岸で無慈悲な、
全ての生命体に対する蔑視。 
「どう足掻こうとも、もはや貴様らは間に合わぬ。これより光のクイーンを完全に消滅させ、この
宇宙を……」
 言葉を閉じる。冥(くら)き眼差しが横を向いた。物凄い速度で飛来する二つの存在を視認。 
 奇襲、というわけではないらしい。情けない悲鳴を上げながら遥か頭上を飛び越えていくそれ
らを、無感情な視線で見送る。 

「……わあああああああぁぁぁぁぁぁ」 
 放物線を描いて空をかっ飛び、そして速度を緩めず落下中。何が何やらさっぱり分からぬう
ちに、アカネたちは地上への激突死を迎えようとしていた。 
「くっ…!」 
 両手でひかりの身体をしっかりと抱きかかえたまま、無意識にHチェンバーを作動させる。カ
チリ、と装填音が響くと同時に、Hチェンバーの表面をまばゆいイエローの光が走りぬけた。 

 トパーズバレット ―― 金星守護圏に帰属する神威<大地に脈打つ息吹>を顕現させる地
髄子の結晶弾。 

 地球体積の80パーセントを占めるマントル層 ――― 億年単位の雄大な時間をかけて対流
する岩性の巨大質量 ――― 。地殻の下で、その強大な流動に何万年も煉(ね)られた地熱
は、純度の高いエネルギーに昇華して<大地の氣>となる。
 地髄子の働きは、地中を経絡図のように走る<大地の氣>の流れ、すなわち"龍脈"からそ
れを汲み上げて、赤血球のヘモグロビンが酸素を全身に送り届けるごとく、アカネの体内に行
き渡らせることである。
「だあああああああッッッ!!!」 
 内側から湧き上がってくる超人的な力。臨時の滑走路となったアスファルトの道路を『ズガガ
ガッッ!!』と凄まじい音を立てて両足の裏で削りながら着陸成功。
「ふうっ」 
 アカネが安堵の息を洩らした。ちょっと気絶しかけているけど、ひかりの無事も確認。彼女の
顔を覗き込んで一瞬だけ弛めた表情を即座に引き締め、後ろを振り返る。 
「さて…と、ずいぶんとオーバーランしたから急いで戻んないとね」 

 ――― その瞬間、全身の細胞が悪寒を感じた。視線の先に存在するモノの威圧感が、アカ
ネの全ての動きを殺した。息をするという動作さえも止まる。 
 アカネの視覚を打つ禍々しい闇色。それが、その存在の本質をあらわしていた。 

 幾重にも纏った闇色の薄絹が、細身の身体を隠している。顔にも巻きつけられた薄絹のせ
いで、紅蓮色に沈む双眸以外は覗けない。長く伸びた袖と裾が、手足の先まで隠している。 
 神像のように、背に戴いた漆黒の光背。材質は不明だが、円状の火焔光は、存在するはず
の無い闇の光を放つ太陽を表している様に思えた。 
 人のカタチをしているが、明らかに人ではない。かの存在から受ける印象は、一文字で表す
ならば<死>。全ての生命を喰らい尽くす悪意のブラックホールとでもいうべきものだ。 
 そして、すでにアカネたちはシュヴァルツシルト半径に捕らえられていた。光ですら脱出を許さ
れないブラックホールの捕食領域。反抗の意志さえ湧き起こらない。 

「光のクイーンの命たるその娘、貴妾に渡してもらおうか」
 無機質な声の響きが鼓膜を震わせた。脳が畏怖に打たれ、失神しそうになる。だが、アカネ
の本能が一つの動きを選択する。ひかりを、さらに固く抱き締めた。 
「この子を、どうする……つもり…?」 
 震えを隠せない声に対して、そのモノの答えは短く明瞭だった。 
「消す」
 その言葉の響きが耳に届いた瞬間、その言葉の意味が脳へと達した瞬間、 

 ――― アカネの中から恐怖が消え失せた。 
 約60兆個ある全細胞を、怯えとは別の何かが満たしてゆく。それが怒りなのか、殺意なの
か、判別しがたい。 


 全身の産毛を静かに逆立てて、ふーっ、と大きく息を吐き、そして双眸に肉食獣の凄みを宿
らせた。 
 喧嘩上等。過剰防衛が確定した。相手が総理大臣でも大統領でも神様でも、ひかりに手ぇ出
そうとする奴は、泣いて土下座するまで殴り続けてやる。 
 アカネが、ニィッ、と歪めた口から毒の言葉を紡いで投げつけた。 
「ザケんな。そっちこそ犬のウンコ踏んで滑ってドブに落ちて泣きながら消えろ」
 ガチンッ、とHチェンバー内に重い装填音が響き、籠手の表面を輝く黄金色が駆け抜けた。 

 シトリンバレット ―― 太陽守護圏に帰属する神威<天上を統べる太陽>を顕現させる光輝
子の結晶弾。 

 拳から立てた親指に太陽の輝きが宿った。アカネが拳をグイッとひねり、その親指で地面を
強く指す。死ね、という明確なサインだ。さらにその親指から光線を放って、ズドンッ、とアスファ
ルトに穴を穿つ。テメェぶっ殺してやる、という明確すぎる意思表示だ。 
 アカネは、<死>そのものたる神に喧嘩を売った。 


「下がってなさい、ひかり」 
 その場にひかりをそっと下ろし、アカネが一歩前に出る。目の前の敵から来る重圧が全身を
打ち据える。それでもさらに一歩を踏み出す。じりじりとつま先で間合いを測る。喧嘩は先手必
勝。先に殴った者勝ち。 
「やいっ…、なぎさとほのかをどうしたっ?」 
 アカネが食いしばっていた歯を開いて、苦しげな声を絞り出す。近づくだけで、魂が闇に呑み
砕かれそうなほど気圧される。しかし、喧嘩腰な態度を改めるつもりはない。 
 闇を纏うモノの長い右袖から、人骨を練り合わせた杖が、すーっ、とせり出てきた。ねじくれた
脊柱(せぼね)に半ば溶解した肋骨と大腿骨が絡みつき、杖先を飾るのは、串刺しにされた頭
蓋骨。 
 その邪悪な工芸品を握る手は見えない。まるで、袖の内側から人骨の杖が生えてきたよう
だ。 
「未来にいるあの怪物どものことか? ならば死んだも同然。過去も未来も、全てが<死>を
迎える。今この場所で、クイーンの消滅と共に」
 まずは邪魔な存在を排除。スッ、と人骨の杖が持ち上がってアカネを指した。頭蓋骨の虚ろ
な眼窩に、ボゥッ、と鬼火のような暗い光が灯り、杖全体がキシキシと嫌な音に軋み始める。 
「いけないッ ――― !」 
 ひかりがとっさにアカネの前に走り出た。空へと高く掲げたたおやかな両腕を手首の所で交
差させ、左手の甲で、右手首の位置を優雅に薙ぐ。清らかな光が右手首の周囲に生じ、輪とな
って踊る。 
 それはまるで、天使の頭上に輝く光輪。聖性を帯びた光子の輪が、瞬時に、超高密度で結
晶化した。 

 聖戦武装<シャイニーリング>

 黄金に輝くリングは、ひかりの握り拳よりも大きく、肌に接触もしていないが、腕から抜け落ち
てしまうことはない。緩やかに回転しつつ、右手首の周囲で軌道を安定させている。 
「シャイニーリング、 ――― セイントシールドッッ!」 
 ひかりの声に弾かれたように、シャイニーリングが拳の先へと滑り出し、全ての光子を放出
展開。直径一メートルの円形の楯として面積を広げた。 
 ほぼ同時に、人骨の杖から噴き上がった呪詛の絶叫。『ゴゥンッ!!』という爆音がアカネと
ひかりの耳を貫き、鼓膜に叩きつけられる。 
 至近距離から光楯に炸裂した、墨のように真っ黒な爆炎と、数百個にも及ぶ超硬質の鋭利
な破片。 
「クッ…!」 
 腕の力だけでは抑えきれず、ひかりが前傾に体重をかけて衝撃を防いだ。それでもブーツの
足裏がズルズルとアスファルトを滑りながら後退する。その身体を、アカネが後ろから抱き支え
る。 
「どうして……」 
 ひかりが声を張り上げた。 
「どうして世界を終わらせようとするのですかっっ!!」 
「終わるのではなく、始まるのだ。全ての生命は<死>という領域を経て、無限なる絶望、永劫
なる絶望へと変化する」
 その無機質な声に、感情の温度は存在しない。ただ朗々と淀みなく、虚ろに響き渡るのみ
だ。まるで機械仕掛けのように、言葉の続きを吐き出してゆく。 
「光のクイーン、全ての命を司る貴様を消し去り、この宇宙の全生命を<死>の闇に落とす。
  そして、絶望で溢れかえった新たな宇宙を貴妾が支配するのだ。
 ―― この<死>の絶望神ネクロデウスが
 光楯が展開を収束し、二組の意志強き双眸が眼前の黒き神を射抜いた。燃え立つように激
しく、美しく、瞳に揺るがない正義を宿して立ち向かう戦士の眼差し。 
「させるかァっ!」「させませんっ!」 
 叫ぶと同時に、アカネとひかりが大地を蹴った。疾風と化した二つの身体が、<死>より産ま
れた神へ超高速の拳と蹴りを繰り出した。しかし ――― 。 
 ネクロデウスは、紅蓮色の冥い視線だけで迎え撃った。二人の姿を網膜に捉え、空間ごと
『強制停止』させる。 
「貴妾の前では何もかもが無駄なあがきだ。共に消えるがいい」 

 ネクロデウスの言葉が終わると同時に、動けぬ二人の瞳が驚愕の色に揺れた。全身から温
もりが急速に消えてゆく感触。生きながらに味わう死の体験。 
 アポトーシス機能 ――― 本来ならば、正常維持のために、不要となった細胞を自殺させる
システムが、ネクロデウスからの干渉で凶暴化。全細胞で牙を剥く。 
「……ッ!」 
 動けぬ身なれば、声も出せず、抗う事も出来ず。 
 全身で始まった細胞自殺の暴走。それは二人を体の内側から喰らい尽くす闇なる神罰。 
 ……だが、それでも二人の意志をねじ伏せる事は出来ない。 
 動けぬ身で ―― 動けぬ身のはずのアカネが、ギリッ!と奥歯を噛み締めた。 
(こんなところで……ひかりも守れずに……死ねないーーッッ!!) 
 わずかに、空間ごと『強制停止』されたはずの拳が震えた。 
 異変を察知したネクロデウスの対応は素早かった。人骨の杖が空気を斬り裂き、二人の姿
を薙ぎ払う。…が、刹那の差で二人はネクロデウスの『強制停止』を打ち破り、杖の間合いの
外へ飛びずさっていた。 
  
 アカネとひかりの全身が神聖なオーラを噴く。アポトーシスを沈静化させ、さらにダメージを修
復。二人の双眸が、再びネクロデウスを鋭く射抜いた。 
 一瞬前よりも戦士として『進化』を遂げた二人が、気高く、全ての星々に誓うように、悪しき神
を前に名乗りを上げる。 
「未来を繋ぐ希望 キュアグリント!!」
「未来を包む光 キュアルミナス!!」
 握る拳に正義を乗せて、凛とした背に宇宙を背負い、その眼差しは悪を討つ ――― !! 
「全宇宙の期待に応え、ここに推参!!」
「伝説の戦士、その名はプリキュア!!」
 ――― 伝説降臨!! 

 キュアグリントの背で、狐色の一筋の髪が舞った。神速の突撃 ――― 真正面から一瞬のう
ちにネクロデウスへと肉薄する。紅蓮色の魔眼がその姿を捕捉。 
「残念ッ! もう効かない!」 
 もしかしたら、ほんのわずかにキュアグリントの動きが鈍ったかもしれない。だが、それだけ
だ。『強制停止』状態にまでは持ってゆけない。 
 キュアグリントの右手が、人骨の杖の頭蓋骨をわし掴みにした。Hチェンバーの表面を静か
にブルーの輝きがなぞる。 

 サファイアバレット ―― 土星守護圏に帰属する神威<万物伏す冬の凛冽>を顕現させる
凍結子の結晶弾。 

 物体の熱量を瞬間蒸発させる凍結極点を形成 ―― 人骨の杖を凍(こお)り固めて、黒い爆
炎の噴射を封じてしまう。 
 一連の動作は瞬きするよりも速い。右手を頭蓋骨から離すと同時にヒジを畳み、半身となっ
て強烈な右脚の踏み込み。アスファルトの踏み砕かれた音が響く中、弾丸の速度でヒジ打ちが
ネクロデウスの顔面を強襲する。 
 刹那、死線をさまよったのは、キュアグリントのほうだった。 
(ヤバイッッ ――― !?) 
 戦士の直感が、自らの死を嗅ぎ取った。微かに振られたネクロデウスの左袖 ――― そこか
ら高速射出された骨の槍が、キュアグリントの心臓を射抜かんと伸びる。 
 穂先に毒々しい燐光が燃えている。高温で装甲ごと対象を灼き貫く処刑槍だ。 
 避けられない体勢。致死確実なカウンター。思考するよりも早く、肉体が反応していた。 
 キュアグリントの右脚が電光石火で跳ね、砲弾のようなひざ蹴りを骨の槍へと見舞う。 

 粉砕。骨の破片と燐光が飛び散る。 

 邀撃(ようげき)はなったが、ヒジ打ちによる強襲は、あと一歩、皮一枚分ほどの距離が届か
ず失敗。未練も迷いも無い。キュアグリントがその場から素早く飛びずさった。 
 その行動の根拠は、勘。 
 ネクロデウスの光背が、チカチカッ…と数箇所で小さなスパークを散らして、激しい量子揺ら
ぎを引き起こした。 
 それを背にして、キュアグリントがHチェンバーにエメラルドバレットを装填。左腕でキュアルミ
ナスの身体を抱きかかえ、一陣の風と共に空を駆け上がる。 
 直後、キュアグリントがいた地点に叩きつけられたブラックホールの『幻覚』。神の手で紡が
れたモノなれば、数秒とはいえ、時空間に物理的な錯覚を発生させる事も可能。 
 半径十メートル強の暗黒球体がその表面 ―― 事象の地平面 ―― に接触した物質全てを
凄まじい潮汐力で引き千切りながら、超重質量の圧縮で煮えたぎる特異点へと落下させてゆ
く。 
「クッ…!」 
 空へと逃げるキュアグリントたちが、ガクンッ、と失速した。風の翼を支える空気の層がネク
ロデウスの生み出した『幻覚』に貪り食われたのだ。 
(即興で作り出すな、ンなもんっ!) 
 キュアルミナスの身体をきつく抱きしめながら、身をひねって右手を背後へと突き出す。Hチ
ェンバーの表面を、カッ、と一閃する紫電。 

 アメジストバレット ―― 木星守護圏に帰属する神威<虚空打ち震わす雷>を顕現させる電
律子の結晶弾。 

 激しい雷光が、肩の付け根から拳にかけて巻きつくように帯電。キュアグリントの右腕がまる
まる砲台と化してしまう。 
 轟音の炸裂。破壊的な放電にぶち抜かれて、再現精度の低い、偽物のブラックホールが打
ち消される。 
 キュアグリントの背で、颯爽と宙にたなびく一筋の髪。 
(来るッ ――― !) 
 もはや予知能力といっても過言ではない危機回避の衝動。エメラルドバレット再度装填。
 エメラルドの燐光が吹き散ると同時に叩きつけられた猛烈な風の津波が、二人の身体を前
方へ押し流した。
 ゾッ、と背筋の凍える死の感触を背後に感じた。逃げるのが一瞬遅れていれば、確実にそれ
の餌食になっていただろう。
 
 任意の空間内をA領域とB領域に設定し、その両者の位相を瞬間的に大きく上下に『ずらす』
ことによって、その境界線上にある物体を切断的に破壊する、空間断絶のギロチン。
 防御不可能な、まさに神業(かみわざ)。 

(なんだかワカンナイけど、かなりヤバいっ!) 
 ニ撃、三撃、とその攻撃が立て続けに繰り出される。 
 攻撃の正体も分からずに、逃げに徹するキュアグリント。滅茶苦茶な軌道で、しかも猛スピー
ドで空を飛び回るから、腕の中のキュアルミナスが目を回していないか心配だ。 
(あんにゃろはどこににっ!?) 
 前方に突如展開された空間断絶のギロチン刑を空中急ブレーキで回避。一撃で天国行きの
攻撃を死ぬスレスレでかわし続ける。 
 この攻撃を止めさせるためにも、とりあえずネクロデウスに一発かましたい所だが、肝心の
相手を見失ってしまっている。 
(…くそっ、どこなのアイツっ?) 
 ――― キュアグリントの焦燥する心の声に応えるかのように、無機質な声の響きが天から
降ってきた。 
「貴妾なら、ここに」
 頭上から襲いかかる黒い爆炎とダークマターの結晶片の瀑布。 
「…ッ! ご丁寧にどうもっ!」 
 風の加速を得て、疾風のように空を翔けた。爆音が連続して轟き、二人を追ってくる。 
(フルオートで爆撃してこないでよぉぉ!) 
 大きく弧を描いて空を逃げる。その背後で、突然闇色の爆撃の雨が止んだ。とっさに頭上を
仰いでネクロデウスの姿を探す。視界の範囲に………いない。 


 ――― 死骸の上を飛ぶカラスのように悠然と
 空を彷徨う亡霊のごとく無音で ――― 


 黒衣の神が、キュアグリントの後方に舞い降りた。 
 左右の袖から伸びる二振りの人骨の杖は、頭蓋骨の眼窩に鬼火の揺らめきを添えていた。
今まさに爆炎の絶叫を放つ寸前。 
 ――― その一瞬、静寂が世界を覆った。 

 ネクロデウスの視界に収まる、キュアグリントの後ろ姿。完全射程内。 
 キュアグリントは振り返ることなく、終わりを悟って静かに瞳を閉じた。 
(一発……殴りたかったんだけどねー) 
 衝撃が空を貫いた。 
 ネクロデウスの紅蓮色の眼球は、静謐さを崩さない。もはやそこに、キュアグリントの姿を映
す必要はなかった。 
 キュアグリントもやはり振り返らず、ただキュアルミナスが、微かな悲しみを湛えた瞳にネクロ
デウスの姿を映して、そっとまぶたを下ろした。 
 キュアグリントの腕に……、彼女とは逆の向きにしっかりと抱きかかえられていたキュアルミ
ナス。すなわち、ネクロデウスとは真正面から相対していた。
 
 正面に真っ直ぐ伸ばした右腕の手首を、左手で下から支え、握り締めた右拳……その中指
の付け根を照星とする。ヒジから拳までは弓床だ。 
「シャイニーリング、 ―― セイクリッドアロー」 
 セイントシールドに続く、聖戦武装<シャイニーリング>のセカンドフォームは、狙撃型神聖
光撃。そして、その攻撃はすでに終わっていた。 

 音速を超えて飛び立った超高密度の光子の徹甲矢が、空気を切り裂きながら帰還してくる。
キュアルミナスの右手首の周囲で、シュルリ、と円軌道を描き、黄金に輝くリングの形態に戻っ
た。 


 紅蓮色の瞳が、自分の胸元を見下ろす。 
 背中へと抜ける貫通弾創から清浄な烈気が立ち昇っている。聖性を帯びた光の粒子が、狙
撃の残滓として弾痕できらめいていた。 
 体内に響き渡る、聖性の波動。
 砂がこぼれるように、闇がサラサラと傷口からこぼれ落ちて、足下 ―― モノクロームの空に
溶けてゆく……。 
「……なるほど、この仮初の肉体では勝てぬというわけか。貴妾(わらわ)の影から練り上げた
器とはいえ、所詮は神の紛(まが)い物……か」
 もはやその姿は影絵のようだ。<死>の顕現たる神の威圧はそこにはない。しかし、言葉の
残した不気味さが、じわじわと拡がる。 
 ネクロデウスは、早くも体の輪郭線を崩壊させつつあった。紅蓮色の右眼球が、眼窩からポ
ロリと落ちて、無風の空に溶け散る。残った左眼が、二人の姿を見つめていた。 
「なんだアンタ、偽物だったの……」 
 キュアグリントの口からが乾いた声が洩れた。闇色の灰の塊と化したネクロデウスには、もう
答える口の部分が残っていなかった。 

 最後に空に残ったのは、紅蓮色の左眼球。 
 言葉は語れない。だが、その眼の向こうに意志があった。 

 ――― ならば貴妾自身が征こう。これより幾千億の星の死を絶望の櫃に納めて。貴様らの
生命を一片残らず呪詛に染め上げ、微塵に打ち砕く。 
 本物のネクロデウスの意志が伝わってきた。 
 遥か彼方の宇宙で闇が胎動した。邪悪な鼓動の響きが天を揺らす。そして、最後の闇色の
灰が空に散った。 
 敵意。 
 キュアグリントとキュアルミナスが地上へと視線を向けた。視線の先で、透明な何かが沸き立
っている。それはやがて物理境界面の臨界を突破し、重い金属のきしみを発した。 
「物騒な置き土産を……アンタが来るまでコイツと遊んでろって?」 

 重い鉄塊の足に踏みしめられ、アスファルトが煎餅(せんべい)のように割り砕かれる。無骨
な全体の輪郭が、次第にハッキリと浮かび上がってくる。 
 全高7メートル強のずんぐりとした歪(いびつ)な人型の巨体。全身はぶ厚い鋼で構成されて
おり、最大装甲厚は100ミリ近い。 
 太い両腕はヒジから先の外側に厚い鋼楯、内側に口径20ミリの砲身を6本束ねた航空機搭
載用の機関砲。手は無い。 
 背中には長方形の大筒を二つ背負い、アスファルトを踏み割るのは、巨木の幹のように太い
鋼の足。 
 目も鼻も口も無く、お椀を平べったくしたような頭部から長く突き出た二本の槍が、滞空中の
キュアグリントたちを睨んでいた。砲口にマズルブレーキをつけた48口径75ミリ(砲身長3.6
メートル)の戦車砲だ。 
『ヴォイドナアアアアアアアアーーーーッッッ』
 鋼造りの戦鬼が全身で吼えた。プリキュアに宣戦布告するように、自らの名称を。 

 ヴォイドナーの金属のひざと足首が軋む。やや前屈みに全体が傾いだ。背負った長方形の
大筒二つが同時に発射音を鳴らした。 
 大筒 ――― ランチャーから発射された二つの飛翔体は、キュアグリントたちを無視して遥か
上空を目指した。そして点にしか見えなくなった距離で ――― 爆裂。 
 空に紅蓮色の花が二つ咲いた。 
「ルミナスッッ!!」 
 その声に弾かれたように、キュアルミナスがセイントシールドを展開。二人の頭上へと掲げ
る。 
 上空で爆発したクラスター弾ひとつにつき、内蔵されていた徹甲榴弾の数は千個。合計二千
個の死の雨が、高高度からの落下エネルギーを武器に変えて、二人へ襲いかかってきた。 
 散布面積が広くて逃げきるのは無理だ。 
 篠つく雨のように激しく、次々と光楯の表面へ炸裂する徹甲榴弾。楯は持ち堪えているが、
『ドンドンドンドンッッ…』と連続でくる着弾時の爆発衝撃でキュアルミナスの細い腕が折れてし
まいそうだ。 
「くそっ…!」 
 キュアグリントも右腕を伸ばして楯を支えようとして、 
 ――― とんでもなく悪寒が背中を走った。 

 100メートルと少し先、空中で身動きの取れない目標。自砲の有効射程は2000メートルを
越える。ヴォイドナー頭部の二門の戦車砲にとって、まさに敵は目と鼻の先だった。 
 ヴォイドナーの頭部で轟音が二つ同時に炸裂。だが、その数瞬前、キュアグリントのHチェン
バーの表面を紫電が一閃していた。 
 キュアグリントの右腕から発射された人工の落雷がヴォイドナーの右脚を直撃。擱坐(かく
ざ)させることはできなかったものの、巨体を揺らがせ、照準をずらす効果はあった。 
 二人を大きく逸れて、戦車砲から吐き出された矢羽のついた成形炸薬弾がモノクロームの空
に吸い込まれていった。 
『ヴォイドナッッ!!』 
 ジュール熱で焼かれた右脚をズンッと踏みしめ直し、両腕を空中にいる二人へと向けた。そ
こから吐き出されるのは毎分6000発に達する火箭の猛射だ。ヴォイド相転移によって無限補
給される高速徹甲弾に弾切れは無く、砲身過熱のほとんどは物理境界面の向こう側へと放熱
されるため、射撃継続能力は事実上無制限。 
 徹甲榴弾の雨は止んだ。六連の機関砲二門が咆哮を奏でるのを待つ義理は無い。Hチェン
バーにエメラルドバレットを再装填。烈風に乗って翔ける二人のすぐ後ろを、何千発という高速
徹甲弾の掃射が追いかけてくる。 
「くそぉっ! 何とか後ろに回りこんで……」
 滑空しながら背後を取ろうとするプリキュアの動きに、ヴォドナーの頭部が旋回。二門の戦車
砲が、高速飛翔する二人の未来位置へ成形炸薬弾を叩きつけようとしていた。 
 そのヴォイドナーの行動は、キュアグリントの予測範囲内。すでにHチェンバーの表面を、清
澄な水色の輝きが伝い流れていた。

 アククアマリンバレット ―― 月の守護圏に帰属する神威<星めぐる水の流転>を顕現させ
る水相子の結晶弾。

 水相子は発動と同時に、自身の発する波動を凝縮 ――― 結晶相へ移行させる。水分子の
性質を模した結晶体を、爆発的な速度で大量生成して周囲に散りばめた。
 ヴォイドナーに照準を合わせて作り出された『水』が、怒涛の滝のごとく降り注いで、その姿を
完全に覆い隠した。
「凍れ!」
 間髪入れず、サファイアバレットをクイックリロード。形成された凍結極点が、大量の『水』を
瞬間氷結。鋼造りの戦鬼が、厚い氷塊の中に閉じ込められる。
 だが、キュアグリントの予測を裏切り、ヴォイドナーの動きを封じ込めるはず氷塊に、すぐさま
深い亀裂が走った。鋼の馬力が一メートル以上もある氷の壁を内側から力ずくで砕き割る。
『ヴォイドナアアアアアッッ!!』
 ヴォイドナーの頭部が爆轟の咆哮を上げた。紅蓮の発射炎が二門の戦車砲の先端に弾け
るのと、キュアルミナスの右手から鋭く投げ放たれたシャイニーリングが光の楯として展開し、
成形炸薬弾の弾道をさえぎったのが同時。
 光楯の表面に毒々しいオレンジ色の爆炎が炸裂し、凄まじい爆発音を吐き散らして荒れ狂
う。
 
 成形炸薬弾の本領は、灼熱の杭と化したメタルジェット(融解した金属微粒子の奔流)を超高
圧で鋭く一点に打ち込む事による侵徹。たとえ鋼鉄のように硬い金属でも、ユゴニオ弾性限界
以上の圧力を加えられた状況下では、その強度はまるで水のごとき粘度にまで低下するという
物理性質を利用した対装甲弾だ。
 簡単にイメージを描くならば、超高圧を受けてプリンよりも軟らかになった鋼鉄の装甲を、秒
速数千メートルで打ち込まれた灼熱のメタルジェットが貫通する、という感じか。
 だが、セイントシールドの強度は、キュアルミナスの意志そのもの。超高圧・超高温の一撃を
喰らってなお、燦然とした輝きに微塵の揺らぎもない。

 爆発を正面から受け止めた光の楯の背後で、キュアルミナスがホッと一息つく。それとは真
逆に、キュアグリントの表情が険しさを増す。
(すぐに次が来る……!)
 キュアグリントの撃墜に失敗したヴォイドナーは、即座に背中のランチャーを起動。プリキュ
アの頭上に徹甲榴弾の雨を降らすべく、二発のクラスター弾が遥か上空目指して翔けあがる。
「…くっ!」
 キュアグリントが上空を睨んだ。
 光の楯の表面を舐める爆炎も晴れぬうちに、ヴォイドナーの左腕が猛然とうなりを上げる。セ
イクリッドシールドに炸裂する高速徹甲弾の集中豪雨。

 ――― 正面からの攻撃に加えて、上空からの追い打ち……二段攻撃の構え。セイクリッドシ
ールド一枚では対処しきれない ―――

 そう判断したキュアグリントは、クラスター弾が徹甲榴弾を散布するよりも早く、エメラルドバ
レットを装填。セイントシールドの陰から、二人が烈風の翼を得て飛び出す。
 全てがヴォイドナーの仕掛けた罠であると気付いたのは、その直後。
 キュアグリントの回避行動を誘導し、その回避方向まで推測した上で、その飛翔進路をふさ
ぐように右腕の機関砲が火を噴いた。
「しまっ ―― ッッ!!」
 毎分6000発の弾雨に突っ込む寸前、キュアグリントが強引に飛翔の角度を変更して髪一重
でかわす。だが、その無理な避け方の代償で、風の舵(かじ)を失ってしまう。
(マズッ ―― !)
 二人そろってキリモミ状態で一直線に地上に落下。道路に叩きつけられる寸前、キュアルミ
ナスの下に身体を入れることで、彼女がもらう落下の衝撃を和らげるので精一杯だった。
『ガゴッ!』とアスファルトが浅く砕け、キュアグリントが後頭部と背中をしたたか打ち付けてしま
う。けれど痛みにうめく余裕すらない。
 徹甲榴弾の雨が次々と降り注ぎ、街のあちこちに着弾して破壊を撒き散らす。そんな光景の
中で、ヴォイドナーが右腕をこちらに向けて構えなおすのを視界の端にとらえた。
 瞬時に意識は覚醒。キュアルミナスを抱えたまま、とっさに建物の陰に飛び込んだ。 
 コンクリートの壁へ高速徹甲弾の猛爆射が突き刺さった。集中する火箭が、壁を発泡スチロ
ールのようにえぐり砕いてゆく。 
「街が戦争になるっ!?」 
 叫んだキュアグリントの眼前で、二発の成形炸薬弾の直撃を受けた建物が完全爆砕。紅蓮
の炎に彩られて吹き飛ぶ。 
「ちきしょおおッッ!」 
 怒りに吼えて、キュアグリントの目がある物を探した。すぐに見つける。 

 標的喪失。 
 ヴォイドナーがプリキュアを炙り出すために、広範囲を攻撃できるクラスター弾による死の雨
を再び降らそうとした。ランチャーを起動させる、その直前、 

『ドゴオオオオッ!!』

 アスファルトの砕け散る音と共に、その鋼鉄の巨体が腰近くまで地面に沈んだ。後ろにつん
のめるように大きく全身を傾かせ、一瞬の混乱を迎える。 
 爆砕された建物の陰から飛び出したキュアルミナスが、片ひざを着き、構えた右腕を左手で
支え、狙撃体勢を取った。 
「シャイニーリング、 ――― セイクリッドアロー!」 
 狙撃型神聖光撃セイクリッドアロー。輝く閃光がヴォイドナーの胸へと疾(はし)る。 
『ヴォイドナッ!?』 
 着弾の衝撃にヴォイドナーの鋼造りの身体が震えた。狙った位置に正確に突き刺さった光子
の徹甲矢は、しかし、ぶ厚い鋼鉄の装甲を貫徹できない! 
「そんな……」 
 キュアルミナスが言葉を失った。そんな彼女に宙を泳いでいた左腕が……六連の多砲身が
向けられる。 
 肉も骨もまとめてミンチにしながら標的を文字通り消し飛ばす高速徹甲弾、その猛射がキュ
アルミナスに浴びせられるよりも早く、 
『わるいのわるいの……』 
 ヴォイドナーの太い両脚が埋まるアスファルトの下から、その声は響いてきた。 
 キュアグリントの右腕、Hチェンバーの表面を走る炎の輝き。 

 ルビーバレット ―― 火星守護圏に帰属する神威<世界を焼き払う炎>を顕現させる紅蓮
子の結晶弾。 

 マンホールから下水道へ飛び込み、地下から奇襲を仕掛ける際に使ったトパーズバレットの
効果はまだ残っていた。 
 そして、右手に収束した紅蓮子が火炎を呼んで赤熱し、摂氏2000度をオーバーする。 
 右拳が燃え立つ。さらに<大地の氣>が全身に充填され、片手でトラックを振り回せるほど
の怪力状態。 
 キュアグリントがジャンプ。繰り出された拳は、体勢を崩しているヴォイドナーのわき腹へと突
き刺さった。 
「飛んでけええええええええッッッ!!!」
 天を目指し突き上がるアッパーカット。艦砲射撃にも匹敵する威力が、言葉通り、ヴォイドナ
ーをキリモミ状態で空へと吹っ飛ばした。 
 装甲は大きくひしゃげて大穴が開き、上半身は高熱の炎に包まれて……。だが、まだ鋼の戦
鬼は死なない。体内に仕込んでいた消化装置を起動。ハロンガスを高濃度で噴射し、体内の
鎮火に当たる。 
『ヴォイドナアアアアアアッッ!!』
 訳するとすれば、「舐めるな!」とでも言った所か。地上へ降り立ったキュアグリントの足元を
えぐる高速徹甲弾の掃射。 
「……この程度の火力じゃレアってワケね。だったら ――― 」 
 焼き加減が足らなかったらしい。ダンッ!とキュアグリントの足が大地を蹴って、ヴォイドナー
へと飛翔する。右拳をさらに強く握り締めて吼えた。 
「ウオオオオオオッッ!!」
『ガチンッ!ガチンッ!ガチンッ!』 
 Hチェンバー内部で装填音が連続した。ルビーバレットの三重装填。キュアグリントの右拳が
激しく眩しく燃え盛る!! 
今度こそ……ウェルダンだあああああああッッッ!!!」
 超高速で繰り出された炎の鉄拳がヴォイドナーの鋼鉄の巨体を叩き割り、重要機関を粉砕し
尽くす。 
『…ヴォイド…ナ……』 
 完全なる機能静止。そして、鋼鉄の巨体が爆発する。 
 キュアグリントは左腕で顔を覆いながら、爆風に流されて離脱。危なげなく、「よっ」という軽い
掛け声に続いてキュルミナスの隣に着地。 
「……ただいま、ルミナス」 
「おかえりなさい、グリント」 
 二人の戦士が視線を交えて、優しく微笑みあった。 
 モノクロームの空が、ゆっくりと青い色を取り戻し始める。それと共に、戦闘で破壊された街
の風景が薄らいで、その下から無事な姿が浮かび上がってきた。 
 どうやら終わったらしい……。